2009/9/30

最後の日  教育・学校・教師


 今日、9月30日は私たちにとって特別の日です。4月1日に始まった平成21年度のちょうど中日、年度前半の最後の日なのです。明日からは21年度後半、残りの半分が始まります。

 毎年このお話をしていると思うのですが、いくらなんでも1年生はそろそろ100%小学生になっていなければなりません。1年の半分も終わって、未だに幼稚園気分を引きずっているようでは恥ずかしいです。

 2年生も3年生も4年生も、それぞれ自分の学年にふさわしい人間になっていないと、1学年飛ばした感じで次の学年に上がらなくてはなりません。

 6年生は小学校で過ごす6年間の「12分の11」が終わる日です。明日からは最後の「12分の1」が始まります。「終わり」の始まりです。

 さまざまな行事で突っ走ってきた日々が終わり、落ち着いた半年が始まります。小学生の自分に、そろそろケリをつけなければなりません。

 5年生も焦らなくてはなりません。モデルとなる6年生を見ていられるのも半年しかないのです。ウカウカしているとあっという間に最上級生。下の学年の子から、「あれもこれもできて当然」といった目で見られますから、相当にヤバイです。

 私も、今年めざしたことが本当に達成できるか、頭の中で計算して行きたいと思います。


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2009/9/29

親にできないこと  教育・学校・教師


 先日、友人と飲む機会があって、その席で息子がタバコを吸い始めて困っている、という話が出てきました。そんなの何が何でも止めさせればいいじゃないかと言うと、「オレ自身が吸うから、強く言えない」と言います。
 待て、それは違う、と思いました。

 親ができないから子ができなくていいというのは、子は親と同じ程度でいい、親を越えてはいけないというのと同じです。それは、子どもが東大に入れそうにないとか、オリンピック選手になれそうにないといったとき、自分を慰めるために使う言葉であって、タバコを吸うか吸わないかは、別の問題です。

 タバコは1日に吸う本数×喫煙年数が400を越えると突然「発ガン・リスク」が高まります。18歳で吸い始め1日一箱ずつ吸うと20年、38歳の時にガンになる可能性が高まるということです。

 38歳といったらどんな年でしょう。
 結婚して数年、子どもが小学校と保育園くらいで一番親を必要とするときです。社会的にはようやく指導的なポストを与えられ、会社や組織に大きな貢献ができる時期でもあります。もしかしたら家を建てたりマンションを買ったりして、大きな借金を背負うのもこの時期かもしれません。

 そんな大事な時に、ウチの息子が倒れるかもしれないといった具体的なイメージが浮かべば、命にかけてもタバコをやめさせようと思うのは親として当然のことだと思うのです。

 もしかしたら友人は「タバコを止めてもらいたい」という自分の思いの、本当の意味に気づいていないのかもしれません。世間体が悪い、法律上悪い、だから自分は止めてもらいたいと思っている、そんなふうに勘違いしているのかもしれません。

 タバコに限らず、親にできないことで子どもにやってもらいたいこと、子はできなければならないことは山ほどあります。そしてそれはさせるべきです。そうでなければ親になった甲斐がないじゃないですか。



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2009/9/28

美しく身を処する子に  教育・学校・教師

 
 昨日、お祭りの会場で田口先生のお子さんに会いました。1歳半になったそうです。他人の子どもの成長は本当に早いものです。
 昔の人は、躾は一歳半からと考えていました。まずはトイレットトレーニング。がんばってほしいです。

 『躾』というのは読んで字のごとく、身の処し方を美しく仕立てることを言います。これについて、私はとても素敵な文を知っていますので紹介します。前にも話したことがあるかもしれませんが、何度読んでもよい文章なので、繰り返してもかまわないでしょう。

「松を見よ」

 子を育てるには、授乳の時期からだんだん仕込むようにしなくてはだめだ。
 まだ小さいからといって、気ままにさせておいて、さあ大きくなったからといって、急に行儀だ言葉だとやかましく言っても、直るものではない。

 あの植木を見なさい。小さい時からいつも気をつけて手を入れた木と、生えてきたまま自然にしておいた木と、どのくらい違いがあるかしれない。
 大きくなって枝を曲げたり切り込んだりしてみても、木が傷むばかりで、とても小さな時から手を入れた木のようにはならないものだ。

 それと同じことで、はいはいをしない前から気をつけて教えていけば、ご本人は少しも難儀ともつらいとも思わずに、自然にいろいろ覚えるけれど、大きくなってしまってから急に行儀を教えると、本人は窮屈で苦しいものだから、人前ばかりで行儀をよくしても、人のいない所ですぐくずしてしまうので、とてもほんとうの躾はできない。(和田英「我母之躾」)



 素敵な文でしょ?



                                             



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2009/9/25

森の精霊たちの話   教育・学校・教師


 昨日、ひとりの男の子がケースに入れた沢蟹を持って登校しました。自慢するので、私は「カニと遊んだら、またもとにもどしてやりなよ。遊んでくれなくなるから」と言ってやりました。

 実はこれは、私自身の言葉ではなく「忘れられた日本人」の中にあった古老の言葉です。まだ日本人が、狸や狐と対等に暮らしていた時代の話です。
 そこにはまた、別のこんな話もありました

 ある日、日がくれかけて、谷をへだてた向うの畑を見ると、キラキラ光るものがある。何だろうと祖父にきくと、「マメダが提灯をとぼしているのだ」といった。マメダというのは豆狸のことである。マメダは愛嬌のあるもので、わるいいたずらはしないし、人間が山でさびしがっていると出て来て友だちになってくれるものだとおしえてくれた。実はこれは粟畑の鳥おどしに鏡のかけらをさげていたのへ、夕日が反射して光っていたのである。その事は後に父からおしえられた。
 さて、マメダがキラキラする提灯をとぼしてくれることが、夕ぐれのひとときの大きななぐさめになった。それから後、山の奥で木をきる斧の音がしても、山の彼方で石をわるタガネの音がしても、みんなマメダのしわざではないかと思うようになったが、そう思うことで山の奥、山の彼方へ心をひかれるようになっていった。
「どこにおっても、何をしておっても、自分がわるい事をしておらねば、みんなたすけてくれるもんじゃ。日ぐれに一人で山道をもどって来ると、たいてい山の神さまがまもってついて来てくれるものじゃ。ホイッホイッというような声をたててな。」小さい時からきかされた祖父のこの言葉はそのまま信じられて、その後どんな夜更の山道をあるいても苦にならなかったのである。

 午後は午後で2年生の男の子たちが子どものヘビをつかまえたと言って見せに来てくれました。今度も「学校の守り神の子だから、逃がしてやりな」と言うと、本当に逃がしてやったようです。

 森や湖に精霊が宿り、どんな小さな生き物も人と同じような命がある、そんなふうに思える子どもを育てたいな、と思う一瞬でした。



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