2009/8/31

民主党圧勝  教育・学校・教師


 衆議院選挙も民主党の圧勝に終わりました。

 4年前の小泉自民党と同様に、衆参両院を圧して、何でもできる状況になります。そこで、もう一度民主党マニフェストから学校教育に関わる部分のみを抜き出し、考えて見たいと思います。

○中学卒業までの子ども1人当たり年31万2000円(月額2万6000円)の「子ども手当」を創設する(平成22年度は半額)。

○公立高校生のいる世帯に対し、授業料相当額を助成し、実質的に授業料を無料とする。

○私立高校生のいる世帯に対し、年額12万円(低所得世帯は24万円)の助成を行う。

○大学などの学生に、希望者全員が受けられる奨学金制度を創設する。

○全ての人にとって適切かつ最善な教育が保障されるよう学校教育環境を整備し、教育格差を是正する。

○教員の資質向上のため、教員免許制度を抜本的に見直す。教員の養成課程は6年制(修士)とし、養成と研修の充実を図る。

○教員が子どもと向き合う時間を確保するため、教員を増員し、教育に集中できる環境をつくる。

○公立小中学校は、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画する「学校理事会」が運営することにより、保護者と学校と地域の信頼関係を深める。

○現在の教育委員会制度を抜本的に見直し、教育行政全体を厳格に監視する「教育監査委員会」を設置する。

○生活相談、進路相談を行うスクールカウンセラーを全小中学校に配置する。

○国際社会の中で、多様な価値観を持つ人々と協力、協働できる、創造性豊かな人材を輩出するためのコミュニケーション教育拠点を充実する。

 教員の増員やスクールカウンセラーの配置はありがたいことですが、教員養成課程を6年に延ばして、教職希望者がさらに減らないかと私は心配しています。医学部も同じ6年ですが、地位も収入も保証されている医師と違って、教師はそれほど人気のある職業ではありません。それに対して6年も頑張ろうという高校生がどれくらいいるか、6年も学費を出し続けようという保護者がどれくらいいるか、疑問です。

 10年ごとの免許更新制度はなくなるそうです。この2年間、更新講習にお金と時間をつぎ込んだ先生方は、お気の毒です。

 いずれにしろ与えられた条件の中でやるしかない状況は変わりありませんから、頑張るしかありませんね。


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2009/8/28

全国学力学習状況調査  教育・学校・教師

 第3回の全国学力学習状況調査の結果がかえって来ました。少し時間がかかるかもしれませんが、6年の先生方に分析していただき、報告を待ちたいと思います。

 全国的な結果に着いては上位も下位も3年間ほぼ同じ。1位は今年も秋田県です。昨夜の日テレ系テレビ局のニュースでは、秋田の強さの秘密は何でしょうといった趣旨で、一クラスに3人の先生が張り付いているTT(チーム・ティーチング)の様子が映し出されていました。

 私は学力向上、指導力向上の決め手はTTだと強く信じています。

 全国学力テストの平均点は非常に高いところにありますから、点を上げるためには成績上位の子を増やすより、下位の子を減らすことの方がずっと有効だからです(それは例えば、平均点80点のテストで、100点の子が一人欠席しても平均点はさほど下がらないが、0点の子が一人欠席すればグンと上がる、という平均の仕組みを思い浮かべればすぐに分かることです)。

 勉強の分からなさは千差万別ですから、成績下位の子には個別指導が必要ですが、そのためにはクラスに二人以上の先生がいなければなりません。

 また、学級はたったひとりの子どもがパニックになるだけで活動が停止してしまいますから、そのための要員も必要です。一クラスの人数をいくら減らしても、そうした状況に変わりありません。

 TTこそ決め手だと思うのはそうした理由からです。
 
 さて、ニュースではTT授業の映像とともに、
「正答率が高い生徒には、
『ノートを丁寧に書く』
『毎日、朝食を取っている』
『学校での出来事を家の人と話す』
『携帯電話の使い方について、家の人との約束を守っている』
などの傾向が多く見られた」

