2010/2/26

エコヒイキは許しませんぞ  教育・学校・教師


 外から帰ってきたら清掃の時間で、なのに働きもせずおしゃべりをしている子が目についたので、思い切り怒鳴り上げておきました。

 清掃に関しては、教師にさまざまな立場があります。この活動を通して正しい清掃、よき生活習慣を身につけさせたいと考えている人がいます。とにかくこの時間を繰り返すことで、こざっぱりとした清潔で美しい教室を維持しようという人もいます。あるいは我慢強い子どもを育てるためにはぜひとも必要な時間だと考える人もいます。

 それぞれの立場によって清掃に対するアプローチも違ってきますし、具体的な指導の一つひとつが異なってきます。

 私にも多少思うところはあります。しかしすべての子どもにきちんと掃除をやらせたい最大の理由は、この時間が学校生活の中でもっとも不公平が出るからです。先の例で言えば、働きもせずにおしゃべりしている児童の隣りで、だまって黙々と働く児童がいるからです。同じ小学生の同じクラスの仲間なのに、片方は奴隷のごとく働き、もう一方が王族のようにゆったりと時を過ごす、それが我慢なりません。全員で公平にサボるという方法もありますが、その方がマシなくらいです。

 無言清掃が大切なのも同じ理由です。元気よく話しをしながら黙々と働くというのは形容矛盾です。どんな事務所や工場へ行っても、おしゃべりすることが奨励されるような場所はないでしょう。歌手や司会業でもない限り、黙って働くのが基本です。適切な情報交換がなければ分担場所はきれいにならないという考えもありますが、必要なら掃除の始まる前、あるいは終わった後で翌日のこととして相談すればいいことです。その場で話すというのは計画性のないことです。

 必要な会話だと許しているといちいち不必要な会話との区別を私たちがつけなくてはなりませんし、不必要となればその都度注意しなくてはなりません。その私たちの声がうるさくもあります。

 子どもたちに一番嫌われる先生はエコヒイキする先生です。こればかりは昔も今も変わりません。しかし教師や親のエコヒイキは厳しく糾弾するのに自分自身をエコヒイキすることにはまったく頓着しない子がいます。掃除の時間に遊んでいられる子たちです。そういう醜さを、私は絶対に許せないのです。



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2010/2/25

マナーする心  教育・学校・教師


 いよいよ卒業式の歌の練習が始まりました。

 私も張り切って会場に行こうとしたのですがその矢先、急な電話があって出るのが遅れてしまいました。

 だいぶ遅れて音楽室へ向かったのですが、その途中で見つけたのが4・5年生の練習場所である視聴覚室の前に並べられた靴です。なんとまあ美しく並べられていることか。

 あるいは先生のどなたかが指導したのかもしれませんが、言われたからといってこうも美しく並べられるものではありいません。きっといつも繰り返し指導されているからできるのですね。

 道徳の一部である「マナー」は、これはもう善悪の問題ではありません。
 それを守れば他人の迷惑にならないといった性質のものではないのです。
日本で「マナー」と読んでいるものの大分は、美しさにかかわるものです。

 多少靴の並び方が歪んでいたってそれで迷惑というこはないでしょう。要は、揃っていることは美しいことであって、その美しさを共有することはとても気分の良いことだと、4・5年生の子どもたちは分かっているということです。

 朝から気分のいいものを見せていただきました。
 昨日は一日、上機嫌でした。


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2010/2/24

24時間働けますか(?)  教育・学校・教師


 先週の土曜日、保護者と話をする関係で9時までに学校に来なければならず、実際には8時40分頃到着しました。そうしたら子どもが一人玄関先で待っています。

 聞くと、その日の朝、地区の役員の方と子ども会の打ち合わせをしなければならないのに、大切なファイルを学校に忘れたとのことでした。友だちに事情を話したら「土曜日でも日曜日でも、9時までには必ず先生が来てるから入れてもらうといい」という話だったので8時半から待っていたとのことです。

 休日でも必ず来ている、と思われているのもシャクでしたが、実際に来ているのでさらにシャクな気分でした。そもそもたとえ保護者とはいえ平然と「ご相談したいことがあるのでが、お話できますか? 土曜日でないと無理なんですが」といわれた時からイライラしていたのです(土曜日に来るのはかまわないのですが、それが当然と思われているのが嫌です)。

 これは教頭先生から聞いた話ですが、何年も前から、東京にマンションを持たないかという業者の電話が繰り返し入ってくるようです。初めは教頭先生クラスから始まって次第に教務主任クラスやその下の年齢の先生方にもかかってくるようになった(私も何回か受けています)ようですが、「勤務中ですから」と断っていたら5時以降もかかるようになり「忙しいから時間外勤務してるんだ!」と怒ったら今度は9時過ぎにかかるようになったと怒っておられました。その時間にも仕事をしていて、そろそろヒマになるころだと思われているところがシャクですよね。

 学校の先生というものは、24時間働いて当然だと思っているわけではないでしょうが、こんなふうコンビに並の対応をしているから、さらに要求は高まるのかもしれないと、ふとそんなことを思ったりもしました。

 しかしだからといって、仕事がある以上、休日出勤をゼロに時間外勤務を減らすのも難しいですよね。
 


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2010/2/23

思いつきですが−表現力  教育・学校・教師


 表現力のある子を育てたいというとき、私たちはどんな理想像、到達点を思い浮かべているのでしょう。

 ごく一般的な意味で「表現力のある人」というのは、たぶん自分の思いや考えを適切な言葉で表し、相手に十全に伝える能力をもった人のことを言います。つまり最初のステップは言語、そのなかでも文章表現ということになります。

