2009/3/18


 春休みに入りましたので、基本的に「デイ・バイ・デイ」の更新はありません。

 気が向いたら、書きます。


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2009/3/17


  卒業!

 今日は、それだけです。



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2009/3/16

いよいよ・・・・  教育・学校・教師

 いよいよ明日は卒業式です。
 
 卒業式は正式には「卒業証書授与式」といい、卒業証書を授与することが中心的な儀式となります。

 卒業式が学校行事の中できわめて異質なのは、この行事ひとつだけが学校(学校長)主催の式ではないということです。明確な位置づけはないのですが、主催者は教育委員会、もしくは教育委員会と学校(学校長)との共催といった形を取ります。ですからこの会だけは、教委代表者は学校長と同じステージ向かって左に座ります。入学式も含め、教育委員会が校長側にいることは絶対にありません。また、地域によっては来賓の先導も教委代表者だというところもあります。

 この日教頭は校長に代わって「学事報告」を行いますが、これは学校が教育委員会に向けて行う業務報告です。また、今はそう言わないところも増えてきましたが、卒業式における教育委員会代表者の言葉は「教育委員会告示」といって、単なるあいさつではなく、教育委員会が「キミたち(卒業生)の卒業を認める」ことを告げる、という意味での告示なのです。したがってかつては証書授与の前に行われるのが普通でした。

 そうなると、なぜそんなに教育委員会は偉いのかということになるのですが、答えは簡単です。それは、学校に金を出してくれる市民に成り代わってそこに立っているからです。

 子どもが0歳から18歳まで成長する間に使い果たす税金は、軽く一千万円を超えるといわれています。その金は、子どものない人や、時にはとても貧しい人からも集めた金なのです。それを何百万円も使って卒業していくのですから、学校は市民に報告の義務を持ち、卒業生はそれなりに立派に成長した自分を明らかにしなくてはなりません。

「みなさんのおかげで、とりあえずここまではりっぱに育てていただきました、育ちました」と、胸を張って披露する日なのです。

 さて、明日はどうでしょうか?



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2009/3/13

説得はできるのに、納得はさせられない  教育・学校・教師

 さすがにこの歳になると酒の上での口論といったことはしませんが、若い頃はけっこうやったものです。ところが口角泡を飛ばしてバンバンやっていると必ず「まあ、まあ、まあ、いいから飲めって」とか妙にジジ臭い雰囲気で割って入ってくるヤツがいて(若いくせに)、議論を丸ごと消しにかかったりします。そんなことで潰されてはたまらないので、私はさらに熱くなってガンガン言うのですが、何度もしつこく割り込まれるとさすがに根気がなくなって、いつか諦めてしまいます。それがいつものかたちでした。

 私は、物事が本質的に片付かないことは好きではないのです。したがって問題を一つひとつ丁寧に潰していって、すべてがすっきりして勝つのが気持ちいい、そういう性質です。
 
 ところが世の中にはまったく反対に、問題を一つも解決しないのに、何となくうまくやってしまう人がいます。

 やくざの手打ちのように、「まあ、そういうことで(そういうことだ?)」とか言って「ヨ〜ッ」と言うと、それでシャン・シャン・シャン。私なんかまったく納得できずにイライラするのにだれも問題に思わないようで、妙にすっきりした顔をしている、そういうことがあるのです。

 考えてみれば難しい保護者との対応でも、私は相手の言い分の一つひとつを潰しては怨まれます。説得はできるのに、納得はさせられない、そういうことがしばしば起こるのです。


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2009/3/12

自分に手を焼く子どもたち  教育・学校・教師

 私たちが子どもに手を焼くように、子ども自身が自分に手を焼いている場合があります。

 自分が悪い、自分の考え方一つで何とでもなると百も承知で、しかし素直になれない、うまく行かない、誰かのせいにしたい。
 そんなことを口や態度に表すと、親や先生や友達が駆けつけてきて、一つひとつ丁寧に扱ってくれるのだが、そんなふうに一つひとつ潰されるのがかえってたまらない。私の訴えていることは全部本当なのだが、全部潰されてもそれで気が晴れるわけでも、問題が解決するわけでもない。私が訴えたいことはたぶん別のことなのだが、それが分からない。
 いわば赤ん坊がパニックになって泣きまくっているようなものだから、どんな手を打っても泣き疲れるまで収まらない。ただし赤ん坊と違って、小学校の高学年や中学の子どもが暴れると、本人にとっても周囲にとっても被害は甚大です。

 こんなときどうすればよいのか。

 一つは、神のように偉大で強大な担任が、怒鳴りつけ、泣くのを押さえ、それからゆっくりと行くべき道を指し示せばいいのです。そして常に、生きる道を示し続ける。たぶん、スポーツの世界にはそんな指導者がたくさんいます。
しかし現代の学校ではそんな教師はなかなか生き残れませんし、子どもも大人に対する「基本的な恐れ」というものを失っています。

 第2の道は、その子の言う「私が訴えたいことはたぶん別」の、その内容を言語化してやることです。言語化というのは曖昧なものを目に見えるかたちにすること、いわば霧を凝縮させて水滴にしてしまうような作業で、とうぜん体積は極端に減ります。

 本当は担任がやって上げられれば一番いいのですが、すでにさんざん暴れまくって素直でない関係をつくっていますから、素直に話すなどとてもできない場合が多いのです。学年の、他の先生の出番ですね。
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2009/3/11

萌黄(もえぎ)  知識

 和名「もえぎいろ」は一瞬、黄色の印象がありますが、実は薄い黄緑といった感じの色です。漢字で書くと「萌黄」と書き、芽が出たばかりの新鮮な緑を表しています。

 日本人をことさら特殊で素晴らしい民族だと標榜することには抵抗がありますが、色の名前についてコバルトとかカーマインといった西洋の名は広まるのに、和名が廃る一方なのは寂しい気がします。

 縹色(はなだいろ)は紺と水色の中間色です。瑠璃色(るりいろ)はそれをやや青っぽくした色、花色(はないろ)はそこに薄紫を注します。そこに紺をもう一度入れると群青色(ぐんじょういろ)という感じになります。その周辺に納戸色(なんどいろ)、錆納戸(さびなんど)、茄子紺(なすこん)、鉄紺(てつこん)などといった色があります。

 灰色系に鼠色、鈍色(にびいろ)、利休色(りきゅういろ)、濡羽色(ぬればいろ)などがあります。
 赤系には桜色、鴇色(ときいろ)、珊瑚色などというものもあります。

 紅(くれない)、緋色(ひいろ)、茜色、葡萄色、海老茶・・・
 名前を並べるだけでウキウキしてきます。しかしこういうことを教える暇は、私達にはないのですよね。




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