2009/2/27
エコヒイキが嫌いなのはオレも同じだということについて 教育・学校・教師
みんなが静かに一生懸命清掃をしている最中、何もしないでおしゃべりをしている子どもを見ると、普通の教師だったら頭にきて指導します。ところでその時、私たちは何に頭にきて、腹を立て怒っているのでしょう。
@教室がきれいにならないことに腹が立つ。
A出した指示が通らない。他の子に対する示しがつかないことから腹が立つ。
B指導したのに、さっぱり成長が見られないことに腹が立つ。
C成長していくべき児童が、そのチャンスを逃し、いつまでも子どものままでいようとしていることに腹が立つ。
さまざまな感じ方があり、そのどれもが正しいと思いますが、私個人は、他に一生懸命働いている子がいるのに、他方に遊んでいる子がいる、その不公平に腹が立ちます。
子どもたちにアンケートを取ると、最も嫌われるのはエコヒイキする先生です。少しでもそれらしいことがあると、子どもは絶対に許してくれません。
にもかかわらず、自分で自分をエコヒイキすることに、まったく抵抗がない子がいます(そんな子に限って、他人のエコヒイキにはかえって敏感だったりしますが)。
そんな子を、私は許せないのです。
ですからこういう言い方になります。
「なんで、あいつは黙って一生懸命掃除をしなけりゃいけなくて、お前は遊んでいていいんだ? 何が偉くてお前は遊ぶことを許されてるんだ? なんで自分だけエコヒイキできるンじゃ!? 他人のエコヒイキは許さんのに、自分のエコヒイキは何でそんなに簡単にできるンじゃ?」
子どもに通じない論理かもしれませんが、腹の中にあるのはそういうことです。
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@教室がきれいにならないことに腹が立つ。
A出した指示が通らない。他の子に対する示しがつかないことから腹が立つ。
B指導したのに、さっぱり成長が見られないことに腹が立つ。
C成長していくべき児童が、そのチャンスを逃し、いつまでも子どものままでいようとしていることに腹が立つ。
さまざまな感じ方があり、そのどれもが正しいと思いますが、私個人は、他に一生懸命働いている子がいるのに、他方に遊んでいる子がいる、その不公平に腹が立ちます。
子どもたちにアンケートを取ると、最も嫌われるのはエコヒイキする先生です。少しでもそれらしいことがあると、子どもは絶対に許してくれません。
にもかかわらず、自分で自分をエコヒイキすることに、まったく抵抗がない子がいます(そんな子に限って、他人のエコヒイキにはかえって敏感だったりしますが)。
そんな子を、私は許せないのです。
ですからこういう言い方になります。
「なんで、あいつは黙って一生懸命掃除をしなけりゃいけなくて、お前は遊んでいていいんだ? 何が偉くてお前は遊ぶことを許されてるんだ? なんで自分だけエコヒイキできるンじゃ!? 他人のエコヒイキは許さんのに、自分のエコヒイキは何でそんなに簡単にできるンじゃ?」
子どもに通じない論理かもしれませんが、腹の中にあるのはそういうことです。

2009/2/26
アレ、なんて言ったっけ 教育・学校・教師
トイレなどの詰まりを直す棒の先に吸盤のようなものがついたアレ、なんと言う名前か知っていますか。

任意で先生方に聞いてみたら、「呼んだことがないない」が最も多く、次が「スッポン」。「バコバコ」「パコン パコン」「シュッポン」「シュポ シュポ」「シュッポン シュッポン」と、まあ賑やかなこと。
私は見栄っ張りなので「バッコン」などと言うのがいやで、かつて本気で名前を調べたことがあります。それによると、あの道具は正式には「通水カップ」、通称あるいは商品名としては「ラバー・カップ」と呼ばれています。ただし「ラバー・カップ」というのは和製英語で、プランジャー(Plunger)が正確な英語です。
製品には上の写真のような半球形のものと、下のような先のついたものがあり、下の方が圧倒的に力があります。
さて最近、私は自分が通水カップの稀有な使い手であることを知りました。他の人だったら抜けない詰まりを、私だったら抜けるのです。
ポイントはふたつです。
一つは、半球形の通水カップの場合、穴に隙間ができないようにしっかりと覆うこと。そして、穴をシュポン、シュッポンするとき(アラ、言っちゃった)、カップの中に水がたっぷり入っているよう、常に水量に気を配ることです。空気が入ったカップでは、いくら激しく押し出しても、パイプの詰まりは抜けないのです。
さて、こんなことを鼻高々と自慢している自分を、私自身はかなり情けなく感じています。
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任意で先生方に聞いてみたら、「呼んだことがないない」が最も多く、次が「スッポン」。「バコバコ」「パコン パコン」「シュッポン」「シュポ シュポ」「シュッポン シュッポン」と、まあ賑やかなこと。
私は見栄っ張りなので「バッコン」などと言うのがいやで、かつて本気で名前を調べたことがあります。それによると、あの道具は正式には「通水カップ」、通称あるいは商品名としては「ラバー・カップ」と呼ばれています。ただし「ラバー・カップ」というのは和製英語で、プランジャー(Plunger)が正確な英語です。
製品には上の写真のような半球形のものと、下のような先のついたものがあり、下の方が圧倒的に力があります。
さて最近、私は自分が通水カップの稀有な使い手であることを知りました。他の人だったら抜けない詰まりを、私だったら抜けるのです。
ポイントはふたつです。

