2010/5/31

歯の衛生週間  教育・学校・教師


 明日から「歯の衛生週間」が始まります。

 私は親世代が戦前の人間で、歯ブラシなどしなくても虫歯にならなかった人たちなので必然的に歯ブラシの習慣がなく、そのためにいたずらに虫歯を増やした年齢層です。したがって歯についてよい思い出がありません。

 歯はさらに、極めて不公平な遺伝的形質を持ち、私のように歯質の弱いタイプはいくら磨いても問題が絶えず、そうかと思うと歯ブラシなどまったくしないのに虫歯一本ないという人だっています。私の友人の一人もそうでした。

 しかしこの歳までくるとそうした歯質の強い人たちにも影響が現れます。そんな友人の一人は、現在は一本の歯も残っていません。すべて歯槽膿漏で失ってしまったのです。虫歯のないまったくきれいなままの歯が、ぽろりぽろりと抜けて行ったそうです。

 どんな場合も歯ブラシは必要ですね(日本人が失う歯の半分は、そんなふうに歯槽膿漏によって抜けたものだという話を聞いたことがあります)。


 歯の指導については、先輩の先生からこんな話を聞いたことがあります。

【昼食後の歯磨き指導について】
@給食準備の段階で、机の上に歯磨き用のコップを出させておく。
A配膳の時間に、給食当番の一人がやかんを持って水を配る。
B給食を食べ終わった者からその場で歯磨きを始める。
C磨き終わったら口に水を含んでグチュクチュチュうがいをする。
Dその水はそのままゴックンと飲む(!)。
 「自分の口の中のものだから汚くネーダロ!」と言っておく。
E歯ブラシをコップの中でゆすぐ。
のだそうです。

【虫歯治療について】
@以下の2点を押さえておく。
・「虫歯は風邪とは違う。風邪なら医者に行かなかったけど大人しくしていたら治ったということもあるが、虫歯だけは歯医者に行かないと絶対に治らない」
・「学校で初めて虫歯だと言われた歯は、その週のうちに歯医者に行けばほぼ確実に一回の治療で治る。多くても2回で済む。時間、手間、費用どれを考えても絶対に得だ」

A親と相談させ、本人の名前と歯科医に行く日を黒板に書かせる。治療が終わったら担任に報告させ黒板の記述を消させる。2回目が必要なら日付を書き直させる。
以上2点で、必ずうまくいくとのことでした。

「黒板に名前を書かせるのは、人権的に問題はありませんか?」と聞いたところ、「罰として名前をさらしているわけではない。担任と本人の覚書だ。正確に言えば担任が忘れないためのメモだ」とのことでした。

 私はちょっと勇気がありませんので、用箋バサミに紙を1枚挟んでそこに記入させ、担任の机の上に置いておきます。

 私自身が歯でとても苦しんだので、虫歯予防・治療の指導には力が入り、この点ではなかなかうまくいっています。教師として、いい腕をしているということです、この点では。


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2010/5/28

魔法の言葉  教育・学校・教師

 
 たとえば他人の靴をそれとなくなおしてやるような、縁の下の力持ちみたいなことを指導する時には、こんな言葉を付け加えておきます。

「それから大事なことだけどね、いいことをしたらね、人に言ってはいけないんだよ」

 どんなに良い行いも他人に吹聴したら価値が下がる、というのは大人の倫理で子どもには分かりにくいものです。しかしそれがないと私たちはいつまでも誉め続けなくてはならないし、誉められなければやらない子も生み出してしまいます。また、靴揃えのように「いつまでもやらなければならないこと」は忘れたりマンネリ化したりもします。その意味でも、誉められなくても陰でがんばれる子の確保は絶対に必要です。

「いいことをしたらね、人に言ってはいけないよ」で足りなければ「神様が絶対見ていてくれるから」と重ねてもけっこうです。

そんなふうに言われて本気で取り組むような子は確実に幸せになりますから、幸せが実感できるようなできごとがあったら「ホラね、神様は見ていてくれたでしょ」と言えばいいだけのことですから。


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2010/5/27



 山の緑は刻々と変わっていきます。

 つい最近まで枯れ色でほんとうに生きた植物がないのかもしれないと思われた部分もやがて赤茶から白っぽい緑に変わり、そして今はすっかり黄緑として広がっています。

 それにつれてモコモコと見えていたシラカバも、地の色に溶け込んで見えなくなってしまいました。

 ほんとうに不思議ですね。

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2010/5/26

池田小事件のこと  教育・学校・教師


 昨日は池田小学校のような事件を想定しての避難訓練が果たして必要なのか、というお話をしましたが、それとは別に、この事件から学んでおくべきことがあるのは事実です。

 さて、池田小の事件では大きな三つの点が指摘されました。

 第一は、池田小職員が侵入途中の犯人とすれ違ったにもかかわらず、保護者か何かと思い、挨拶をしただけで通り過ぎてしまったこと。(結局その先生のクラスが最初に襲われ、5名の死者が出た)

