2010/8/31

身につけた三つのこと  教育・学校・教師


 教員には様々な資質が必要です。その中には生まれながら持っていたり、大人になる過程で自然に身についたりするものもありますが、教員になって初めて「それがない」ことに気づき、あわててやらなければならない、そんなこともあります。私にとって、それは大きく三つでした。

@ 瞬間的に怒る
 もともとはそうとうにおっとりとした性質でした。高校生のころ、自転車で学校を出たところ嫌な同級生に横から蹴られかなり危険な目にあいました。ヨロヨロと進んでようやく立て直したら後ろから「藤井!怒れ!」という声がして、見るとやはり自転車で後ろを走っていた友だちが真っ赤な顔をして怒っています。それで「ああ、やっぱり怒っておけばよかった」・・・。

 万事こんな調子ですから教員になってからも苦労します。事件の翌日になって生徒を呼び出し、「あれからよく考えたのだけどね、やっぱキミのやったことは良くないよ」では指導になりません。何か悪事があったら瞬間的に反応しまず怒る、そういうことができないと教師は務まらないのです。
これについてはかなり意識的に努力しました。そして今度は怒りをコントロールするのに苦労するようになりました。


A 理詰めにしない
 かつて最も好きな教科は算数・数学でした。たとえば反比例のグラフ、手描きだと軸にくっついて見える線も、漸近線である以上は絶対にくっつかない、地の果てまで進んでもつくことはない、そういうクリアな感じが好きでした。何百人反対者がいても私が正答を出せば必ず勝てるという確かさも性に合いました。

 しかし学校というところはものすごく人間くさいところで、特に生徒や保護者とのやり取りは論理のせめぎ合いではなく、情の問題である場合が少なくないのです。ディベートではなくヤクザの手打ちみたいなところがあって、本質的な問題解決はできていないのに政治的に問題が解決してしまうということがしばしばあります。そしてその方が結果の良い場合が大半なのです。情で納める、これは今でも苦手ですが、いつも心に留めています。


B 完勝しない
 上の「理詰め」にも関わりますが、特に保護者が相手の場合、完膚なきまでに相手をやっつけてしまうとあとの対応が格段に難しくなることがあります。

 息子がイジメられたと学校に乗り込んできたら、ほんとうに悪いのは息子のほうだったというような場合がそれですが、こんなときこちらの圧勝で終わってしまうと親も傷つきます。そして傷ついた人間がおとなしくなるとは限りません。特に相手が大人の場合は遺恨を残します。

「戦闘に勝って戦争に負ける」という言い方がありますが、圧勝できるときも自重しておかないとあとで復讐を受けたりします。圧勝のときも8:2くらいで相手に花を持たせなければなりません。

 以上、なかなかうまく行かないことも多い(何しろ根っからそういうことが得意というわけではありませんので)のですが、教員になってからずっと心していることです。


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2010/8/30

コリジョンコース現象  知識


 先週木曜日の「アンビリーバボー」で興味深い話をしていたので紹介しておきます。それは「コリジョンコース現象」と呼ばれる目の錯覚に関わる話です。

 田園地帯のようなまったく見通しの良い場所の交差点に、2台の車が同時に侵入して大きな事故になるということがあります。私の住む○○地区の畑でもしばしば起こる事故です。しかも衝突した車の双方とも、まったくためらいなく交差点に侵入しています。このとき起こっているのが「コリジョンコース現象」なのだそうです。

 人間の目には「動くものには注意が向くが、動かないものには向きにくい」という性質があります。この性質のおかげで、目に映るすべての事物に注意を奪われることなく、安全な運転ができるのです。ところがこの安全のための性質がときに盲点となるのです。

 先にお話したような非常に見通しの良い場所に、直角に交わる交差点があるとしましょう。そこに2台の車が、1台は南から、もう1台は西から侵入しようとしているとします。南から北へ向かう車から見ると、もう1台は左から右へ向かって走ることになります。このとき交差点から同じ距離をスタート地点として同じ速度で交差点に向かうとします。つまり衝突地点にまっしぐらの状況です。

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 するとこちらから見た場合、相手の車はどんなに進んでも常に視線の左45度の位置に見え続けることになります。車はどんどん近付き、車体は多少大きく見えるようになっていますが、フロントガラスの中では、相手の車は「ずっと停まって見える」のです。そして人間の目は「動かないもの注意が向きにくい」という性質が発動するのです。テレビでは映像で紹介していましたが、実験と分かっていても見逃しそうな感じでした。

 それで思い出したのが、昨年末、前任校の先生が起こしてしまったミニ・バイクとの衝突事故です。ニュースにもなったので覚えておいでの先生も多いかと思いますが、あのときこちらは直角カーブからの立ち上がりで十分な速度は出ておらず、左から来たのはミニ・バイクとはいえゆるい下り坂でスピードは高めだったに違いありません。

 もちろん一旦停止の見逃しですから弁解の余地は全くないのですが、ぶつかってボンネット上を人が滑って落ちるまで完全に気付かなかったという証言は、これによって説明できます。

 私たちは見通しの良い道路では衝突の危険などないと思いがちです。しかし見通しがよいからこそ危険な場合もあるのです。
「コリジョンコース現象」、覚えておいて損はないと思いました。


 参考URL「アンビリバボー」→BACKNUMBER→2010年8月26日「実録交通事故ミステリー」






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2010/8/27

仕事に役立つ文具術E〜書く  文具・道具・器具


【ボールペン】
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 赤も黒もペンテル社の「Hybrid」を愛用しています。

 水性で万年筆で書いたのとよく似た味わいがあり、滑りすぎず引っかからず、非常によい感じで手になじみます。慣れということもありますがこれ以外のボールペンの使用は考えられません。
 据え置き用と持ち運び用で、計6本を常に置いています。

