2009/12/25

ご苦労様でした。  教育・学校・教師


 2009年もようやく終わろうとしています。今年はインフルエンザの流行を除けば、本当に平和な一年間でした。生徒指導上の大きな問題もなく、一人の不登校も出さず、学力的に言えば全国学力学習状況調査も目の前に秋田県しか見えないほどの好成績で基本的には順風満帆というところです。

 2度にわたるインフルエンザの大流行にしても、結局は子どもたちが無理をしても来てしまう、学校が好きでしょうがないということの証左だとしか思えません。とにかくあれだけ気をつけていても拡がってしまうのですから。

 もちろん、私たちの仕事はいつでも崖っぷちです。平和な日々の影で何が積み上げられているか、なかなか理解しにくい面があります。しかし私は相当に楽観的でもあります。なぜなら、結局先生たちの誰かが影から支え、みんなで難局を乗り切れると分かっているからです。職員室に笑いが絶えないというのは本当にいいことです。

 来年は寅年。「虎の子」という言葉があるように、子どもたいへん可愛がるという伝説のある動物です。虎視眈々とイタズラのチャンスをうかがう子どもたちを相手に、「前門の虎、後門の狼」 と言われるような危機をかわし、「虎は千里往って千里還る」 といった勢いでがんばりましょう。しかしたまには気も緩め、例えば今夜の忘年会、大トラになってみるのもいいかもしれません。


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2009/12/24

サンタクロースの話  歴史・歳時・記念日


 毎年12月24日になると思うのは、なぜ日本の子どもたちにはクリスマスプレゼントとお年玉という二重のご褒美が許されているのかということです。その間わずか一週間です。今年は深刻なデフレーションですから、それに比例して子どもたちの収入も減りますようにと、心から祈らざるを得ません。そうしたって買えるものはたくさんあるはずです。

 さて、サンタクロースは4世紀の小アジア、リキュア(現在のトルコ辺り)のミラという町に生まれた聖ニコラウス(ミラのニコラオス)が元になっています。教会では聖人として列聖されており、聖(セント)ニコラオスという呼び方で呼ばれるのが普通と言います。

 聖ニコラウスにはこんな逸話があります。

「ある日のこと、ニコラウスは、町に、貧しくて娘をお嫁に出すことができない家があるのを知りました。そこで彼は真夜中にこっそりその家を訪れ、煙突か ら金貨を投げ入れました。すると煙突から入った金貨は、ちょうど暖炉のそばにかけられていた靴下の中にはいったのです。そしてその金貨のおかげで、娘は無事、お嫁に行くことができたのです」

 サンタにまつわる風習は世界各国かなり異なったものもがあるようで、正教会系のイヴに子どもの靴下に入っているのはお菓子だけです。トイザラスの包装紙にくるまれた玩具ということは絶対にありません。

 また、ドイツの古い伝承ではサンタは双子で、一人は紅白の衣装を着て良い子にプレゼントを配り、もう一人は黒と茶色の衣装を着て悪い子にお仕置きをして歩くのだそうです。現在でも、ドイツでは聖ニコラウスは「クランプス」と呼ばれる二人の怪人を連れて街を練り歩き、良い子にはプレゼントをくれるが悪い子にはクランプス共に命じてお仕置きをさせるということになっているようです。さすがドイツです。

 サンタは24日の日没とともにプレゼントを配り始めますから、国別で言いますと最初に24日日没が訪れるニュージーランドを基点としてオーストラリア、日本、韓国・北朝鮮、中国と、子どもの住む場所を選んで南北に激しく往復しながら地球を一周し、最終的にはハワイに配り終えて25日の朝を迎えることになります。そのために地球の周は4万km.しかないにもかかわらず、サンタの行程は数百万kmにもなってしまいます。

 この間、子どもにプレゼントを渡す時間はひとりあたり1万分の2秒乃至は3秒です。これではどんなに目を凝らしていても見ることは不可能といえます。

 もっともウチの息子に言わせると、サンタの時間と人間の時間は異なっており、サンタはゆっくりと回っても24時間でこれだけの仕事をこなせるのだそうです。これを「クロック・アップ」方式といい、仮面ライダーやセーラームーンもこれをつかっています。いくら変身に時間をかけても、その間に襲われないのはそのためです。