さて、こんなことを鼻高々と自慢している自分を、私自身はかなり情けなく感じています。

2009/2/25
子どもを花粉症にしないための9か条 教育・学校・教師
一昨日のネット上のニュースに「子どもを花粉症にしないための9か条」というのがありました。(2月23日 医療介護CBニュース)
それによると、将来、子どもが花粉症で苦しまないようにするためには、
@生後早期にBCGを接種させる。
A幼児期からヨーグルトなど乳酸菌飲食物を摂取させる。
B小児期にはなるべく抗生物質を使わない。
C猫、犬を家の中で飼育する。
D早期に託児所などに預け、細菌感染の機会を増やす。
E適度に不衛生な環境を維持する。
F狭い家で、子だくさんの状態で育てる。
G農家で育てる。
H手や顔を洗う回数を少なくする。
(理化学研究所免疫・アレルギー科学総合研究センターの谷口克センター長)
のだそうです。
かつて、花粉症やアトピーは本来ギョウチュウなどの寄生虫を攻撃していた免疫反応が、攻撃対象を失って自らの身体を攻撃し始めたものだから、寄生虫の卵(の成分)を植えつければ治るという話がありました(私はかなり本気で信じました)。
また、私の尊敬するある先生は、土の中には無害な雑菌が山ほどあるから、乳幼児期にたくさん土を口にすることが健全な免疫づくりをすることに繋がると言って、盛んに泥遊びを勧めていました。
「子どもを花粉症にしないための9か条」が正しいかどうかは分かりません。しかし不自然なほどの潔癖には、やはり問題があるのかもしれません。
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それによると、将来、子どもが花粉症で苦しまないようにするためには、
@生後早期にBCGを接種させる。
A幼児期からヨーグルトなど乳酸菌飲食物を摂取させる。
B小児期にはなるべく抗生物質を使わない。
C猫、犬を家の中で飼育する。
D早期に託児所などに預け、細菌感染の機会を増やす。
E適度に不衛生な環境を維持する。
F狭い家で、子だくさんの状態で育てる。
G農家で育てる。
H手や顔を洗う回数を少なくする。
(理化学研究所免疫・アレルギー科学総合研究センターの谷口克センター長)
のだそうです。
かつて、花粉症やアトピーは本来ギョウチュウなどの寄生虫を攻撃していた免疫反応が、攻撃対象を失って自らの身体を攻撃し始めたものだから、寄生虫の卵(の成分)を植えつければ治るという話がありました(私はかなり本気で信じました)。
また、私の尊敬するある先生は、土の中には無害な雑菌が山ほどあるから、乳幼児期にたくさん土を口にすることが健全な免疫づくりをすることに繋がると言って、盛んに泥遊びを勧めていました。
「子どもを花粉症にしないための9か条」が正しいかどうかは分かりません。しかし不自然なほどの潔癖には、やはり問題があるのかもしれません。

2009/2/24
生きること 教育・学校・教師
私は相田みつをという人がどうしても好きになれません。あの説教臭い、単純な物言いが嫌いなのです。しかし残念なことに、相田みつをの詩が教育的に効果のあることは認めざるをえません。
自分の番(いのちのバトン)
父と母で二人 父と母の両親で四人 そのまた両親で八人
こうして数えていくとゆくと 十代前で、千二十四人 二十代前では―?
過去無量のいのちのバトンを受けついで いま、ここに自分の番を生きている
それがあなたのいのちです それがわたしのいのちです
遠い過去から受け継いで、遠い未来へと続いていくはずの「いのち」を、あなたの代で(私の代で)途切れさせてはならない、それが縦の方向の宿命です。
もうひとつ、
私たちは、生物学的には「ヒト」ですが、社会的には「人」と「人」の「間」に生きる「人間」です。生まれたときから一定のネットワークを持っているのです。
どんなに役に立たないように思える人でも、その人を生きがいとして生きている人がいて、ライバルのように睨みつけている人がいて、うらやむ人がいたりねたむ人がいたり、アイツでもがんばっているんだからオレも頑張ろうと思う人がいて、愛する人がいる。
そうした人間のネットワークを断ち切る権利は、誰も持っていません。それが平面に広がる横方向の宿命です。
このたてと横のふたつの方向で、私たちは宿命付けられています。
いつか子どもに「なぜ人は生きていかなければならないのか」と問われたら、そのとき答えようと思っている、それが私の答えです。