 ところで若いころ、私はボールペンをほとんど使いきったことがありませんでした。すぐになくしてしまうのです。ものの扱いがしっかりしていて軸の中でインクがとても短くなったボールペンを持っている人が、ほんとうに格好良く見え、羨ましかったものです。

 ところがある時、ふと思いついてボールペンに名前をつけるようにしました。付箋紙を短く切って印を押し、軸の中に入れておくだけのことです(写真の丸印のところ)。ところがこれが効果てきめんで、置き忘れたボールペンはほぼ100%確実に戻ってくるようになりました。以後ボールペン購入は芯だけとなっています。芯だけですから名札を入れ直すこともありません。

 私の発明の中で、もっともすぐれたものだと自負しています。


【マーカー】
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 ペンテル社Handy-line黄色を使っています。
 マーカーは10年以上前から黄色しか持ちません。黄色にはほかの色にはない特別に優れた性質があるからです。コピー機にかけたとき、黄色は検出できないのです。

 何か書類をもらってそれをマーキングし、あとで誰かに増し刷りしようとしたとき、マーカーの跡は非常に邪魔です。汚れのように映し出されて見にくいし、マーキングは個性ですから読み取られるのもいやです。そんなとき黄色はとても便利です(ただし蛍光色のマーカーは一部薄く検視しますし、濃い黄色もだめです。そこで多少の選択が必要になってきます)。

 写真のマーカーはたまたま景品としてもらったものですが、驚いたことにノック式です。マーカーを使うときは同時にペンを使って激しく持ち替えている場合が多く、キャップを外して机上に置いたマーカーが書類を汚したり、放置しているうちに色が濃くなったりと困ることが少なくありませんでした。ノック式だと問題はほとんどなくなります。色合いもちょうどいい感じでした。ただしHandy-lineはやや乾きやすく、長持ちしない印象もあります。

 黄色のマーカーはコピーを騙す、というのは私の全くのオリジナルな発見で誰も知らないだろうと自負していたのですが、ある日気がつくと大部分の人たちが黄色になっていました。やはり自然に気がつくものなのですね。


【シャープペンシル】
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 シャープペンシルは基本的に使いません。しかし必要なこともあるので持つようにしています。
 写真は、これももらいもので、ボールペン(赤・黒)とシャープペンシルが、一本の軸に入っています。「TANIEVER 4F-CL」という商品ですが、何がいいかと言うと軸のお尻の部分がシャチハタ式の印鑑になっているのです。印鑑は持ち忘れも多いものですから、シャープペンと一緒だと非常に便利です。




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2010/8/26

日本をアメリカにしたくない  教育・学校・教師


 23日夜、東京・新宿区の京王線新宿駅ホームで慶大名誉教授の佐藤方哉さんという方が酔っ払いに押されて転落し、列車に挟まれて亡くなりました。作家の佐藤春夫の長男に当たる人だそうです。

 この方哉さんについては知りませんが、お母さんは文学史上、奇妙なエピソードで有名な人です。というのは、もともとは谷崎潤一郎の夫人で、それを佐藤春夫が横恋慕し、結局協議の上で谷崎から佐藤に譲り渡されるという事件があったからです。「細君譲渡事件」として新聞などでも報道され、大きな反響を呼び起こしたといいます。
 実に円満な「譲渡」であったらしく、離婚成立後、三人連名の挨拶状を知人に送ったり、生まれた子どもに方哉という名前をつけたのも谷崎だといいますから、昭和の文人の神経は理解できません。

 さて、しかし今問題にしたいのはお母さんのことではなく、方哉さんの事故についてです。

 この事件について一昨日夜のニュース番組で、あるコメンテータがこんなことを言っていました。

―とにかく日本は酔っ払いに寛容すぎる。私はここ数年アメリカに住んでいるが、アメリカ人だって酒は大量に飲むものの、公私の別はわきまえ、家の中で飲んでも公共の場で酔っ払うことはほとんどない。公の場で酔っ払うことはその人の人格を疑われ、問題とされるために、街を酔っ払いが歩くということはない。その点、まだまだ日本人は未熟と言える。

そんな内容です。

 アメリカ人の方が道徳的に成熟しているなどといったタワケた話は聞きたくもありません。ニューヨークっ子が泥酔して街を徘徊しないのは、もっと現実的な理由があるからなのでしょう。そのことは、ニューヨークで酔っ払って寝込んだら何が起こるか、想像してみれば容易に分かることです。
 
 文化は高いところから低きに流れますから様々な考え方や事物がアメリカからやってくるのは仕方ないにしても、だからと言ってそれが正しいわけではありません。日本が酒やタバコに厳しく銃に寛容な国になったほうがいいと思う人はいないでしょう。

 同様に教育問題に関しても、アメリカ発の思想・制度・方法が無定見に日本に入り込んでいます。学校自己評価・危機管理マニュアル・学校マネージメント・PDCAサイクル、みなそうです。

 松居和という人は「子育てのゆくえ」という本の中で,
『家庭の問題に関して「欧米では」ときたら、まず反射的に「それは真似してはいけないこと」と考えるような癖がついている』
 と言っていますが、私はアメリカから「教育」を学ぶことにも基本的な不信感があります。学力・非行・中退問題、どれをとっても日本の方が圧倒的にいい状態にあります。「身分が違う」といいたくなるほど日本のほうが優れているのに、あえてアメリカから学ぶ理由が分からないのです。
 もちろん日本より学力の高いと言われているフィンランドや韓国・香港や台湾から学ぶと言うなら理解もできますが、アメリカはダメです。

 しかしそれにしてもフィンランドはともかく、韓国や香港・台湾から学ぼうという話がまったく出てこないのは、これが民族差別でないなら根本的なところにまやかしがあるということです。


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