2008/4/11

メートル法公布記念日  歴史・歳時・記念日


 今日、4月11日は「メートル法公布記念日」だそうです。1891年(明治24)のこの日に「改正度量衡法」が公布され、メートル法を使用することが定められました。

 メートル法の開発というのはフランス革命の一環で、王政時代の古い単位も捨ててしまおうという考え方に端を発しています。万民が納得する単位の制定となると自然に依拠するしかなく、結局、北極から赤道までの子午線の1万分の1ということで落ち着きました。1000分の1でもいいのですが、コレだと物差しが長すぎて使えません。

 国際単位系(SI)で、k(キロ)は千倍を、m(ミリ)は千分の一を表す接頭語なので、それぞれkm、mmという単位が生まれます。さらに1m以下の長さは日常的に使うものですから、mとmmの間に単位がないと何かと不便です。したがって100分の1を表すc(センチ)が使われcmとなります。
 
 はじめに、「1mは北極から赤道までの子午線の1万分の1」言いました。逆に言えば北極から赤道までの距離は1万kmです。ですから地球の縦方向の円周はちょうど4万km。また、地球は激しく回転する球体ですから、遠心力で赤道付近が膨らむミカン型をしています。したがって赤道の長さは4万kmよりやや長くなります。この「地球の周囲は4万km」ということは、覚えておくと意外に便利なときがあります。


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2008/4/10

やって見せ・・・  教育・学校・教師


 「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ」
 私たちの世界では繰り返し紹介される山本五十六の言葉です。誉めることの大切さを語ったものだと解釈されていますが、重要なのはむしろ前半です。「やって見せ、言って聞かせて、させてみ」なければ、誉めてやるなどということはできないのです。

「子どもは誉めて育てましょう」というと、若い保護者や教員の中には「誉めるところが見つからないのです」と嘆く方がおられます。しかしただ指をくわえて見つめていても、おいそれと誉めるところは見えてきません。それどころか悪いところばかり目について、誉めるつもりが逆に叱ってしまうことになりかねないのです。

 誉めるためには技がいります。
 それが「やって見せ、言って聞かせて、させてみて」です。
 うんざりするほどしっかり教え、ここまで教えれば赤ん坊だってできるだろうというところまで持っていって、それでできたら「すごいね」「よくできたね」と誉めればいいのです。

「赤ん坊でも」というのはこちらの判断であって、できなかったことができるようになるというのはやはりたいへんなことなのです。

 
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2008/4/9

税金を払っているのだから  教育・学校・教師


 春休みの会話の中で、保護者に向けて「算数のここの部分が十分理解できていませんから、おウチでも見てやってください」と書いたら、その子の父親が「先生たちは、俺たちの税金でメシを食っているのだから、先生にやってもらえ」と言った、そういう話が出てきました。

 私たちは保護者から金をもらって教育をしているという意識がありませんから、こういった話が出てくると一瞬、面食らいます。しかし保護者が金の問題を持ち出すなら、こちらも素直になれません。

 私たちの収入は週40時間の労働と、月8時間の超過勤務に相当する調整額から成り立っています。ですから「金を払っているのだから、その分働け」と言うなら、働けるのはその程度、週40時間の労働と、月8時間の超過勤務だけです。

 また支払いとサービスには等価の原則がありますから、教育サービスも「より税金を払っている金持ちに厚く、貧乏人に薄く」なくてはなりません。「税金を払ってるのだから、すべて先生にやってもらえ」と言っていいのは、年に1億円程度の税金を払っているだけでしょう。すくなくとも、私の年収分の納税くらいはしておいてもらわねばなりません。

 今日は、ちょっといきり立つような事件があって、このようなことを書いています。



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2008/4/8

アカデミズムとストイシズムと・・・  教育・学校・教師


 「学ぶ」は中国語で「学習」といい「勉強」とは言わない、という話を聞いたことがあります。中国語の「勉強」は「強制」を意味する言葉だからです(だから昔の八百屋さんは、無理に値を下げることを「勉強します」と言ったりする)。

 その中国語の「学ぶ」と「強制」が日本で混同されたのは、やはり言葉が日本に伝わってきた2000年ほど以前も、学ぶことが常に強制を伴っていたからなのでしょう。

 学習は気楽にできることではない、ということは肝に銘じておくべきことです。
「楽しく、分かる授業」は私たちが心がけるべきことですが、それが達成できれば子どもが自然にがんがん学習するというものではありません。ましてや学びの受け手やその保護者が、「ボクが(ウチの子が)勉強しないのは教え方が悪いせいだ」と言うのは僭越ですし、少なくとも損です。

 苦しい学習を続けていくためにはそれなりの仕掛けが必要です。それはその子の周辺にアカデミズム(学問至上主義・学究的な雰囲気)やストイシズム(禁欲主義)があるかということです。享楽的な、あるいは刹那的な雰囲気の中で勉強など続けられるものではないからです。

 もちろん家庭の考え方として、「勉強なんかしなくてもいい」「生きて生活する上でお前には別にやるべきことがある」というのであれば別ですが(昔の農家や職人の家、今でもオリンピック選手を育てようといった家はそうです)、勉強をさせたいと思ったら、欲望は厳しくコントロールされなければなりません。

 新しい年度の始まりに、改めてそういうことを思いました。



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2008/4/7

金曜日は  教育・学校・教師


 すばらしい入学式でした。
 来賓の方々も口々に誉めてお帰りになりました。
「今年の一年生、しっかりしているね」

 しかし私は少し違うと思いました。しっかりしていたのは新2年生から新6年生で、その雰囲気に新入生も飲み込まれたのだと思うのです。
 1年間、全校集会のたびに先生方が、静かな入場を心がけてくださったおかげだと思っています。全校の集まる場は静かにするものだということが、すっかり定着しています。新入生が入って多少雰囲気は変わりますが、きっと今後も大丈夫でしょう。

 4月はすべてのことが「今年度初めての〜」と言うことになります。片っ端全部行うと大変ですが、清掃をなどいくつか重点を決め、高いクオリティからことを始めたいものです。最初に高くしておいてそれを維持するのは比較的楽ですが、後から高めていくのは容易ではありません。

 その意味で気の抜けない一週間ですね。



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2008/4/4



 昨夜は、遅くまで残って教室準備をされる先生がたくさんおられました。
 係の仕事をし、入学式の準備に取り組んでいると、どうしても自分のクラスのことは後回しになってしまいます。しかし「ウチのクラスの子」だって、新入生と同じように希望に燃えて来るかもしれないのです。

 明くる日の 子どもの笑顔 浮かべては ラベル貼るらん 名前唱えつ 

 昨年、昇降口で最後まで仕事をしていたのは大迫先生でしたが、今年は柳場先生でした。

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