2010/12/27

ご苦労様でした  教育・学校・教師


 2学期が終わります。
 長くてウンザリしたという記憶もないですが、今日の雪景色を見ながら夏休み明けのうだるような暑さを思い出すと、ほんとうに長い学期だったと改めて感じます。
 運動会も文化祭も、ずっと昔のことのようです。学校は常に新たな意欲を喚起しないと止まってしまう自転車操業みたいなところがあって、どこかで何かしらが動いていますから、倦んでいる暇がないのですね。気がつけばもう終業式です。

 世間では民主党代表選挙で菅直人氏が再選されたとたんに尖閣列島問題が発生し、そうかと思っていたら北朝鮮が韓国を攻撃し、ウィキリークスが次々と暴露を始め、チリの鉱山から続々人が助けられ、白鵬は連勝を止められ、日本女子バレーは連敗を止め、市川海老蔵さんは結婚したかと思ったらいきなり殴られと、毎日ニュースから目の離せない日々が続きました。しかし学校の中はいたって平穏無事、特に心配したり不安になったりすることなく過ごすことができました。

 私はよく、「『学校で別段何の問題もなく、子どもたちは普通に勉強している』という状態が、先生たちのどれほどの努力と連携によって行われているか、それを知ってほしい」といった言い方をします。それぞれ家に帰ればわがままを言ったり聞き分けがなかったりする子どもたちが何十人も集まりながら、きちんとやっている、その状況のすごさが世の中の人にはわからないのかもしれません。
 子どもは「学校」という器の中に入れると、自然とおとなしくなるものだと思い込んでいるのかもしれません。

 この長い2学期を大過なく過ごせた背景には、先生たちの目に見えない努力と互いを支える力が常にあったこと、私たち自身が忘れないようにしなければならないと思います。

 さて、来年の干支は卯(ウサギ)。
 東京の兜町には「辰巳天井、午尻下がり、未辛抱、申酉騒ぐ、戌笑い、亥固まる、子は繁栄、丑つまずき、寅千里を走り、卯跳ねる」という格言があるそうです。江戸時代の米相場から言われていることらしいのですが、卯年は常に株価が跳ね上がる年だというのです。
 おまけにアメリカにも「中間選挙の翌年は株価が上がる」というジンクスがあるそうで、来年はほんとうに明るい年になるかもしれません。

 いよいよ寅年の終わり。酔って大トラになるのもこれでおしまいにしたいところです。

 では、よいお年を!


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2010/12/26

ありがとうございます。  歴史・歳時・記念日


 昨夜、遅い時刻にこのブログも100,000アクセスを超えました。
 4年少々かかりましたが。

 明日は終業式ですので、ここへの投稿も明日で一応の区切りとなります。
 全体の投稿数も950ほどですので、3月までには1000になります。
 何にしろ、続けるというのは良いことです。

 では、では。
 今後もよろしくお願いいたします。


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2010/12/24

メリー・クリスマス  知識


 さて今夜、子どもたちのところにほんとうにサンタは来てくれるでしょうか?

 サンタクロースはクリスマスイブの午後9時から12時の間にプレゼントを配布しているというのが定説です。したがって世界中で最も早く12月24日の午後9時を迎えるニュージーランドを皮切りに、オーストラリア、日本、東アジア・東南アジアの諸国、インドという順に回っています。午後9時から12時という時間帯は地球上を東から西へ移動する帯として表現できます。サンタさんはその帯の中を移動しながらプレゼントを配っているわけで、もし宇宙から眺めるとすると、ひたすら狭い範囲を北極から南極、南極から北極へと移動している様子が見えるのかもしれません。

 サンタさんはおおよそ24時間以内(24日午後9時スタート、12時着なので、正確には27時間以内)に世界中の子どもにプレゼントを配らなければならないので、単純に計算すれば子どもひとりにつき1万分の2秒乃至は3秒しか使えません。しかし実際には子どものいない場所を飛行している時間も長く、訪問時に子どもが起きていると別の家に行ってから再配達ということになるので飛行距離はさらに延び、一人ひとりにかける時間はものすごく短くなってしまいます。

