2009/10/30
こんなところにも・・・ 教育・学校・教師
みんなで智恵を出し合った体育館の改修。自民党が作った補正予算を民主党が見直すことになり、どうやらお金が下りてこないので最低の補修で終わってしまうようです。
政権の変わることのすごさを思い知らされるできごとのひとつです。
今のところ、「政権が変わってだから良かった」ということが見えてきませんが、これからに期待しましょう。
しかし、ちょっと甘い夢を見すぎたのかもしれません。

2009/10/29
ブタ・テロとの戦い 教育・学校・教師
かなりうまくやっているはずなのに次から次へと入り込むインフルエンザ。思わず家で嘆いたら横合いで聞いていた息子が一言、
「それって、バイオ・テロじゃネ?」
確かにウチの学校ばかりがやられたり、一クラスばかりが繰り返し狙われる様子を見てると、本気で「テロじゃネ?」と言いたくもなります。
まあしかし、これだけ崖っぷちを走りながら結局一度も落ちないのですから、私たちも大したものです。
さて、私は子どものころ、将来、科学が発達すれば世界中の病気という病気はなくなるのものだと信じていました。病原体が次々と姿を変えるという可能性に、まったく気がつかなかったのです。しかしウィルスもまた生き物である以上、生きるために必死なのです。次々と宿り主を替えながら、自分の姿も変えながら何が何でも現世にしがみつこうとしているのです。
そう考えても別にウィルスが可愛くなるわけでもありませんが、何か不思議な感じがします。今回のウィルスは豚由来ですが、豚は誰からうつされたのでしょう? 人間と豚の付き合いの長さを考えると、今まで人間にうつされなかったのは、最近まで豚はインフルエンザ・ウィルスをもっていなかったと考えるのが妥当だと思うのですが、どうなのでしょう?
豚に聞いても教えてくれるはずもありませんが、テロとの戦いに疲れて、ふとそんなことを考えました。

2009/10/28
記憶のモデル 知識
記憶というのはこういうもので、きっとこんなふうに覚えたり忘れたりするのだろうというイメージを表したものを、「記憶のモデル」といいます。そしてその代表的なものに、「短期記憶装置と長期記憶装置」というものがあります。
「短期記憶装置」というのは読んで字のごとく、電話番号を覚えてプッシュ・ボタンを押し終えると忘れてしまうような、ごく短いあいだ記憶を保持するような部分です。ワープロで言えば「コピー&ペースト」のコピーに当たります。
「長期記憶装置」はこれも文字通り「長期間記憶を保持する装置」ということで、いわばハードディスクのようなものです。
この二つの装置の間には一方的に浸透する細胞壁のようなものがあり、例えば九九の「三二が六」を何回も「短期記憶装置」に出し入れしているうちに、いつの間にか「長期記憶装置」にしみこんで行く、とそんなふうに説明されます。
人間の「長期記憶装置」はかなり頑固なもので、90歳の老人が10歳前後の記憶をすらすらと辿れたりするもの、この「長期記憶装置」のおかげです。
また、「記憶力が悪い」と自認する人でも何かヒントを与えれば「ああ、そうだった」と思い出すのは、まさにこの「長期記憶装置」に「記憶」が残っていたことを示すもので、つまり悪いのは記憶力ではなく再生力なのです。インプットはかなりうまく行くのに、アウトプットに問題があるということです。
ただし、年を取ってくると、そもそもインプット自体に問題があるのではないかと疑わしくなることが出てきます。ヒントを出されても答えを言われても「長期記憶装置」の中になく、「そんなこと、あったんかいな?」というような場合です。
先日、テレビの映画劇場で「明日の記憶」というのをやっていて、その中で主人公の渡辺謙が認知症のテストを受ける場面がありました。それとなく一緒にテストを受けていたのですが、私は映画の主人公と一緒に、最後のテストをクリアできませんでした……!

2009/10/27
「山びこ学校」のころ 教育・学校・教師
私が今読んでいるのは「山びこ学校」(無着成恭編)、いわずと知れた作文教育の必読書です。しかし作文指導の勉強として読んでいるわけではありません。昔の子どもがどのような環境の中で生き、どのような姿でどんな教育を受けていたのか、それに興味があったのです。
しかし読めば読むほど、さまざまな意味で暗澹とさせられる作文群です。
『私はまいにち学校にもゆかず、すみ山にゆきました。私は「みんなのように学校に行けたらな」とおもっているときがたびたびあるのです』
(石井敏雄)
「私は
学校よりも
山が好きです
それでも
字が読めないと困ります。」
(佐藤清之助)
『答辞』(佐藤藤三郎)という文の中にはこんな一節があります。
『あるとき、中学校の三年になってから、無着先生が私たち全員をゲンコもちでぶんなぐったことがあります。みんな目をつむらせられて、ゴツンゴツンくらつけられました。みんなも、自分がぶんなぐられていたかったのも忘れて、「先生にぶんなぐられるようなことをしたのはだれだ!」「いつもいつも人をなぐったり、人の生命にきずがつくようなことをするのはわるいことだ、と教えている先生に、ぶんなぐらせねばならないようなことをしたのは誰だ!」とみんなどなりました。その日は寒い日で、みんな火鉢にあたっていたのです。そこへ無着先生がガラッと戸をあけて入ってきたので、みんな席についたら、「けむたいなあ。誰だ、紙くべたの」と、おだやかな口調で先生は聞いたのです。ところが、誰も手をあげませんでした。それで先生はおこり出したのです。(中略)あとでわかったことですが、そのときは木川進がくべて、わすれておったのでした。それがわかって進君が、壇に上って、「われがったっす。」とみんなにあやまった時、みんな笑いました。ゆかいになって笑いました。そしてみんなは、「おれたちにあやまるより先生にあやまれ!」といいました。先生も、「みんなの中には、自分のわるいのを他人になすりつけるようなバカ者はない筈だった。」といって笑いました』
「子どもはいつの時代も同じだ」「変わったのは大人や社会の方であって、子ども常に子どもだ」といった言い方がありますが、これが同じ子どもの姿とは、とうてい思えません。
今からわずか60年ほど前の子どもたちですが、私たちが教育しているのは、それとはまったく違った子どもたちです。
