2010/9/30

教員のための『子育テノ、ススメ』  教育・学校・教師


 その生徒は、私が2番目に持ったクラスの子で、大したことはできないながらちょっとした小悪党で、喫煙・万引き・バイクの乗り回し・深夜徘徊と、およそ中学生の不良ならやってみたくなりそうなことは一通りやったような子です。

 両親は専業主婦の母親と教員の父親、結婚の遅かったふたりはやっと生まれた男の子を、ほとんど溺愛状態で育てたようです。しかし甘く育てられた子はまったくの根性なしで、親たちの期待など到底背負えるものではありません。年中悪いことをしては私たちの指導を受けていました。

 問題を起こして呼び出しをかけるとついてくるのはいつも母親。それはそうでしょう。教員はいつだって忙しいし、ベテラン教師の父親としては私のような若造のもとへ、指導を受けに来るのは嫌だったに違いありません。受ける私の方だって嫌です。

 そんなわけでたえて父親とは会うことはなかったのですが、ある休日の夕方、やはり生徒指導の案件で確認しなければならないことがあって家庭訪問をしたところ、たまたま家で留守番をしていた父親がひとり玄関に出てきました。よれよれの着物姿で、大きな背を小さく丸め、禿げた頭を自分より20歳以上も若い担任に下げて詫びる姿を、私は息子に見せてやりたいと思いました。
 ほんとうに切ない姿だったのです。

 教員の子どもはいいか悪いか二つに一つ、という言い方があります。

 教育のプロですから自分の子どもにも技術を使い、丁寧に育てて行けばかなりのことができそうなものですが、教育のプロだからこそ家庭を省みず、児童生徒の指導にのめり込んでいく例も少なくありません。

 しばらく前、大阪市で幼い姉弟が母親に放置され死亡した事件、その母親を男手ひとつで育てた父親(幼い姉弟の祖父)は、無名校を全国大会出場15回の強豪校に育てあげた高校ラグビー界では有名な熱血監督だそうです。私の周辺でも学校の活動にのめり込んだがために、子どもが不登校だの警察に呼ばれただのといった話は枚挙に暇がありません。

 わが子が繰り返し警察のご厄介になっているようでは教育活動にも身が入りません。保護者は言わないかもしれませんが、そんな状況で「教育は斯くあるべきです」みたいなことはとても言えたものではありません(しかし「教育は斯くあるべき」みたいな話をして、保護者の後押しをすることは指導上とても大切なことです)。

 最近、私の知り合いが自分の子どものことで学校に呼び出され、夫婦で担任との懇談を持ちました。その「子どもの担任」というのは、つい2年ほど前まで、父親と同じ学校に勤めていた元同僚なのです。互いに気まずく、辛かったろうと思います。

 親が親でいられる期間は短く、子育てはあっという間に終わってしまいます。私も、今もかなり不安で危うい子育てのまっ最中ですが、どうか先生方、後顧の憂いを残さぬよう、ご自分の子も学校の児童生徒と同じくらい手をかけ、丁寧に育ててやってください。教員の子どもだからといって粗略に扱われるのは、とてもかわいそうです。


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2010/9/29

金八先生の亡霊  教育・学校・教師


 最近、急に思い出して「そう言えば、さすがに聞かなくなったな」と思う言葉に「金八先生」があります。思えば10年くらい前まで、金八先生の幻はことあるごとに現れて、「なぜウチの担任は金八先生のようでないのか」といった恨み節があちこちから聞こえていたのです。その最たる経験は私自身です。20年近く前、小学校で保護者と対立したときに、こんなふうに怒鳴られたことがあります。

「SuperT先生は『金八先生』を見たことがありますか? ないでしょ? 見ていたら教師がどうあるべきかなんてすぐに分かるはずです。あれはテレビの中の話だと思うかもしれませんけど、武田鉄矢さんは教育大学を出ていて、アドリブでしゃべっていることもたくさんあるんですよ。なんで金八先生がアレだけできると言うに、SuperT先生はできないんですか?」

 最悪でした。

 不幸にして最も評判になった「3年B組金八先生」の第1・第2シリーズ(1979〜1981)当時、私は夜の仕事をしていたために(と言っても学習塾の会社ですが)テレビを見ることができませんでした。第3シリーズ(1988〜1989)の頃には教員になっていましたが、毎日遅くまで学校にいてこれも見逃し、そのあと前述の事件(「金八先生を見たことがありますか事件」)があって結局、見ることができたのは第4シリーズ(1995〜1996)からです。事件から2〜3年後のことです。

