2009/4/30

悪魔の道具を子どもに渡さない  教育・学校・教師

 文科省の通達(平成21年1月31日)と市の指示に従って、本校でも
@携帯電話の持ち込み禁止、
Aどうしても必要な場合の申請と学校長の許可、
B登校時に学校に預け下校時に受け取るというシステムの設置
 を明らかにした通知が出ました。

 殆どの学校が持ち込み禁止をしている状況でこうした通知が出れば、それは当然「持ち込み可能のお知らせ」として受け取られます。案の定、何通かの申請書が出され、「学校が許可してくれるなら」ということで、新たに購入して持たせようという家も出てきました。

 子どもが誘拐されるかもしれないという恐怖感には個人差がありますから、わざわざ申請書まで出してくるお宅の申請書は受理しなければならないでしょう。したがって「距離が長いから」「不審者にあったことがあるから」「親戚の子がつけられたことがあるから」心配です、と申請さえすれば、全員が携帯を学校に持ってこられる時代が来たことになります。この流れは止められません。

 しかし子どもが携帯を持って良いことは、親が便利ということ以外、ほとんど何もないということは、繰り返し訴えられてきたことです。

 もちろん携帯を持っていれば安全などという事はありません。一連の少女誘拐殺人事件の発端となった奈良の事件では、少女はGPS付きの携帯を持っていたのです。にもかかわらず簡単に誘拐され、その携帯で死体となった子どもの写真が撮られ、母親に送りつけられてきました。もし携帯を持っていなければ、母親はもっと慎重に子どもの安全を考えたのかもしれません。しかしGPS付きの携帯を持ていたばかりに、それ以上の安全策は考えなかったのかもしれないのです。

 1台の携帯に平均20人のアドレスが入っているとして、その20人にメールを送りさらにそれぞれ20人へと送り続けるねずみ算を行うと、最初の1回で20人、2回目で400人なります。3回目(8000人)、4回目(16万人)、5回目(320万人)、6回目(6400万人)、7回目(12億8000万人)。全日本人の10倍の人数に達します。

 つまり携帯電話の7人向こうに、ヤクザもいれば詐欺師もいて、手ぐすね引いて餌食を待っているのです。そんな危険なものを子どもに渡してはいけません。小学校で携帯を手にした子どもが中学生になって手放すということは絶対にありませんから、今渡すことは、将来に渡って渡すことと同じです。

 申請書が出されたといった目前の状況では話すことができませんが、携帯の危険性については、繰り返し話していく必要があるでしょう。よろしくお願いします。


*子ども安全がどうしても心配な場合は、携帯電話ではなく、それ専用のGPS発信機を持たせればいいのです。これだと月々900円ほどで済みますし、いざとなれば専門のガードマンが急行してくれます。(例:ココセコム

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2009/4/28

しかたがない、がんばろう!  教育・学校・教師

 今日、4月28日は日本がOECD(経済開発協力機構)に正式に加盟した日だそうです(1964年)。日本の子どもの学力低下を決定的に印象付けたPISA(学習到達度調査)ですっかり有名になったOECDですが、もともとは国際経済全般について協議するための国際機関で、先進国によって構成されているため「先進国クラブ」 あるいは「金持ちクラブ」 とも呼ばれています。

 そのOECD加盟国(30カ国)で、GDPに占める教育費の割合が一番低いのが日本ですが、その世界最低の教育費が昨今の財政難によってさらに下げられようとしています。国や都道府県の行っている教育施策のうち、教育的効果のないと思われるものからザクザクと削ってしまおうとしているのです。逆に言うと、一定の教育予算を確保し現在の教育レベルを維持しようとすると、教育的効果のあることを具体的に証明し続けなくてはならないのです。

 私は最近、県教委の担当者の話を聞く機会がありましたが、とにかく不登校を減らしてくれ、学力を上げてくれ、それを具体的に証明してくれないと、スクールカウンセラーや少人数学習担当の先生がガンガン減らされてしまうと悲鳴を上げていました。

 闇雲に不登校を減らそうとすることやひたすらテストの成績を上げることが、学校教育にどのような歪みを生むか私は非常に心配します。しかしそれをしないと先生が減らされてしまうとなると、話は別の方向に進むでしょう。現在の教員配当を崩されると、学校が成り立たないことは明らかだからです。

 非常に不本意ですが、不登校ゼロを続け、1点でも学力が上がるよう、みんなで頑張りましょう。それしかないのです。

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2009/4/27

親に殺される子どもたち  教育・学校・教師

 大きく取り上げられた芸能人の泥酔事件の陰で、大阪の少女が母親に殺されて埋められてしまいました。両親の離婚の際、双子の妹が実父の方についたのに、「お母さんと一緒がいい」とついてきた姉の方が、見捨てられてしまったのです。

 私は、子どもが苦しむのを平気で見ていられる神経というものがまったく理解できません。

 子どもの苦しみを受忍できるのは、非常に高い価値のためにその苦痛が必要とされる場合で、なおかつ苦痛がその子の能力の範囲内にある場合、そして子ども自身が苦痛を前向きに受け入れている場合だけです。それは例えば、部活の大会で優勝するために激しい練習に耐えるとか、目指す学校に合格するために受験勉強に耐えるとかいった場合であって、それ以外のどんな時も、子どもはすべての苦痛から自由でなくてはなりません。