という内容もやっていて、コメンテーターの星野仙一さんなどは「私も監督時代には選手に朝食を食べさせました」などとのんきなことを言っています。

 また、小学校の成績が10位以上上がった大阪の府知事は、“やっぱり地教委を脅せばできるじゃないか”と言わんばかりの勝利宣言で「大阪の子どもたち、ありがとう!」などと叫んでいます。

 一方、今朝のNHKニュースでは、
「各地の教育委員会は、学力テストの結果を受けて教材づくりや教員の研修には取り組んでいるものの、教員の数を増やすなど、教育条件の充実にまで対策を進めるのは難しい状況であることがわかりました」
などと言っています。

 学校を叩いて成績を上げようという方向は、当分収まりそうもありません。
 

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2009/8/27

働かざる者 食うべからず  知識

 今私が枕元に置いているのは、宮本 常一著「忘れられた日本人」(岩波書店 1984年)という本です。初版は1960年ですから50年以上前のものとなります。明治から昭和にかけての庶民の暮らしを描写したものですが、ほとんどが忘れ去られたような山村の話ですから、面白いことこの上ありません。

 例えば山の中の道は、秋の落ち葉、冬の雪によって簡単に消されてしまう、そのため道を行き来する職業、馬方や牛追いたちは常に歌を歌いながら歩いていました。先に行った者の歌を頼りにそちらに向かって歩き続け、あるいは道に迷った仲間がどちらの山に入り込んだかも、その歌によって知ることができます。

 南部牛追歌だとか馬子唄というのはおそらくそうしたところから生まれたもので、だから他の職業に比べて多様な、朗々とした曲が残ったのかもしれません。

 また、「働くもの食うべからず」といいますが、昔の農民は雨などによって農作業ができないと本当に一食抜いた、などという労働に対する厳しい話もあります。

 まだまだ面白い話がありそうなのですが、寝る直前の3分間読書ですので、さっぱり進みません。

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2009/8/26

最初の顔が組織の顔  教育・学校・教師

 昨日の講演会で「最初に出会う顔が組織の顔」というお話がありました。

 例えばある会社を訪問して、最初に出会った人の対応がすばらしければ、その会社は「すばらしい会社」という印象からスタートできます。ところが逆の場合、最初の悪印象を修正するのは大変な時間と労力がいったりします。

 そうした危険を避けるため、少し大きな企業や組織になると必ずと言っていいほどよく訓練された受付嬢がいて、丁寧に案内してくれたりします。建物もそうなっていて、間違っても野暮な社員がそのあたりで妙な対応をしないよう、安全な構造になっています。

 ところが学校はそうではありません。玄関にお客さんが現れたとき、たまたまそこを通りかかった先生が声をかけられ対応するといった場合も少なくなく、そのときの先生の対応が、学校の顔になってしまうのです。

 丁寧に扱っていただき客が恐縮するようであれば、かえって学校は対等以上の付き合いができます。ところが偶然その場に変な先生がいて、「校長先生はいらっしゃいますか?」「知りません」などと答えると、交渉のスタート位置がぐんと向こう側に行ってしまいます。ましてや「自分で見てきてください」などと答えられた日には、殴りたくもなろうというものです

 私たちは接待の基礎といったものを学んで教員になったわけではありませんし、対応の仕方ひとつで収入が変化するような世界に住んでいませんから、ついつい接遇は疎かになりがちです。中には信念に燃えて、卑屈と疑われそうな対応はすまいと思っておられる先生もいます。

 しかしいまや時代が違います。教員の対応が悪いという瑣末なことが、あとあとさまざまな面倒を引き起こし、学校全体としてエネルギー・ロスとなることが少なくないのです。そんなことがしたくて教員になったわけではないのですが、愛想笑いのひとつもできないと、学校の世界もわたっていけない時代になっているのです。

 笑ってみましょう。はい! チーズ!