 さて、サンタは今どの辺りにいるのでしょう。

 北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)サンタ追跡サービス



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2009/12/22

メメント・モリ  教育・学校・教師


 知り合いの息子さんが、21歳の若さで亡くなりました。東京のアパートで一人暮らしだったので、一週間も発見されなかったのだそうです。原因不明の突然死ということらしいのですが、まったく予兆のないできごとだったのでご両親の悲しみにも、いっそう深いものがありそうです。

 がんで亡くなったある女性の手記を読んだことがあります。特に印象的だったのは
「私はずっと以前から、夫が死んだらどうしよう、この子たちと一緒にどうやって生きていこうと、そんなことばかり考えていましたが、まさか自分が家族を残して死んでいくなどとは夢にも思ったことはありませんでした」
 という行です。
 私たちは普通、自分の死か、家族の死か、どちらか一方しか真剣には考えません。

 メメント・モリという言葉があります。ラテン語で「死を想え」とか「死を忘れるな」といったふうに訳され、キリスト教の思想の一端を表現しています。演劇や絵画のテーマとして繰り返し用いられるもので、私は若いころ芝居を通じてこの言葉を知りました。

 もちろん「死を思え」と言われても、毎日、毎日、この人は明日はいないかもしれない、いや自分の方が死んでいるのかもしれないと考えながら生きることは、とてもできませんし、そんな見方で付き合われるのは相手にとっても迷惑でしょう。普通は誰しも、『死』がずっと向こうにあるものとして暮らしています。それでいいのです。

 しかし、それでいいのですが頭の片隅のどこかに、人が死ぬものであるということを留めておかないと、私たちは大切なものを失ってしまうかもしれないのです。

 朝、家を出るときも、下校時に子どもたちと別れるときも、退勤の時も、心のどこかで何かやり残しはないのかと、ちょっと振り返るだけの余裕を、いつも持っていたいものです。


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2009/12/21

ピーター・パンに言いたいこと  教育・学校・教師


 武藤先生が雑誌「プレジデントファミリー」4月号(2009)から「知れば変わる、子どもの自立メカニズム」という記事を拾って紹介してくださいました。5人の研究者の解説ということでどれも興味深い内容なのですが、その中で「急増中! 反応期のない子どもは自立できるのか」というのが気になりました。

 それによると
@反抗期がきちんとあったと言えるのは、男子だとギリギリ現在40歳くらいの人まで。
A現在の中学生の8割には反抗期がない。
B反抗期がなくなったのは「物分りの良い親」と先手を打てる「賢い親」が増えたためで。対立点がなくなった子どもは反抗する対象すらない。
Cしかし、反抗する理由もない代わりに自立する理由もないので、子どもの自立は非常に遅れる。
D現代の日本の場合、子どもの自立は12・3歳から25歳にかけて、ゆっくりと行われると考えられる。

ということです。

 現代の子どもに第二次反抗期がなくなっているということについては実感としてあります。したがって@とAには同意しますが、B以下については不同意です。

 「反抗する理由もない代わりに自立する理由もなくなった」のではなく、自立する必要がなくなったから反抗しなくなった、別な言い方をすれば「子どもでいることの方が有利」だったり「子どもでいることの方が居心地がよい」時代になったので、敢えて反抗してその枠を崩す必要がなくなったと、そんなふうに考えるからです。

 これには証拠がありまして、それは「ピーターパン症候群」(成長する事を拒む男性の状態)という概念が提唱され広く受け入れられたのが1984年、「シンデレラコンプレックス」(「他人に面倒を見てもらいたい」という潜在的願望によって、女性が「精神と創造性」とを十分に発揮できずにいる状態)という言葉が日本に紹介され広まったのが1983年で、とももに、「反抗期がきちんとあったと言えるのは、男子だとギリギリ現在40歳くらいの人まで」に符合するからです。

 現在40歳以上の人、つまり私たちが子どもだったころ、子どもでいることはちっともいいことではありませんでした。だからいつも背伸びをして自分を大きく見せ、それを許さない大人たちと対立していた、それが1980年ごろから、劇的に子ども優位に変化してきたのです。大人になって自立するなんて、真っ平ごめんという時代になったのです。