 そこから「サンタさんは実は何人もいて手分けをして配っている」という説が出てきますが、それは間違いです。サンタさんは一人しかいませんし、赤鼻のルドルフを先頭とする9頭のトナカイに引かれたソリは一台だけです(注:公式にはトナカイは8頭で、新参者のルドルフは正式メンバーではないという話も聞いたことがあります)。

 たった一人のサンタさんが、たった24時間で世界中の子どもにプレゼントを渡すという偉業は、実は「サンタ時間」とも言うべき特別な時間操作によって行われています。簡単に言うとサンタさんの24時間は私たちの24時間よりはるかに長いということです。
 これをクロック・アップと言い、仮面ライダーやセーラー・ムーンが変身にどれだけ時間をかけても敵に襲われないのはそのためです。また有名な東大寺の「お水取り」でも、「天の一昼夜は人間界の400年に匹敵する」というクロック・アップを克服するため、二月堂内を修行僧が全力疾走をしていたりします。(通常、私たちから見ると“加速”したかのように見えますのでクロック・アップと言いますが、サンタや仮面ライダーからみると私たちのクロック・ダウンです。それはまったく同じことです)

 もうひとつの大きな謎は、サンタさんがどのように部屋の中に入り込むかというものですが、これはまだ解き明かされていない、歴史上最大の謎のひとつです。特に煙突のない家の子どもたちは毎年非常に不安に思っていますが、今日まで煙突がないためにプレゼントをもらえなかった例は一件も報告されていませんので問題はないでしょう。

 ドイツの古い伝承ではサンタは双子で、一人は紅白の衣装を着て良い子にプレゼントを配り、もう一人 は黒と茶色の衣装を着て悪い子にお仕置きをして歩くといいます。あるいはサンタさんは「クランプス」と呼ばれる二人の怪人を連れて街を歩き、良い子にはプレゼントをくれるが悪い子にはクランプスに命じてお仕置きをさせるとも言います。

 経済や文化のグローバル化によって黒茶のサンタやクランプスが世界中を跋扈する時代も近いのかもしれません。いまから子どもに注意しておくことも必要なのかもしれません。

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2010/12/22

レアアース  知識


 尖閣列島沖での中国漁船衝突事件以来「レアアース」という言葉が飛び交いましたが、レアメタル(チタン・ゲルマニウム・コバルトなど)と違ってなんとなくイメージが湧かず、湧かないまま今日まで来てしまったので改めて調べてみることにしました。

 それによるとレアアースというのはレアメタルの一部で、原子番号21番のスカンジウム、39番のイットリウム、57〜71番のランタン、ルテジウムなどの合計17元素をまとめていう総称なのだそうです。これらの元素は化学的性質が非常に似通ってるので、レアメタルの中でも一まとめにセットにして扱われます。これらは混ざり合って産出され、また放射性物質がからんで分離・精製が困難なため、日本語では「希土類(希な土)」と呼ばれたりします。

 用途としては例えば、赤や青・緑色に光る性質のあるイットリウム・テルビウム・ユウロピウムなどはカラーテレビや照明・光ファイバーなどに利用され、超強力な磁力を加えることのできるネオジム、サマリウム、ジスプロシウムなどはハードディスクドライブやモーター、バイブレーター、スピーカーに使われています。
 そのためハイブリッドカーや電気自動車、携帯電話、パソコン、MRIなどの医療機器、さらにはエアコンや冷蔵庫などのデジタル家電に欠かせない材料となっています。またセリウムは液晶ガラス基板の研磨に使われ、そのほかカメラレンズの屈折率を変えたり石油重合触媒や自動車の排ガス浄化装置に用いられたりと、その用途は広がるばかり。
 そのため世界に冠たる技術立国の日本が使用量も世界一となっています。

 ニュースで盛んに言われるように、現在、中国が世界のレアアースの産出量の97%占めています。確かに埋蔵量も世界の三分の一と巨大なのですが、それを97%支配にまで高めたことには秘密があります。それは価格です。
 中国産のレアアースは飛び抜けて安価で輸出されたため、アメリカをはじめとする他鉱山は太刀打ちできず、ほとんどが閉じられてしまったのです。

