2009/12/9

児童のガバナビリティ  教育・学校・教師


 理研展示会での入賞者が13人もいて、校長室で記念写真を撮ろうにもフレームに収まりませんでした(昨年は6人ほどなので簡単でしたが)。

 職員室の廊下に張った絵画展や作文コンクールの賞状も尋常な数でなく、低い賞の分は張り切れなくて、直接児童に渡すことにしました。そのほか各種スポーツ大会や、音楽の活躍・・・今年は何が違ったのでしょうか。

 結局のところ、落ち着いた雰囲気の中で、教師が実力を発揮すればこんなものだと、そんなふうに私は思っています。


 ガバナビリティ(governability)という言葉があります。

 15年ほど前、マスコミがこぞって「村山政権のガバナビリティを問う」といった言い方で政権の統治能力を問題にしていたところ、アメリカではクリントン大統領が「日本人のように優れたガバナビリティを持つ国は・・・」などと言い出して一気にワケがわからなくなりました。

 実は、ガバナビリティというのは「被統治能力」と訳されるべきもので、国民としてよく統治される能力のことだったのです。もちろんただ従順というではなく、公共の理念を大切にし、法を遵守し、法に則って正当な批判のできる、総合的な政治的能力のことです。

 リーダーシップとともにガバナビリティがそろわないと国はうまく動かない、これは学校にも当てはまることでしょう。教師がどんなに授業力を高めても、受け取る側が児童・生徒としてのガバナビリティを持たなければ、十分な成果を上げられるはずがありません。

 その意味で、本校の児童のガバナビリティは相当に高いものがあると私は感じています。そんなふうにみなんなで育ててきたからです。

 そうでなければ、今日の成果はないと思うのです。



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