 しかし本当に子どもでいる方が言い時代なのでしょうか。
 実は「今の方が有利」「今の方が居心地が良い」と感じている子どもたちも、知らないでいることがあります。

 それは「生きがい」や「やりがい」という点では、子どもの生活には限界があるということ。ドッジボールや鬼ごっこはもちろんコンピュータ・ゲームや深夜徘徊だけでは、生き生きと生きていけないということ。それがひとつです。

 もうひとつは、私たち大人は基本的に子どものための社会をつくっているのではなく、自分たちのための社会をつくっているということ。したがって上品な意味でも下品な意味でも、楽しいこと面白いことは大人社会にこそあるということです。

 そのあたりを、うまく伝えていければいいと私は思っています。

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2009/12/18

結局、学校かな  教育・学校・教師


 私が子どもだったころ、母は内職をしているだけの専業主婦でした。子育てが一段落したころから急に外に出て働き出し、70歳になって「みっともない」という理由で辞めるまで、外で働き続けました。

 母が専業主婦として家にいた昭和30年代〜40年代というのは、おそらく日本史上でももっとも専業主婦率が高かった時期で、オイル・ショック(昭和48年)以降になると、多くの家庭が主婦の収入なしでは生活できなくなって専業率は下がって行きます。

 私たちは何となく昔の親は熱心に子育てをしていたように思っていますがそうではありません。日本人の大半が農業に従事していた時代、農家の嫁は体のいい労働力確保で、家の中になどいなかったのです。もちろん子育てもしません。子どもを育てていたのはたいていが姑や小姑、大量にいた姉妹兄弟で、親などは夕方外から帰ってきて、ただ可愛がっていれば用は足りたのです。生活は苦しかったでしょうが、子育てという部分だけを取り出すとずいぶん楽な時代だったのかもしれません。

 子どもの方も大家族の中で育てば自然に社会性の基礎を学びますし、少し大きくなると近所に社会そのものがあって、その「子ども社会」の中でたくさんの学習をしてから学校に来ます。その意味では学校も、社会性を身にけさせる苦労は少なかったはずです。

 翻って現代、私の母が勤めだしたころから、共稼ぎの家が増えるとともに核家族化も進み、同時に地域子ども社会も消えていきました。ですから子育ては夫婦二人だけの仕事になってかなり苦しくなったのです。「家庭の教育力が落ちた」という言葉はしばしば耳にしますが、親がダメになったのではなく、親に任される部分が多くなりすぎたです。

 私たちもしばしば、「親に問題がある」「家庭が子どもを支えていない」といた言い方をしますし、事実その通りである場合も少なくありません。しかし言ったところで親が変わるわけでも家庭が変わるわけでもありません。大人を変えるのは容易ではないのです。

 学校が投げ出しても拾う場がない以上、やはりその子は学校が育てるしかありません。学校にすべてを任せるなと一方で言いながら、やはり学校しかないなと私も思うのです。


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2009/12/17

昔の物語  教育・学校・教師


 ひょんなことから、澤田先生と私が同じ小学校の出身で、就学時期を部分的に重ねていることを知りました。しかし先生が「校長先生は○○先生でしたよね」とか「私の担任は○○先生でしたが」とか言われても何も思い出せず、逆に「そう言えば事務の先生は△△先生という名前のすばらしい美人で」とか言って人間性を暴露(恩人より美人か?!)してしまったりと、われながら散々な思いをしています。

 考えて見ると他の記憶もあいまいで、とても好き嫌いの多い子だったので給食は苦労していたはずなのにそういった記憶もまったくなく、同級生の顔もごくわずかしか思い出せません。今の私の脳細胞に問題があるのか、当時の私がよほどノホホンと生きていたのか、それすらも分からなくなりました。

 ただ、それでも良く思い出すのは、旅行学習のことだとか苦労した作業だとか、あるいは動物飼育のことです。また当時休み時間に夢中になった遊び―馬とびジャンケンや四点だとか、女の子がやっていたゴム跳びとか―そういったことも良く覚えています。それらの遊びはいまでも十分通用しそうなのに、誰もやっていません。
 
 そんなことも、改めてお話ししたいと思います





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