 これについて一般には「中国の安い人件費」「レアアースが地表に露出しているため、採掘しやすい」といった点で説明されますが、そればかりではありません。今月号の「文芸春秋」では、レアアース専門輸入商社の社長が次のように書いています。

「私の経験をお話ししょう。まず79年、上海にあった中国最大のレアアース工場を日本人として初めて訪問した時のことである。15キログラムもある鉛のコートをまとって入ると、現場作業員の手が放射能被曝のために、白子(自皮症)の症状を呈していたのを目撃した。また、他の国では採掘した鉱石を工場に持っていってから精製作業をするが、中国では鉱山そのものに大量の硫酸を直接かけることも多い。江西省の現場を見たことがあるが、鉱石中にレアアースはわずか0・2パーセントしか含まれていないため、100トンの鉱石のうち、99・8トンもの残土が硫酸に汚染され未処理の状態で放置されていた。
 さらには、内モンゴル自治区にある世界最大の白雲鉱山では数年前に、大雨で放射性物質がー斉に黄河に流れ出したこともある。他にも80年に訪れた広東省の鉱山では放射性のトリウムが大量に発生したにもかかわらず、ほとんど野積みになっていた。こういったことを枚挙に暇がないほど見聞きしてきた」


 9月のレアアース輸出制限の際、中国は「環境問題を解決するために産出量を減らす」と言っていましたが、内実はともかく表向きとしては正しい説明ということになります。ただしもちろん今後中国が経済発展を制限してもでも本気で環境問題に取り組む可能性はほとんどありません。

 中国の安いレアアースを買わず、インドやベトナムに技術支援をしながらレアアースの輸入先を変えていくということは、安全保障の問題であるとともに地球規模での環境保全と中国国民の保護という意味合いも含んでくるのかもしれません。



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2010/12/21

プリーズ・フリーズ・プリーズ  親子・家族

(頼むからそこで固まっていてくれ)


 先週土曜日の地区の体育館でクリスマス・コンサートがありました。知り合いの先生も参加していたので行ってみましたが、忙しい中でよくこれだけ準備されたものだと感心しました。それとともに一芸も二芸も持っておられる人は、格好良くも羨ましいなあと思いました。私なんぞトランペットはおろかリコーダーも吹けず、吹けるといえばホラくらいなものです。

 さて、そんなすばらしいコンサートだったにもかかわらず、私は心落ち着けて音楽に聞き入ることができませんでした。それは観客席の後ろの方で傍若無人に走り回る保育園児のためです。
 とにかく右から左、前から後ろと行ったり来たり、走ったり止まったり、ときどき無意味な叫び声をあげて暴れまくっています。いったい親は何をしているのかと・・・そう思って休憩後の後半は後ろの方の席に移ってそこから観察することにしました。そして分かったことは、

@きちんと座って聞いている子はたくさんいる。 
Aきちんとしていないまでも何とか静かにその場にいる子もけっこういる。 
Bしかし走り回る子たちは片時も休んでおらず、飲み物や菓子をもってあっちからこっちへと繰り返し移動している。
ということです。

 親は、いちおう注意しますが子のほうはまったく聞く耳を持ちません。すぐに親の手を逃れて走っていってしまいます。会場の背後であまり大きな音がするとウチの子かもしれないと腰を浮かせて様子を見に行く母親もいましたが、連れ戻して静かにさせるという様子も見られません。私は考え込んでしまいました。

 公共の場できちんとできるように育てるというのは、一義的にその子のためです。それができないばかりに大人に睨まれたり陰で疎まれたりするのは、その子にとって何の利益にもなりません。

 しかし本人のためという分を差し引いても、親として格好悪いとか、面目丸つぶれとかいった感覚はないのでしょうか? だって他には子どもをきちんとさせていられる親もいるのです。コンサートのような極めてデリケートな場所で走り回っているわが子なんて、まるで親の子育て能力がゼロだと看板を背負ってふれ回っているようなものです。
 親としてみっともないとか恥ずかしいとか感じて当然だと思うのですが、その様子がない。私はイライラすると同時に不思議で仕方ありませんでした。SuperT家ではありえないことです(少なくともそんなことがあったら世間から見えないように隠す(=家に連れ帰る)くらいのことは絶対にします。

