2009/5/29

J・F・Kの言葉  教育・学校・教師

 今日、5月29日はジョン・F・ケネディの誕生日だそうです。(1917)
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 ケネディと言えばまず思いつくのは1961年1 月20日の大統領就任演説です。中でも「祖国があなたに 何をしてくれるかを尋ねてはなりません。あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい」という部分は永遠の名句です。

「サルは木から落ちてもサルだが、政治家は選挙に落ちればただの人である」という言葉があります。どんな理想主義者であろうと貪欲家であろうと、政治家であり続けるためにはまず選挙に勝たねばなりません。

 そこでほとんどの政治家は選挙民の歓心を買うため、さまざまなおいしい話をし、それらは公約として実際の政治に反映されていきます。別ないい方をすれば、選挙民の不見識な要求まで実現されていくのです。そして世の中のたいていのことが政治に訴えれば解決することから、私たちはおそろしく依存的になって行きます。
 
 自分たちの幸福は、望みさえすれば誰かが運んできてくれる、自分たち不幸は、誰かが取り除いてくれる。そしてそれにもかかわらず不幸だったり不遇だったりするとすれば、それは自分以外の誰かに責任がある、ということです。

 昨日、「学校への要望」という保護者のアンケートを読みながらそういうことを思いました。なんでも要求できる、なんでも解決できる、できないとしたらそれは学校がどうかしているからだ、そう考える保護者が少なくありません。

 ケネディの演説は、そうした民主主義国家の国民に対する警鐘だったはずですが、50年の間に、傾向はさらに進みました。 

 私はケネディのように偉大ではありませんが、いつかこんなふうに言ってみたい気がします。

「学校があなたの子どもに、何をしてくれるかを尋ねてはなりません。あなたの子どもが学校に何をできるか、それを考えて欲しい」

 学校のために何かを行える子、そんな子どもこそ誇りだと思うのですが。







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2009/5/28

ひれ伏す空間  教育・学校・教師

 来週予定されている6年生修学旅行のプログラムに「最高裁判所」があります。私はこの場所がとても好きなので、少し話しておきます。

 最高裁の審理は、原則として,高等裁判所で行われた裁判の結果に不服な当事者の上告によって始まります。最高裁判所に対する上告の理由は,憲法違反または判例違反、法律上の手続違反に限られていますので、基本的に「事実」を争うことはありません。

 また、審理は書面審理によって行われますから、裁判官は書類を熟読した上で判決を下します。つまり裁判が開かれるのは1回だけ、裁判官が一方的に判決を言い渡すだけなのです(当事者から不服のある点について直接聴いた方がよい事件については,口頭弁論の機会を置くなど、必ずしもすべてが原則どおりではありませんが)。
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 したがって最高裁の法廷の構造もそうなっていて、高裁以下では向かい合っている原告と被告の席は、最高裁ではともに正面の裁判官の方を向いています。そこが一番の違いです。また、裁判所全体の構造も、機能的にはやたら無意味で、とてつもなく巨大なホールの正面に意味の分からない巨大なモニュメントがあったり、大法廷の天井も高い円筒形の吹き抜けで、明かりもほの暗い自然光を入れるようになっています。

 ここでは最終の裁定が下され、それにはまったく逆らえない、ただひたすら恭順し、従うしかない、という権威を表現しているのです。
 今でもそうだといわれればそれまでですが、私は若いころ、わがままで身勝手、プライドは高いのに何もしない、という性質でしたので、服従とか恭順、ひれ伏すといたことは非常に苦手でした。今の子どもと同じように、「納得しないとなにもしませんねぇ」タイプの人間ですから、何かとうまくいかないことも多かったのです。世の中は納得だけでは機能しないようになっていますし、もしすべてが合理で囲まれていたら息をすることすらできません。

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 宗教、頑固親父、スポーツにおけるコーチ、師たる教師、何でもいいのですが、とりあえず無条件に従ってみる、あるいは従いたくなる、そういう対象がなければ人間はダメなのかもしれないと思うことがあります。

 最高裁はそういう意味で、なんとなく好きな場所なのです。



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2009/5/27

学校というミラクル空間  教育・学校・教師

 
 学校というところは不思議なところで、子どもたちによっていろいろなものが持ち込まれます。しかし大人も負けじとさまざまなものを持ち込みます。

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 赤木先生が職員室の机の上の小皿の中で育てているのは、「ハナイカダ」という名の植物です。
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 なんと葉の真ん中から花が咲き、やがては黒っぽい実をつけるのだそうです。水の上に浮かべていてもそうなるのか、ちょっと楽しみです。


 玉木先生は教室でオオムラサキの幼虫を育てています。ついこの間まで丸っきりの赤ちゃんで、やたら脱走していたのが、最近は餌である榎の葉のある場所が一番安全と分かったからか、落ち着いて成長し始めたそうです。

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 「可愛いでしょ!」と、携帯メールならハートマークでもつきそうな感じでおっしゃるのですが、私にはさっぱり可愛くありません。そのあたり、本当に可愛いかどうか、見に行ってみてください。

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       左上の黒い幼虫が脱皮して右の緑の幼虫になりました。