 第二に、二番目に襲われた教室の学級担任が、児童を避難させるための適切な処置をとらず、学校全体に通報することもしないまま事務室の電話から110番をかけたため、事件が学校全体に共有されなかったこと。また、そのため救急車要請の電話も遅れた(結局、警察が手配した)。

 第三に、事件直後の状況把握が甘く、副校長を始め指示を出すべき人々が最後の現場教室を唯一の犯行現場と勘違いしたために、他のクラスで倒れている児童の救出が遅れたこと(一部の児童は現場に20分に渡って放置された)。


 第一の点については、現在のところこれを完全に防ぐ術はありません。大都会の一等地でないかぎり、学校を完全な封鎖系にすることは不可能です。周囲を塀とフェンスの囲いきるには膨大な予算が必要です。また校内にはたくさんの業者・保護者が出入りしますから、そのすべてを把握することはできません。
 来校者に記録簿をつけてもらったり名札をかけてもらったりといった現在の対応と、明らかな不審者を外に押し出す仕組みをつくっておくことがせいぜいでしょう。

 第二の点についても対応の難しいところです。ただし、いったん警察や消防署に電話をかけると、話が1分や2分ではすまないということは、知識として知っていると便利です。「住所は」と聞かれてすぐに答えられる職員は少ないでしょう。建物の目印はと聞かれてとっさに思いつかない場合もあります。そうこうしているうちに5分や10分はすぐに過ぎてしまいます(ただし、電話をかけ終わらないとパトカーや救急車は動かないというわけではありません。警察の場合、電話を受けた係官は話をしながらメモを続けますが、そのメモと電話内容をモニターしながら近くのパトカーに次々と指示を出す別の係官がいるようです)。

 私は、通報は携帯電話から行う方がいいと思っています。なぜなら移動しながら刻々と状況を説明することができるからです。以前、学校から100mほどのところで生徒がはねられる事故があったとき、私を初めとする駆けつけた職員全員が携帯を持ち忘れたことがあり、そのときは校内との連絡にさえ事欠きました。携帯をもって移動する癖はつけておきたいと思います。

 第三の点は問題です。
 事実確認というのは最も重要な案件です。池田小の場合、ある教室では出血のひどい子を抱きながら、担任が「なぜ誰も来ないのだ」と怒りながら泣きじゃくっていました。しかし「そこも現場」であることを誰も知らなかったし、知られていないことにその担任も気づかなかったのです。

 事件があったとき、職員全員が事件そのものに関わる必要はありません。事件の中核から外れたところに何か遺漏はないか、そういった点に頭の回る人プがいます。私は頭が固くそういうタイプではありませんので、だれかがその役を担ってくれるとありがたいですね。



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2010/5/25

子どもを守ること  教育・学校・教師


 たった1年あるいは数年の違いなのに、年号や世紀が変わると、なぜ世界は変化してしまうのだろう、歴史を学んでいるとよくそういうことを思います。明治が大正に変わっただけで、厳格で上昇志向の強かった雰囲気は一気に自由闊達な大正デモクラシーへと変わっていきます。そして昭和が始まるとすぐに金融恐慌が起こりあっという間に昭和前期の暗い雰囲気が漂うようになります。金融恐慌は昭和2年の3月ですが、昭和元年は1週間しかありませんでしたから大正が終わってわずか三ヵ月後のことです。

 昭和の後半は自由・平和と経済の時代です。それが平成に入ったとたんに長い不況に陥り、ばら色の夢は消えていきます。憲法改正が話題になったり自衛隊の海外派遣といったことは、昭和の間は誰も考えなかったことです。

 2001年、21世紀が始まった年に9・11同時多発テロがあり、世界の構造がまったく変わってしまいました。同じ年、日本では小泉政権が誕生し小泉劇場と呼ばれるような派手な政治が始まります。また、12月には敬宮(としのみや)愛子内親王が誕生され、皇室のありかたも徐々に変化し始めました。

 そして私たちにとって、この年は大阪教育大学附属池田小学校の年として記憶されています。これによって学校は大いに変わりました。学校開放は大きく後退し、ホームページからも子どもたちの生き生きとした表情が消えてしまいました。当たり前のようにつけていた名札も校外では外され、地域の方たちが気軽に訪れていた学校の入り口に来校者台帳が置かれるようになりました。各地にボランティアによる地域の見守り隊が結成され、集団登下校も始まったりしましたが、このことは裏を返せば、子どもたちが寄り道をしたり回り道をしたりして自由に登下校できた時代から、大人の完全な監視下に入ったことも意味します。各学校にはサスマタやら防犯ネットやらが常備され、警察への通報装置が整備されるとともに侵入者対応の訓練も繰り返し行われるようになりました。

 しかし私は、このタイプの防犯訓練には疑問があります。池田小事件から10年、この間、学校に侵入し子どもを次々と殺すといった事件は池田小事件1件だけです。いや100年遡っても1件だけでしょう。そうした稀有な事件のために、大切な授業を削って訓練することにどういう意味があるのかという疑問です。