 そこでふと思い出したのですが、かつて小学校1年生の担任をしていた同僚が、児童のことで母親に強く指導したらこんなものをもらったと、一通の手紙を見せてくれたことがありました。そこには一通り担任の指導の厳しさや理想が高すぎることへの不満が書かれており、そのあとこんな言葉が記されていました。

「私は息子が学校で先生の指示に従わないことにを、むしろ誇りに思っています。こんな小さなころから大人の言うことを何でもハイハイときくようでどうします?そんな子がどんな大人に育つか考えてみてください。私は息子に胸を張って言います、悪ガキ万歳と!」

 売り言葉に買い言葉という側面は否めませんが、それにしても私たちには絶対に思いつかない論理です。私たちの常識は「こんな小さなころから大人の言うことをきかないようなら将来はもっときかないだろう」としか教えません。

 こうした考え方が世間に広くひろまっているとしたら私たちの方が価値転換をしなくてはなりません。しかしそうでないとしたら、私たちのほうから親たちに意識変革を求めなければならないはずです。


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2010/12/20

そう、ヴァージニア、サンタさんはいます  歴史・歳時・記念日


 あまり意識されないことですが、クリスマスと翌年の元日は曜日が同じだって、知ってました? たとえば今年、平成22年の12月25日は土曜日ですが、翌23年の1月1日も土曜日、つまりわずか一週間で子どもたちはサンタと親の両方から、モノと現金で収入を得るのです。そんな国って、世界中にそうないでしょう。

 私は自分が親になってなってから、俄然、気になり納得できない気持ちになりました。日本の子どもって、こんなに甘やかされていいものでしょうかということです。しかし自分の子どもが大きくなってサンタが来なくなってから、私はまた考え直しています。

 七福神やお地蔵様が子どもにとって遠い存在になってしまった今日、お年玉をくれる親や親戚以外に、自分のこと本気で考えて一番欲しいものをプレゼントしてくれる人がどこかにいる、そう信じられることはいいことかもしれないと思うようになったのです。子どもはたくさんの人から愛されて育つことが必要です。そして多くの人から愛されている信じられることが大切です。

 サンタが実在するかという問題に関して、今から100年以上前、アメリカのヴァージニア・オハンロンという少女が『ザ・サン』という新聞社に手紙を書いたことがあります。オハンロン家では何か分からないことがあると『ザ・サン』に手紙を書く習慣があったのです。

親愛なる記者様--私は8つです。
年下の友だちに、サンタさんなんてほんとうはいないんだよ、という子がいます。
パパは、「『ザ・サン』がサンタさんのことを書いたなら、きっとその通りだろう」と言います。
どうか本当のことを教えて下さい。サンタさんっているんですか


 この質問に社説で答えるように指示されたのはフランシス・ファーセラス・チャーチという論説委員です。元は牧師の子ですが相当な皮肉屋で、「ザ・サン」の社説で物議をかもし出すものがあるとしたらそれはチャーチが書いたものだと言われたくらい辛らつな人です。

 この仕事を与えられたときも相当にイライラした様子で、「社説で扱える内容は限られている。8歳の子供に返事を書くより他に大切なことが一杯あるじゃないか」と抵抗したようですが、それでもチャーチは答えを書き上げ、それはその後、1950年に『ザ・サン』が廃刊されるまで、最も有名な、最も愛された社説と言われるようになりました。

「ヴァージニア、あなたのお友達は間違っています」で始まるこの社説は、アメリカ人なら誰しも一度は目にしたことのある文です。中に「サンタさんを信じない!それは、妖精だって信じない、と言ってるのも同じです」とあったりして、ちょっと日本人を納得させるにはふさわしいものではありませんが、(日本文で)原稿用紙10枚分に渡って、実に丁寧に「そう、ヴァージニア、サンタさんはいます(Yes, Virginia, there is a Santa Claus)。愛や思いやりや献身がたしかに存在するように」と切々とサンタの実在を訴えています。

