2008/9/23

組体操という道徳  教育・学校・教師


 組体操の最中に本部付近がざわついたとき、私は何が起こったのか分からないでいました。養護の武藤先生が飛び出していってK君を引き出してきて、その顔が血で真っ赤なのを見て初めて、鼻血を出していることに気づいたのです。両手も真っ赤でした。

 治療している間中、K君は目に涙をいっぱいにためて耐えていました。しかし泣くほどのこともないだろうと、私は少し冷ややかな気持ちでした。

 K君の抜けた後を萱野先生が埋めようとしましたが、激しく移動し組を変える中では、本人ではないのでとてもついていけるものではありません。K君の入るべき組はしばしば演技が遅れます。そして一番大切なピラミッドの時間になったとき・・・

 治療を終えたK君が素早く走り出て、二段目の角によじ登ったのでした。振り返ると武藤先生がニコニコして見ていました。その時になって初めて、私はK君の涙のわけを理解したのです。

 約3週間の練習を経て、子どもたちは組体操の中でかけがえのない自分を獲得していきます。それぞれの演技で、下になるものは痛みに耐え、上になるものは不安定と恐怖に耐えながら自分の責任を果たしていきます。どの一つの駒が欠けても演技は成立せず、3週間もの苦しみに耐えてきた仲間が空しくその場に座り込まなければならないのです。K君はそれに耐えられなかった、たぶんそうです。

 後から聞けば、かなり早い時期に鼻を打って出血したようです。その様子を見て友だちが「座れ」「座れ」と言っているにもかかわらず、彼は鼻を押さえながら移動し、ボタボタと血を流しながら演技を続けたのです。先生が気づいて本部に連絡し、武藤先生が引きずり出すまで。

 学校の道徳というのは人間関係を学ぶことです。それぞれが世の中にとって必要であること、人は他人の犠牲の上に立って生きているということ、お互いに補って生きているということ、人は信じるに足るということ、どんなに苦しくても人のために働かなくてはならないときがあるということ、そして人とともに働くことは人間にとって無限の喜びであると言うこと・・・道徳で学ぶべきことはそういうことです。

 今回の経験を通して、私は「組体操という道徳」という言葉を思いました。こうして作り上げられたクラスの人間関係が、さらに高まっていくといいですね。




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