 もちろん授業時数が無限にあればいいのですが、ほかにやるべきことがたくさんある中で、こうした訓練が優先されるのは一種のパフォーマンスではないかという気さえしているのです。今の侵入者対応避難訓練が必要なら、侵入者が二人の場合、三人の場合の訓練だって必要になります。滅多に起きない、予想できないという点ではどれも同じはずです。

 それよりこの10年だけを見ても、登下校中に誘拐されたり刺されたりといった事件の方がはるかに多く、訓練すべきはまずこちらという気もしています。知らない人に道を聞かれたときにどうすればよいのか、お菓子を上げるとか、車に乗せてあげると言われたときにどう対応すればよいのか、交通事故に合ったとき(見たとき)どうすればよいのか、そういったことを具体的に訓練しておくことの方が、よほど価値があると思うのです。

 ただし、子どもが被害者になる殺人ということになると、おそらく一番多いのが家庭の中です。もちろん親から身を守る訓練など、やりようがないのですが。

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2010/5/24

二の矢、三の矢  教育・学校・教師


 前任校はそこそこ大きな学校でしたので音楽会もずいぶん派手で、先生たちの気合いも並大抵のものではありません。すばらしい演奏がたくさんあったのですが、私が特に記憶しているのは一昨年の1年生の演奏です。

 とても落ち着きに欠ける学年で、入学式の記念写真もあっちが止まればこっちが動き出す、なぜか知らないが大声で泣き出す、やたら踊り出すといった具合で、3クラスの撮影を終えるのに45分もかかったという記録を持つ学年です。その1年生がわずか3ヶ月で見事な演奏を成功させたのです。特に、飛びぬけて集中力も落ち着きなくすぐにうろうろと立ち歩いてしまうA君が、最後までがんばった姿には驚かされました。

「A君もそれなりに成長したね」というのが多くの保護者や先生たちの感想ですが、その陰にたくさんの仕掛けがあったのを私は知っていますのでここに紹介します。


 まず、新しい曲をやっても集中して練習することなどできそうにないので、5月末までに授業で習った五つの曲を構成し、それで音楽会の発表曲としました(@これまでの力でできることをする)

 単に並べるだけではつまらないので、「1年探検隊の冒険」というストーリーでつなげました。その上でA君を探検隊の隊長に任命しておきます(A責任を与える)。隊長ですから簡単に気を抜くことはできません。

 発表はA君の「さあ行くぞ!みんな!」から始まるので、とりあえずステージに上り曲が始まるところまでは緊張感が保てます(Bスタートをきちんとさせる)。

 隊長の仕事はそれだけではありません。曲が変わるごとの曲名を書いたノボリを振り回す仕事があります(隊長ですから)。したがって曲の変わり目に注意していなければ仕事になりません。それで緊張感を保ちます(C集中力を持続させる、気分を変える)
 歌うことは強制されていません。きちんと最後まで歌うことは困難なお子さんです。しかし最後までノボリを振り回すのはさほど難しい仕事ではないので、がんばるように言われています(何しろ隊長ですから)。

A君の立つ場所はステージの袖です。そこに垂れ下がっている緞帳の裏には、ピンで留めた演奏順の紙があります。A君が間違えて途中で嫌にならないように用意したものです(D本人の不注意をブロックする)

 ここまでやれば、九分九厘できそうですが、優秀な教員というのはここで満足したりしません。それにA君は一筋縄ではいかない子です。

 ステージの床を見ると、A君の立ち位置には白いビニールテープで四角囲いがしてあります。ここがいかにもプロらしいのですが、発達障害のお子さんの一部は、フラフラと移動したあとで戻る場所が分からない場合があるらしいのです。その気はあっても戻る場所が分からないのでフラフラし続ける、そういうお子さんは戻るべき場所が明示されているだけでずいぶんと助かるのです(E立ち位置をマーキング)

 さらに、ここまでやっても無理な場合もあります。音楽会のステージという担任が手出しできない場所では、何が起こるか分かりません。そこでステージ袖の観客席から見えないところに、画用紙とクレヨンを用意します。本人には「どうしても我慢できなかったら、ここで絵を描いていてもいいよ」と言い含めておきます。絵を描くことが好きな子なのです(F最悪の場合の備えもしておく)

 結局FとEは使われませんでしたしDの演奏順の紙も見なかったのかもしれません。しかしそこまで準備して初めて@〜Cが生きてくるのです。

 A君はしばらくどこに行っても誉められます。多くの保護者が「A君がんばったね」と声をかけてくれます。それが次の活動のモチベーションになります。ここが大事です。A君のお母さんもすっかり安心して、学校に信頼を寄せます。それも大事なことです。

 すべて1年生担任と特別支援コーディネーターがやった仕事です。

 私もこういったプロらしい、プロにしかできない仕事ができるようになりたい思いました。


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