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2009/8/25

脳が変わる  教育・学校・教師

 夏休みにやったことのひとつは、これまで取り貯めたビデオを見ることでした。そのうち7月11日放送のNHK「追跡 A to Z 脳の秘密 未来はどう変わる?」は非常に興味深い内容で,、中でも幼児期の体験が人間の脳そのものを変えてしまうという部分は、ショッキングでした。

 CTによる脳のスキャン映像とその人の体験を重ね合わせるのですが、親の体罰を受け続けた子どもの脳の、思考をつかさどる部分、前頭前野に普通の人より19%も体積の少ない部分が見つかったというのです。

 その他にもまるで自分の受けた虐待と呼応するように、例えば言葉の暴力を受け続けた子どもは聴覚野に12%の不足が発見され(「もう聞きたくない!」)、性的虐待を受けた子どもは視覚野に18%もの萎縮した部分があったというのです(「もうあなたの顔は見たくない!」)。

 かつて私たちは、落ち着きがないなどの問題の原因を、親の養育態度や担任の責任に求めたりしました。その後、ADHD・LDといった便利な概念が出てくるとこの言葉によって説明しようとしたりもしました。しかし脳そのものの構造が違うといった仮説を立てた人はほとんどいなかったと思います。

 もし子どもの問題が脳のいびつな成長によってもたらされるものなら、そしてそれが幼少期の体験に由来するなら、私たちがしなければならないことは今までと多少違ってきます。

 最近は子どもの生育暦にあたるということが、主としてプライバシー保護の立場から少なくなりました。しかし改めてこれにも立ち向かわなくてはならないでしょう。

 そしてもうひとつ、脳自体に問題が及んでいるとしたら、脳の構造を明確に思い浮かべながら、欠けた部分を修復するようなトレーニングを重ねる必要が出てきます。

 これから考えていかなければならない、重要な視点のひとつかと思いました。



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2009/8/24

美しさを身につける  教育・学校・教師


 甲子園もいよいよ決勝戦です。49校中47校の選手が昨日までに涙を流して甲子園の土を持ち帰りました。

 あの土は鹿児島産の黒土と中国産の白土をブレンドしたものだそうですが、ネットで調べましたら、これを供給している播磨セメントという会社が、2006年に1缶(350ミリリットル)150円で、全国のコンビニで売り出そうとしたようです(本当に売ったかどうかは不明)。しかし売れるようなものではないでしょう、意味が違いますから。

 甲子園で全力で戦って敗れ、泣きながら土をバッグに詰める姿を、馬鹿らしいと感じる感性は間違っています。しかし子どものころ、初めてあの光景を見たときはやはりピンと来ないものがあったはずです。
 世の中には時間をかけて学ばないと分からない美というものがあるのです。

 私は子どものころ、紅葉の美しさというものが分かりませんでした。死にかけた葉の、ウンコ色の斑(まだら)が美しいはずはないと思っていたのです。同様にピカソの絵やマーラーの音楽を、初めて観たり聞いたりした瞬間から美しいと感じるようなら、それはよほどたくさんの学習を知らず知らずのうちにしてきた人だけです。普通は理解できません。ゴッホの「黄色い部屋」だって、デッサンの下手な画家が絵の具不足のために黄色ばかり使って描いた絵です。要するに「美しさ」というものは言葉で説明できないものであり、良いものをたくさん見たり聞いたりすることによって理解できるものなのです。

 さて、いつも申し上げている通り、道徳には「他人に迷惑をかけない」という側面と同時に、「それは美しいか」という両側面があり、後者は忘れられがちです。しかし、椅子に足を上げて食事をしてはいけないとか、裸であちこちを歩いてはいけないとか、乱暴な言葉で話してはいけないとかいった道徳は全て「美しさ」に関わるもので、それらを「よいもの」と感じるには、美しい立ち振る舞いや生き方をたくさん経験するしかありません。

 例えば、無言でひたすら清掃に打ち込む「無言清掃」もそれです。清掃というさっぱり面白くない活動に黙々と取り組む姿は、甲子園の球児と同じように美しいのです。

 仕事やスポーツにひたすら打ち込む姿は、みな美しい。学校の1日の生活の中で、清掃はそれを教えるのに最も都合のよい時間だと、私は考えます。


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