2008/2/29

エイリアン・ロジック  教育・学校・教師


深夜のアミューズメントパークに幼児を連れ歩く若い夫婦を、補導員が注意したら逆に怒鳴られたという話を聞いたことがあります。
『お前たちは、父親が子どもと遊ぶことが大事だといいながら、なんでオレたちを叱るわけ? 昼間忙しく働いているんだからオレには夜しか時間がないんヨ。その短い時間を子どもと遊んでやろうとしてるのに、何がイケンのよ! 疲れていても子どもと遊んでやろうというオレの、どこが悪いんヨ!』
ということです。一見納得させられるような論理ですが、直感的に「これは変だ」と感じるようなロジックには、必ずまやかしがあります。

「昼間忙しく働いているから夜しか時間がない」というのは事実でしょうし、「父親が子どもと遊んでやることが大切」ということは正義です。「短い時間を子どもと遊んでやろうとしてる」というのはすばらしいことですし、「疲れていても子どもと遊んでやる」というのは見上げたことです。しかし補導員が指導したのはそういった部分ではなく、「子どもと遊ぶのが深夜でいいのか」「アミューズメントパークがふさわしい場のか」という点だったはずです。その根本的な部分をまったく捨ててしまい、それ以外のところに論理を積み上げて押してくるのです。

 この場合は、こんなふうに言ってやればよかったのです。
「夜しかないなら、今遊んでやるしかありませんよね。でもこういう場所は子ども向きではありませんから、ぜひ家に帰って子どもを布団に入れ、本の読み聞かせをしてあげなさい」とか、夏だったら「すぐ寝ましょう。お父さんも疲れてるんだから。明日、一緒に5時起きして、誰もいない児童遊園地でジャングルジムでもやらせるといいですよ」とか。

 どうせ相手は言うことなんか聞きやしませんが、議論には勝てますし、勝てばいつまでもアミューズメントにいたりはしないでしょう。

要は、相手が投げ捨てた本質の部分にこだわり、絶対に放さないことです。

 かつて常識では測れない若者たちを「新人類」と呼んだ時代があります。ところがさらに分からない若者たちが出現して、彼らは「異星人」とか「エイリアン」とか呼ばれました。そしてそれ以後の世代は、名前すら付けてもらえないほど常識から遠いところに行ってしまいました。その「彼ら」が、今や親となって私たちの前にいるのです。



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2008/2/28

対応の季節  教育・学校・教師


 人事の季節です。

 誰が移動しそうだとか昇任しそうだとか、そういった話は厳に慎むのが私たちの世界の慣わしです。しかしだからといって3月末に「オイ! あの人が出てくのかよ!」と驚き、4月になってその人の仕事が自分に振り向けられ、何も分からずオロオロと慌てふためくのも間が抜けています。

 それぞれの在任年数や家庭の事情などをそれとなく思い浮かべ、怪しいと思う人の仕事ぶりを見ておくのも必要でしょう。





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2008/2/27

飛ぶ風景  知識


 電車に乗って外の景色を見ていると、線路際の景色はビュンビュン後ろに飛んで行くのに対して、真ん中の風景はゆっくりと後ろに進み、遠くの山々などはほとんど動かずにその場にいます。

 走る電車から見えるものが、まるで動いていないように見えるとしたら、それは「もの」が電車と同じ速度で同じ方向に走っている場合だけです。東京で京浜東北線と山手線が並んで走る部分がありますがあれと原理で、遠くの山々は列車と同じ速度で同じ方向に走っているのです(!?)。

 もちろんそれは冗談ですが、しかし実際に車窓から昼間の月などを見ていると、「これ(月)、絶対にこの列車のあとを追ってるな」と思うことがしばしばあります。


 さて、遠くの山々と電車が同じ速度で同じ方向に走っているとしたら、その間にある事物はどんどん置き去りにされているはずです。そして実際にそのような場所があります。

 今のような冬の季節、一面の冬景色の中に点々と人家や電柱などがあるところです。その家や電柱が私から300mから400mくらいだとちょうど程よいのですが、遠景と私の間で、家々だけが後ろに進んでいく・・・私の好きな、最も愉快な錯覚のひとつです。


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2008/2/26

教師の品格  教育・学校・教師


 普通は目に見えない個人の人格というものが形になって現れることがあります。
 例えば前任校を出るとき、私はステキなコーヒーカップをプレゼントされましたが、そのカップの選択に贈り主のセンスが見えます。よくもこんなものを選び、私に似合っていると判断したものだとほとほと感心するのです。
 しかしカップの選択以上に感心するのは、私がコーヒーカップを壊してしまい困っているということを、その人が知っていたという事実です。よほど観察眼があって常に周囲に気を配っていなければ分からないことです。
 プレゼントの良き贈呈者というものは、常に相手の欲しているものを掴むのがうまい人です。