 そしてそれ以降(俳優・武田鉄矢は別として)坂本金八は不倶戴天の敵、親の敵となりました。あんなもののために何年も嫌な思いをさせられてきたかと思うとほんとうに腹が立ち、第4シリーズについても数回を見ただけでやめてしまいました。学校をなめ切っています。

 坂本金八が優秀かどうかは別にして(これもそうとう問題があると思いますが)、とにかく出てくる生徒が優秀です。不良であろうと鼻持ちならないエリートであろうと不登校の子であろうと、

@とにかく自分の心の中にある問題を的確に掴み、それを言語として表現できる。
A相手の言うことが正しいと思えば素直に反省できる。
Bそして何よりも、その反省を生かすことができる。
そういうスーパースペシャルの生徒たちなのです。

 私たちのもっている子どもたちはそうではありません。最初の段階で躓きます。
@まず自分の問題を表現することができない(はっきり表現された悩みなんて悩みではありません。はっきりしないから「悩む」といいます。表現できるなら問題の半分以上は終わっています)。
A素直な非行少年、素直な問題児というのは、そもそも形容矛盾のようなものです。素直になれないから問題が長引き、お互いに苦労するのです。そして、
B反省を生かすことができない(それが人間です。「分かっちゃいるけど、止められない」のです。大人である私だって反省を生かすことができず、しょっちゅう苦労しています。締め切りが間に合わない、酒、飲みすぎた等々)。
 
 さすがに今頃になって「金八先生」を持ち出す人はいません。しかしその亡霊は確実に生きていて、すべての人たちの頭の隅に「理想の教師」として残っています。そしてその亡霊との比較で現実の教員が叩かれることも少なくないのです。

 私は正直、もう一度「金八ブーム」がやってくればいいと思っています。「見てますか事件」以後も繰り返し金八先生は持ち出されましたが、私はその都度涼しい顔で言ったものです。

「そうですねェ、金八先生も優秀ですが、とにかくドラマは生徒が優秀ですからァ。あんなのがクラスに何人もいたら私も楽ができるんですけどねェ〜」

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2010/9/28

のどひこの話  知識

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 右の図の、中央の丸囲いの部分をなんと言いますか。

 昨日、大西先生が風邪をひかれたとかで、その部分について一般的な言い方で「風邪をひいて〜が赤く腫れています」とか言うので、「女の子が〜などと言うものではありません」と軽くたしなめたところ、「じゃあ何て言えばいいんです」とおっしゃる。

 たしか昔、これについては一度調べたことがある気もするのですが、思い出せずに悩んでいると(私の悩みなんてこの程度ものだ)、早速インターネットで調べてくれました。

 正式には口蓋垂(こうがいすい)または懸壅垂(けんようすい)、別名:上舌(うわじた)または喉彦(のどひこ)と言うのだそうです。

「発生学的には、口蓋の左右の組織が一つに繋がる段階で余った部分である」(なんのこっちゃ?)だそうで、人によってふたつあったり、先がふたつに割れていたりすることもあるのだそうです(すごいな)。

 発音の補助、誤飲防止などの説のある一方で何の役にも立っていないという説もあり、実際に扁桃腺の手術の際などに誤って切除してしまっても(そんなことってあるのだろうか?)、何の不都合もないとも書いてありました。

以上、一緒に調べた大西先生が「『デイ・バイ・デイ』に書いてくださるとみんなで知識の共有ができていい」というので書きました。


@ただし、わざわざ「風邪をひいて〜が赤く腫れています」などと正確な説明をせずとも、「風邪をひいて、のどが腫れています」で十分だったのではないかと、今になって思っています。

Aしかしそれにしても「のどひこ」って・・・。





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2010/9/27

金があるのではない、無知と多忙のためだ  教育・学校・教師


 15年前に家を建てて現在の場所に移り住みました。それまでは○○市にいてそれでこちらに家を建てるわけですから当然人事がからみ、だからこそ家を建てること自体、他人には相談することができませんでした。

 家というものは安い買い物ではありません。ですから十分に研究を積み、たくさんの人と相談しながら進めるべきものでしょうが、前者についてはとにかく忙しく、後者については前述の理由から、両方とも十分なことをしないまま突入せざるを得ませんでした。

ところが実際始まってみると当初予定したのとはずいぶん事情が異なり、敷地の北半分の地盤が異常に弱いため追加工事50万円とか、裏に水道がほしいと言ったら追加になるので2万円とか、次から次へと膨らむ建築費に神経がボロボロになりそうになります。
 照明器具だとかカーテンだとか、すぐにも必要になるものに回す資金のことも考えると、気の遠くなるような話です。