 親が自分の子どもの苦痛に無感覚になって行くプロセスは理解できませんが、無感覚になっている状況は察知できるかもしれません。

 家庭訪問も後二日。

 疑うわけではありませんが、そういう意味での家庭の匂いに対しても十分に配慮してきましょう。



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2009/4/24

壊れたレコードの話  教育・学校・教師

 ああ言えばこう言う果てしない子どもとの論争に巻き込まれると、にっちもさっちも行かなくなることがあります。昔、私たちの親がやったように「屁理屈を言うな!」と叫んで議論を打ち切りたくなるような場合ですが、子どもの方は筋を通しているつもりなので、何がいけないのか分からなかったり、議論に勝ったようなつもりでいたりします。

 本当は議論の詐術に巻き込まれているだけなのですが、論争の渦中にいると、何が何だか分からなくなります。そこで、そもそも論争の始まった最初に戻り、とにかく目的達成を目指すための対話テクニックとしてブロークン・レコード・テクニックというものがあるようです。壊れたレコードと同じように、同じことを果てしなく繰り返す方法です。

 父「早く寝なさい」
 子「だって、まだ9時だよ」
 父「早く寝なさい」
 子「だって、○○くんのうちも、10時まで起きてるって言うよ」
 父「早く寝なさい」
 子「だって、このテレビがあるもん」
 父「早く寝なさい」
 子「分かったよ。寝るよ」
父「ありがとう」

 これを紹介してくださった桜田先生とは、もともと欧米で開発されたものだから日本の親子にそのまま当てはめるのはいかがなものか、といった話をしました。しかし一つの理念としては参考になるものです。


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2009/4/23

10年の後  教育・学校・教師

 同じく子どものことを第一に考えながら、こうも学校と親とがすれ違う理由のひとつは、明らかに視点が異なるからです。親は子どもとともに育ってきますから目の前の子どもに縛られますが、教育は10年後20年後に向けて行うものですから、私たちの目はずっと遠いところにあるのです。

 例えば、子どもがどうしても九九が覚えきれずに苦しんでいるから、もう暗記させるのはやめようという教師はいません。この子はマラソンが苦手でいつやってもドベだから容赦してやろうという人もいません。しかし九九やマラソンならまだしも、給食だの登校するだの、友だちや教師との関係だのとなると、微妙にずれ始めます。

 子どもがあんなに切ながっているのに、なぜ給食を食べきらなければならないのか、学校を休んではいけないのか、乱暴な友だちや教師の言動に耐えなければならないのか、分からない親がいるのです。最近しばしば聞かれる「無理はさせたくないのです」という言葉は、そうした親の感じ方を表しています。
 
 たいていの子どもは18歳を過ぎると親元を離れてしまいますから、親が子どもを教育できる期間はわずか18年です。6歳で小学校に上がったときにはその三分の一が終わっていて、小学校を卒業する12歳のときには三分の二が終わっていることになります。残る6年はあっという間に過ぎますし、そもそも最後の三分の一に親や教師の言うことをよく聞く子は稀です。

 その後の長い人生において、子どもは一応の大人として、世の中から乱暴に扱われ、放り出され、一人で対応をしなければならなくなります。

 そう考えると、今、多少苦しんだってどうってことはないと教師は考えがちです。けれど多くの親はそういった考え方をしません。そこが違いです。

 教師の側からその溝を埋めるためには、「10年20年後のその子」という視点を常に与え続けるとともに、目の前の我が子が可愛くてしかたがないという親の心情に寄り添うしかないのかも知れません。

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2009/4/22

家庭訪問  教育・学校・教師

 家庭訪問です。
 私は、親と教師がともに子どもの良さを認め合い、課題を整理して一年の目標と計画を定めるのが家庭訪問だと思っています。そして12月の懇談会で「目標はここまで達成されましたが、あとこんなところを考えましょう」と中間決算し、3学期いっぱい欠けたるを補って次年度に繋げる、それが一年のサイクルだと思っています。とても気に入っています。

 ですから家庭訪問で、担任はその子の主なプロフィールを、簡単にスケッチして見せる必要があります。学校ではこんな子で、こんなふうに過ごしていますよ、ということです。

 ただし毎日30人からの子どもを見ていますと、一人ひとりの子どもを見る目は三十分の一以上に薄まってしまいますし、どうしても手のかかる子に目が行ってしまいますから、訪問先で「さて、この子について何を語ろうか」と思っても、おいそれと話題が見つかるはずもありません。そこで私は、家庭訪問中だけは一日、いや半日、今日訪問する予定になっている7〜8人だけ集中して、叙述的に話せるように目で追っていました。そうすると、案外話題は見つかってくるものです。

 子どもについて語るということは、その子を見る担任の思いを語るということです。優しい気持ちで見てあげましょうね。
 それと、いつも言っていることですが、遅刻だけは絶対にしないよう気をつけてください。私たちの同僚のママさん先生たちがそうであるように、ギリギリのところで休みを取って何とか間に合わせてくださる保護者は、たくさんいるのですから。


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