 さて、焦眉の問題として人格が現れてしまうものといえば、それは引継ぎ書類です。児童生徒の記録に関する引継ぎや係りの仕事に関する引継ぎ書類、それはまるでハリー・ポッターに出てくる魔法のアイテムのように声高にものを叫びます。

 いい加減な引継ぎ書類はこんなふうに叫びます。
「この書類の製作者はだらしない。整理能力はないし、熱意もない。そして何より次の人に対する思いやりがない。投げやりでいい加減、自分の評判が落ちることも苦にしない!」

 逆に優れた引継ぎ書類はこんなふうに言います。
「この書類の製作者は実に丁寧。日々整理能力に優れ、何より後任の人に対する思いやりにあふれている。後任の人が仕事をする上で困らないように、不安にならないように、そのことばかりを考えてこの書類をつくった。いつか別のところでこの人に出会っても、安心してついていける人だ」

 私が今まで受けとった引き継ぎ書類の中で最も優れたものは、10数年前に受け取った生徒会の引継ぎ書類です。それはすべてを揃えて月別に並んでいる上に、必要に応じて内容ごとにインデックスがつけられたものでした。

 私自身はそこまでできませんが、少なくとも後任の人が不安にならないだけの書類は用意したいと思います。


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2008/2/25

口に出して好きだと言おう  教育・学校・教師


 何やかや言っても、結局、子どもや教えることが好きでこの仕事に就いたのだから、子どもが大事だと思い定めるしかありません。日々一緒に過ごしていれば、現実の子どもは可愛くなかったり小憎らしい時だってありますが、やはり相手は子どもなのです。

 かつて、初任の学校でクラスが荒れまくったとき、先輩が教えてくれたことのひとつは「一番困っている子の机を磨け」というものでした。
「お前が大事、お前が好き、お前のおかげで仕事ができる」 そう唱えながら一生懸命磨けというのです。私はほんとうに困っていましたから、毎日そのようにしました。それでその子が好きになったわけでもありませんが、憎まずに済むには効果があったようです。

 また別の先輩は、「生徒から、『お前なんか大嫌いだ』といわれたらどう答える?」と謎をかけられたことがあります。その人の言うには、
「『俺だってお前なんか嫌いだ』では話にならんだろ。そんなときは『そっかァ? 俺はお前のこと、好きなんだけどなァ』と答えておけば、後で利いてくる」
とのことでした。

 嘘だって百遍唱えれば本当になるといいます。「子どもが好き」というのは本当の気持ちですから、やはり声に出して言うべきでしょう。
「お前が大事、お前が大好き、お前たちのおかげで生きていける」
というわけです。


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2008/2/22

止める能力  教育・学校・教師


 自閉症という言葉に出会うと、初めての人は、自分を閉ざし、引きこもりのようになって暗く沈む、そんな障害を思い浮かべるようで、実際の自閉の子に出会うとその騒がしさにびっくりしてしまうことも多いようです。

 同じようにADHD=注意欠陥多動性障害と聞くと、やたらとキョロキョロしてあちこち動き回る忙しい障害、といった認識を持つようですが、これも半分違っています。もちろん完全な間違とはいえませんが、注意欠陥には二種類あって「注意をしきれずあちこち気が移る注意欠陥」もいれば、「注意そのものがうまくいかず、ボーっとしている注意欠陥」もいます。「あちこち気が散る」と「ボーッ」ですから、印象でいえば両者は正反対ですが、どちらも同じ注意障害です。

 多動性障害については(私はむしろ衝動性障害と呼ぶべきように思うのですが)、実際に忙しく動き回る子もいますが、衝動的に人を殴ってしまうとか、興味あるものがあるとあと先考えず、そこにまっすぐ向かってしまうとかいった衝動性に共通点があります。さらに多動な子も大人になるに従って多動性は薄れていくのに対し、その中にある衝動性はなかなか消せないともいわれ、衝動性こそ多動障害の本質ではないかとうかがわせる点が多々あります。

 さて、「この子は衝動性が高い」と言えば人間の中にあるひとつの能力が突出しているかのようですが、もしかしたらそれは「制御性が弱い」という能力の低さなのかもしれません。私は昨日、ある子どもたちを見て、ふとそのように思いました。

 
指示に従えない、
耳は聞いているのに体は「やってはいけない」ことをしてしまう。
そもそも教師の話にサッと気持ちが向かない。
頭と体の間にちょっとした不連続な部分があって、思うことが体にうまく伝わっていかない、
心は止めているのに体は止まっていかない、

そんな印象を持たせる子たちです。
 
 この子たちに必要なのは百万遍のお説教ではなく、旗上げゲームのように「赤あげて、白あげないで、赤おろす。白あげない……」といったふうに激しくONとOFFを繰り返す機能訓練なのではないかと思ったりもします。
 これは冗談や皮肉ではなく、まじめな話です。

 止める能力に問題があるのです。


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