「灯油タンクは大型にしますか中型で良いですか?」「中型でけっこうです」「そうですね。大型だとプールもつけなくてはなりませんから中型の方がよろしいでしょう」
「風呂の換気扇はロスナイにします?」「いや普通の換気扇でけっこうです」「そうですね。ロスナイはうるさいですから普通の方がよろしいでしょう」
「ドアホンはどうしましょう? インタホンにします? 普通のドアホン?」「普通のものにしてください」
とにかくこれ以上借金がかさむようではかないませんから、できるだけ安く安くと話を進めるのですが・・・

 実は、灯油タンクを大型にしても、換気扇をロスナイにしても、ドアホンをインタホンにしても建築費には何の影響もなかったのです。

 家の建築費というのはざっくり何千何百万円と契約するのであって、個々の設備機器などは一つひとつが枠内での交渉になります(私はそのことを、のちに学校の体育館建設に関わって知りました。ダメ元と思って要求したものが片っ端通ってしまうのです)。もちろんほんとうにダメなものはダメですが、業者は追加の要求や不測のことも見込んで建築費を設定しているので、言わないと損なのです。

 私はそうした無知と多忙のためにおそらくたいへんな損をしました。しかしそのことを知っても、さほどのショックも後悔もありませんでした。もともと金には無頓着な方ですし交渉ごとは嫌いです(だから教員になった)。そうした世間智があったとしても、部活や教材研究や生徒指導を犠牲にしてまで自宅の建設に時間やエネルギーを注ぎ込む可能性はほとんどありません。

 ショックを受けたのはそれから何年も経ってからです。

 ある学校で、元建設会社の社員から結婚退職し、今は図書館司書という珍しい経歴をお持ちの方と話をしたときのことです。話題が住宅建設の話に移りいろいろ話している最中にその方が、

「でも先生たちってお金あるんですね。前の同僚たちの話だと、教員はもう、こちらの言い値で出すって・・・」

 無知と多忙のために言いなりになってしまった私のような者のために、教員全体がこんな誤解を受けている、そう思うとほんとうに切なくなりました。しかしそれと同時に、言い値で払う教員たちを「金があるから」という方向でしか見ない世間の方もどうかと思いました。

 私たち教員が本気で児童生徒を愛し、子どもたちのために大真面目で膨大な時間やエネルギーを費やしているということが、世間の人たちには想像だにできないらしいのです。しかし理解されないからとあきらめるのではなく、私たち自身が声高に叫んでいかなければならないことなのかもしれません。


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2010/9/24

真面目に聞かない  教育・学校・教師


 教員はもともとまじめな人が多いですし、相手の言い分を良く聞きなさいという躾を繰り返しうけていますから、子どもの話を聞き流すということが容易にできません。しかししっかり聞けばいいものではないと言うことを最近知りました。

 たとえばある種の発達障害の子は、妙なことにこだわります。「○○ちゃんがいるから教室には行けない」「給食に出たタマゴが胸に埋め込まれたらしい」とかいったことです。そこで私たちはついつい○○チャンが気に入らないのはなぜかとか聞いたり、○○ちゃんとの関係を修復しようとしたり、あるいはタマゴが胸に埋め込まれていないことを冷静に、論理的に説明しようとしたりします。しかしそれは、相手のこだわりに手を貸し、こだわりを深めることなのだと言うのです。

 自身がアスペルガーであるニキ・リンコの著作に「自閉っこ 深読みしなけりゃうまくいく」というものがあります。この題名だけでも秀逸なのですが、中の一章の表題は「実は大変浅いワケがある自閉っ子の振る舞い」となっています。これらが言おうとしていることは、『こだわり』というスイッチは何か特別の理由があるので入るのではなく、ただ入ってしまう、だからそのこと自体には大した意味はないということです。細かく丁寧に追究する価値のあるものではありません。

 ではそんなとき、どんな対応をしたら良いのか――答えは「できるだけ早く話をそらし、目を未来に向けさせる」なのだそうです。具体的には「あ、そう・・・ところでね」と言うこと。「たいへんだね」とも「気持ちが分かる」とも言わず肯定も否定もしない、だから「あ、そう」なのです。