 私はこの皮肉屋の大人が8歳の女の子に誠実に切々と語っているという構図がとても好きです。


 フランシス・チャーチは1906年に67歳で亡くなります。サンタの社説を書いたのは58歳のときですが、『ザ・サン』はこの社説の執筆者を明かすことはなく、チャーチとヴァージニアが出会うこともありませんでした。

 ヴァージニア・オハンロンは長じてコロンビア大学に進み、1912年にはニューヨークで教職につきました。47年間教育者として地域の教育に貢献し、最後は入院生活を送る子どもたちの学校の副校長を務めました。1971年、ニューヨークの老人施設で81歳の生涯を閉じたといいます。

 サンタを信じて育った人がよき教育者となったということは、私にとっても幸せです。


《フランシス・ファーセラス・チャーチの回答》
 ヴァージニア、あなたのお友達は間違っています。何でも疑ってかかるご時世なので、それ にすっかり感染してしまっているのでしょう。そうした人たちは自分たちが見たものしか信じません。自分たちの狭い心で理解出来ないものに出会うと、こんなことありっこない、で済ませてしまいます。ヴァージニア、心っていうのは、大人の心であれ、子供の心であれ、みんな狭いものです。私たちのこの巨大な宇宙と比べると、人類はちっぽけな虫、アリのような存在です。私たちをとりまく広大無辺の世界と比較したら、あらゆる真実と知識を有する知能が見たとしたら、 人類の知性などまるで取るに足りないものです。

 そう、ヴァージニア、サンタさんはいます。愛や思いやりや献身がたしかに存在するように。この世界にそれが満ちていて、人生に言い知れない美しさと喜びを与えてくれているのは、あなたもよく知っているでしょう。ああ、サンタさんがいない世界なんて、なんて下らない世界でしょう!まるで、この世から、たくさんのヴァージニアが一度に消えてしまったのも同じじゃないですか。子供らしい信仰も、詩も、ロマンスも、何もかもかき消え、後には生きる苦しさに耐えることも出来ない世界が残るだけです。楽しみと言えば、実際に手でさわり、目で見えるものだけ。子供時代に世界を包んでいた永遠の灯かりは、スイッチをひねるように消えてしまいます。

 サンタさんを信じない!それは、妖精だって信じない、と言ってるのも同じです。クリスマス・イヴにサンタさんが煙突から降りてくるところを見たいなら、パパにお願いして、煙突という煙突に見張を置くことも出来るでしょう。でも、たとえ サンタさんが降りてくるのを目撃出来なくても、それが何の証拠になるのでしょう。だれもサンタさんを見ていないからと言って、それがサンタさんがいない証しになると言うのでしょうか。この世で最もたしかな真実は、子供も大人も目にすることが出来ないものです。あなたはこれまでに妖精たちが草原でダンスを 踊っているのを見たことがありますか。もちろんないと思います。けれど、だから妖精など存在しない、と言えるでしょうか。この世界にいる、姿がなく見ることが出来ない不思議なものを、すべて思い付いたり勝手にでっちあげたり出来る人間などいないはずです。

 赤ちゃんのガラガラを分解して、どんな仕組みで音が鳴っているか、中身を調べてみることは出来るでしょう。しかし、目に見えない世界を蔽っているヴェールは、一番の力持ちでも、たとえこれまで存在したあらゆる力持ちが集まっても引き裂くことは出来ません。信仰と、詩と、愛情と、ロマンスだけが、そのカーテンを開き、その向うにある、言葉に出来ないほど美しく素晴らしいものをかいま見せ、その姿を描き出してくれます。それはすべて本当のことかって?ああ、ヴァージニア。この世で、それほど真実で永遠に変わらないものはありません。

 サンタさんがいない!やれやれ!サンタさんはちゃんといて、そして永遠に生きています。今から千年もの間、いやヴァージニア、それどころか、一万年のさらに十倍だって、サンタさんは子供たちの心を喜びで満たし続けてくれるでしょう。





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