 文章表現というのは二つの要素から成り立っています。ひとつは「語彙」でもうひとつは「その組み合わせ」です。たとえば「雲ひとつない青空」という文章表現は「雲」「ひとつない」「青空」という三つの語彙がなければ成立しません。そしてこの三つを重ね合わせる組み合わせ「雲ひとつない青空」が「すばらしい晴天」を表すという知識がなければ使えないのです。

 ただし「雲ひとつない青空」にはオリジナリティはありませんし、その人の感じた空の美しさを十全に表現したものとは言いがたいでしょう。それは例えば短歌の「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」といった、すさまじい語彙の選択と組み合わせを見せつけられると、歴然としてきます。そしてこの短歌を詠むとき、言葉の音の組み合わせも文章表現の重要な要素であることが分かってきます。

 言語表現、コミュニケーション上の表現となるとさらに別な要素が加わります。それは、第一に使う言葉の発音や発声です。声の高低、音の強弱は、言葉でものごとを伝えるうえで大切な条件でしょう。そしてさらにひとつ、「人は見た目が8割」である以上、表情や身振り手振りといった身体表現もコミュニケーション上、相当に重要視されなければなりません。 

 今日のところは、そこまでです。もちろん学校ですから、絵画表現、音楽表現、数式上の表現といったことも含めると壮大な話になってしまうのですが。



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2010/2/22

愛他精神は組み込まれている  教育・学校・教師


 昨日の報道番組「サンデー・モーニング」で、先週、東京の高円寺駅で起こった女性転落事故についてあつかっていました。酔って線路に落下した女性を、若い男性がとっさの判断で救ったという話です。

 その番組の中で、「人間には他者を助けようという愛他精神が組み込まれている。しかし『他人とは関わらない』といった都会のルールによって、無我夢中といった特別な状況でない限り、愛他精神は生かされないようになっている」といった分析が語られていました。

 私は前半(人間には愛他精神が組み込まれている)には賛成しますが、後半の(都会のルールが愛他行動を疎外している)には不賛成です。人間はそれほど悪者ではありません。

 番組の中でも紹介されていましたが、人は助けるべき人間が自分しかいなければほぼ100%助けるのです。それが人数が増えるに従って「誰かがやってくれるはずだ」という気持ちに動かされ、愛他行動の発動が遅れるのです。私たちには自己を守ろうとする本能がありますから、他に助けてくれる人がいそうな状況だと身体は動かないのです。しかし大切なことは防衛本能ではありません。人間には愛他精神が組み込まれているということです。


 1999年の暮れに自衛隊機が埼玉県狭山の入間川河川敷に墜落するという事故がありました。二人のパイロットは戦闘機を人家に落とさないためにぎりぎりまで脱出をためらい、河川敷に落ちる事が確実になってから脱出装置を働かせたために結局間に合わず亡くなりました。

 この事故について、近くの狭山ヶ丘高校の校長先生が学校通信に一文を載せ、それがネットを通じて全国的に広められました。

「人間を矮小化してはならぬ」と題されたその文の中で、校長先生はパイロットたちの偉大な決断を讃えたあと、

「他人の命と自分の命の二者択一を迫られたとき、迷わず他人を選ぶ、この犠牲的精神の何と崇高なことでしょう。皆さんはどうですか。このような英雄的死を選ぶことができますか」

と問いかけます。この文の一番優れた部分は次に来ます。

「私は、おそらく皆さんも同じコースを選ぶと思います。私も必ずそうするでしょう。実は、人間は、神の手によって、そのように作られているのです」

 私たちは他人の業績を誉め讃えるとき、つい「私たちにはできませんよね。でも一歩でもそれに近づけるよう頑張りましょう」といった方向に話を持って行きがちです。しかしそうではないのです。私たちの心の中には、美しいもの、優れたもの、喜ばしいものが山ほど詰まっているのですが、それが行動に移せないのは機会がなかったり、経験が浅かったり、ちょっとした勇気がなかったりするだけなのです。

 その時が来れば、人は他者のために進んで自分の身を捧げるはずです。私はそんなふうに子どもと接して行きたいと思います。


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2010/2/19

21世紀少年たち  教育・学校・教師


 先生方、昨日は学習発表会、ご苦労様でした。

 私はたまたま空き時間があったので、2年生のクラスを見せていただきました。2学年はすべてのクラスでお母さんやお父さんへ感謝の言葉を述べる場面があったのでしょうかたまたま1組と2組で発表の場面を見ましたが、その中でK君が「ボクは2001年○月○日に生まれました」という自己紹介をするのを見て、度肝を抜かれました。

「こいつら、全員『21世紀少年』か?!」


  数えてみると今の2年生から、全員が21世紀生まれなのです。

 この子たちの中から確実に22世紀を生きる人間が出てきます。今世紀の後半にはips細胞から自分自身の臓器を作り出し移植する(したがって拒否反応ゼロ)時代が来ると信じられています。従ってこの子たちの何人かは80歳を過ぎても虫歯一本ない一揃いの歯牙を持ち、内臓のどこにも深刻な問題を抱えないスーパー人類になっている可能性があるのです。もしかしたら皮膚までも繰り返し更新され、従って老いも見えない不思議な老人になっているかもしれません。

と、そんなことを考えながらも、DVDで見る「2001年 宇宙の旅」や鉄腕アトムが2003年生まれであることを考えると、科学は驚くほど進歩しない可能性も残されています。

 2001年○月○日生まれのK君について言えば、未来に生きる姿より、17世紀くらいの牧歌的雰囲気の方がはるかに似合うのは確実なのですが、そんなことも含めて、この子たちの成長がまたひとつ楽しみになってきました。


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