 不登校の初期段階で、子どもが学校に行かないことについて問い詰めすぎると、思わぬものが出てくることがあります。おそらく不登校のほんとうの理由はかなり複合的で複雑に絡み合っています。しかしそれを適切に説明できる子はめったにいません。複雑で難しい心の綾をきちんと語れるようなら、そもそも不登校になったりしないのです。私の担任した最も優秀な不登校の生徒は、きっぱりと一言「理由はない。とにかく行きたくない」そう言っておしまいでした。理由はないというよりは説明不能という意味でしょう。それが正解です。ところがそんなことで何得してくれる親はそうはいません。学校に行かないことについて親が納得してくれる答えは、どうやら二つしかないのです。

 ひとつは「イジメ」、もうひとつは「担任の横暴」です。この二つが出てくると一応、親は登校を強制しなくなります。しかし学校にとってこれほど厄介なことはありません。誰の目にも一方が完全に悪いといったイジメはそうはなく、多くは人間関係のトラブルそのもので流動的なものです(だからしばしば「一夜にしていじめる側といじめられる側が入れ替わる」と言われたりします)。また原因は担任だと言われると、担任からの指導・アプローチがまったくできなくなってしまいます。

「これがイジメと言えるのか?」といった例や「これを横暴といわれたら指導はできないだろ」と思うことも再三です。

 もちろんほんとうに一方的なイジメが原因の不登校もあります。担任が異常な指導をしている場合もあります。深刻な身体の病気を抱えていて、だから朝、体が動かないということもあります。あるいはうつ病や統合失調症といった心の病なのもかもしれません。家庭に問題を抱えていて学校どころではないといった場合もあるでしょう。したがってまず子どもの言い分を信じるところからはじめなくてはならない、それは当然です。

 しかしそうした手続きを踏んでもなお分からない不登校に関しては、原因追究→原因除去→回復という経路を考えるのではなく、とにかくその子が登校できる条件をつくり、学校に「来ていただく」(ちょっと不本意ですが)ことが始めるほうがはるかに早い場合も少なくないように思います。

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2010/9/22



 運動会ご苦労さまでした。反省や評価は慰労会の中で出ましたので改めては言いません。

 さて、一日登校しただけで休日。明日は秋分の日です(飛び石連休というのはありますが、飛び石登校というのはなかなか意気があがりません。しかし日程上、しかたありませんね)。

 太陽が真東から昇り真西に沈む日で、昼夜の時間が12時間ずつで同じになります(正確には様々な条件によって完全に同じではないそうですが)。春分の日とともに毎年天文学的に説明される可変の祝日で、年によって日の違う祝日というのは世界的にも珍しいのだそうです。

 私は子どものころ、春分と秋分は休日でお墓参りに行くのに、夏至と冬至は休みにもならなければお墓参りにも行かないのがとても不思議でした。しかし教えてくれる人もいないのでそのままにしておいたのですが、疑問は忘れずにいればいつか解決するものです。教師になって修学旅行の学習をしているときに、その答えはポンと向こうからやってきました。それによると・・・。

 秋分・春分というのは二十四節季と呼ばれる太陰暦上の言葉であって、天文学的には上に書いたような意味を持ちます。しかし仏教的行事の観点から見ると、秋分の日を中心とした七日間を「秋のお彼岸」と呼び、秋分の日を中心とした七日間を「秋のお彼岸」と呼ぶので、秋分と彼岸は同一視されるようになっています。

 彼岸はサンスクリット(古代インド語)の「パーラミータ(波羅蜜多)」を中国語に訳した「到彼岸」をさらに省略した言葉で、文字通り「向こうの岸」を表すものです。
(こうした省略の例は「ウラバンガ」→「盂蘭盆(うらぼん)」→「盆」のようにけっこうたくさんあります)。
「彼岸」は、煩悩に苦しむ現実世界「此岸(しがん:こちらの岸)」に対置して、煩悩を解脱した世界を表します。

 理屈上、亡くなった人たちは法要などによって煩悩を捨て去り、「仏様」になって向こう岸におられます。お彼岸というのはその「彼岸におられる方(仏様・ご先祖)」を思う日であり、「自分も彼岸に生き返るぞ(到彼岸)」と決意を新たにする日とも言えます。

 彼岸が秋分・春分であることについてはいろいろな説明があるそうですが、
@昼と夜の時間が同じことから、同じように存在する此岸・彼岸を想い安い
A仏様は極楽浄土(西方浄土)におられるので、太陽が真西に沈む秋分・春分は彼岸に想いを寄せやすい
などといった説が有力なようです。

 こうした説明は子どもには難しいので、「三途の川を挟んで、向こう岸にいるご先祖のことを考える日なんだよ」といった言い方をしましたが、これもさほど間違った説明ではないでしょう。

 なお、「お彼岸」というのは日本独自の風習だそうです。私は良いことだと思っています。


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