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2009/5/26

学ばないことはできない  教育・学校・教師

 大人になっても、米の銘柄を知らなかった。何も知らないことにあきれた先輩が
「アキタコマチもササニシキも知らんのか? じゃあコシヒカリは? トチヒカリは? トチノウミくらい知ってるだろ。タカノハナは? ワカノハナは?」
と、ここまできてやっとからかわれていることは分かった。しかしさて、どこまでが米の銘柄でどこから関取の名に変わったのか、それが分からない。

 40代の始めに初めて畑を持ち、鍬を買ってさあ耕そうと思ってからフト迷った。鍬で耕しながら前に進めばいいのか、後ろへ下がればいいのか分からない。前へ進めばせっかく耕した部分を踏みつけなければならない、後ろに下がれば引き寄せる土がひたすら多くなって重くて叶わない。

 学校菜園に苗を植えて、毎日毎日生徒と一緒に水をやっていたら同僚に笑われた。「T先生、一度雨降ったらよほど乾かない限り、水なんてやらなくていいんだよ。あんなに水まきしなくちゃならないなら、百姓なんてバカらしくてやってられない」
なるほど、水道代だってバカにならない。

 マルチを買って来て畑に敷いたはいいが、苗を植えるための穴がきれいに開けられない。近くの畑に見学に行ってみるとどれも見事な等間隔で、同じサイズの穴が並べられている。何度も迷ってから、思い切って見知らぬおばさんに訊いてみると一言、
「あんなものは、穴の開いたマルチを買ってくりゃいいんだ」
 確かに。

 そのほか、
 もらってきたバラの苗を根元のビニール袋をつけたまま植えてしまった。
 トマトの脇芽を取らなかったばかりにジャングルトマトみたいなものを作ってしまった。
 中身の真っ白な未熟のスイカを収穫した。
 枝豆の豆の部分を丁寧に採って、次の豆ができるのを待っていた。
 きゅうりとカボチャを同じ場所に植えて、「カボリ」とも「キュウチャ」とも呼べる変なものを生み出してしまった・・・ときりがない。

 結局、学ばなかったことは何もできないということだ。
 さて、いよいよ本格的な田畑のシーズン。私のようなアホな人間にしないため、たくさんの経験をさせてください。

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2009/5/25

免許更新制度のヤバ!  教育・学校・教師


 土曜日に教員免許更新制に関する講習会に行ってきました。昨年の11月に分厚い冊子が回覧されましたが、右から左へという感じでざっと見ただけなのでよく分からなかったのです。

 今年度は昭和30年度、40年度、50年度生まれの教員の講習開始年にあたり、2年後(平成23年)の1月までに30時間の講習を受け終わらなければならない、ということは知っていました。しかし自分に関係ないことにはいい加減なもので、あまり熱心に見ていなかったのです。

 都合3時間に及ぶ講習でしたが、基本的なことを説明するだけでこれだけの時間がかかります。例外が山ほどあって、その例外に組み合わせがあります。細部にいたると何が何だか分からなくなるので、もう一度じっくりと勉強しなくてはなりません。ただし、以下の3点だけは肝に銘じて帰ってきました。


@ 教員免許更新は自動車運転免許と同じくらい個人的な問題で、国も地方公共団体も学校の校長・教頭も「今年は更新講習開始の年だよ」とは決して言ってくれない。そもそもこれらの人々自身がよく分かっていない。

A 期限内に講習を終えて手続きをしないと、免許が失効してしまう。すると私たちはその瞬間に失職することになり、翌年免許を取り直し(30時間の講習で良い)、採用試験に合格しなければならない。免許の取り直しはともかく、採用試験にはまず受からないだろう。したがって、突然失業者になってしまう。

Bもしかしたら、よほど熱心にやらないと講習単位を取り損ねる心配がある。県は、更新予定者の数に見合うだけの講座を用意しているというが、実際には他府県からの受講者も相当数あり、希望日も偏るので抽選になる場合がある。その抽選に漏れ続けると、その気があっても2年以内に修得できない場合も出てくる。その場合も失職してしまう。

 そう考えたら、ちょっと震えました。少しまじめに考えましょう。


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2009/5/22

教師は生徒を愛している  教育・学校・教師

 祭壇に「祖父」「祖母」と書かれた供物のある葬儀というものに、初めて出席しました。それだけでも涙を誘う式でした。企業や組織の名がほとんど見えないというのも珍しい風景です。

 遺影は、あまりにもあっさりとしたTシャツ姿で、確かに、考えてみれば子どもの正装写真というのもそうはあるはずがありません。そのすがすがしさがなんともやりきれないものでした。そしてなによりも、あんなに泣き声のたくさん聞こえる葬儀というのも初めての経験でした。たいてい葬儀は天寿を全うした人のものですから、どこかに不謹慎なほど華やいだ感じの人がいて、雰囲気を和らげてしまうものです。しかし昨日の葬儀は一片の明るさもないものでした。

 二人の教師が弔辞を読み上げました。一人はこの3月まで2年間担任をした中学の教諭で、もう一人は現在の、わずか1ヶ月半の高校の担任です。しかし生徒にかける二人の思いは、年月とまったく無関係です。

 世の中の人たちは、教師が児童生徒に愛を持っているという、あまりにも当たり前なことに気づいていません。私たちが誉めるのも叱るのも、しばしばイラついたり怒鳴ったりするの、みんな愛があるからだということを知らないのです。

 いい年をした大柄の男性が、他人の子のために肩を落とし、背中を丸めて泣く姿を、私は世界中の人たちに見てもらいたいと思いました。



 
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