2007/12/14

12月14日  歴史・歳時・記念日


 今日、12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日として有名です。ただし、江戸時代の一日は日の出から始まりましたから(ということは正月の二年参りも早朝に行けばよかった)、「時は元禄15年12月14日・・・」といっても、実際の事件は明日の未明に起きたことになります。

 赤穂浪士の事件は、後世、浪人たちの再就職運動だったとかいろいろな言い方をされました。しかし、基本的には幕府の不公平に対する、武士たちの異議申し立てだったと私は思います。不公平を正さなければ、生きてはいられないと彼らは考えたのです。

 私は、この国にはこうした「義」や「名誉」のために平気で命を投げ出す人々がいた、我々はそうした人々の末裔であるということを大切に考えたいと思います。
 
 今、目の前の享楽に溺れたり物に振り回されたりしているように見える子どもたちも、こうした美しい生き方に触れれば(そういう生き方ができるようにならないまでも)、そのありたいと願うようにはなれるかもしれません。

 今時、忠臣蔵を道徳の教材にする人もいないと思いますが(そしてもちろんそんな必要もないのですが)、子どもたちにはひとつでも多く、美しい生き方に触れさせたいものです。

 ところで、日本では歴史に残るテロルはすべて雪の中で起こっています。
 桜田門外の変もそうですし、2・26事件もそうでした。


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2007/12/13

枯れ木の話  教育・学校・教師


 昨日、読み聞かせをしながらふと思い出したことがあります。
 ひとつは、
 「桃太郎」と「花さか」は、お婆さんが桃を拾ってくるところまでは全く同じ話だということです。桃を切って男の子が出てくれば「桃太郎」、うすで冷やしておいた桃が犬に変わっていたら「花さか」です。

 もうひとつは「枯れ木に花」の科学的考察についてです。
 同じ灰を撒きながら、親切爺さんだと満開の桜になり、意地悪爺さんだと灰が舞い散って殿様の目を傷つけたのはなぜかという問題です。

 一方は親切で、他方は意地悪だからというのは答えになりません。科学の世界では、誰がやってもリトマス紙は酸性で赤くなります。同じように、同一の灰を撒けば結果は同じでなくてはなりません。

 にも関わらず一方が満開で他方が灰のままだという事実があるとしたら、それは結局灰の受け手である「枯れ木」の方に差があったと考えるのが妥当でしょう。つまり親切爺さんが見事な枝振りの枯れ木に向かって灰を撒いたのに対し、意地悪爺さんはほとんど枝のない貧相な枯れ木に向かって灰を撒いた、だから大部分の灰が灰のまま空中に飛散した、そう考えると納得ができます。

 さて、似たような経験は私たちにもあります。
 「教師という爺さん」が「知識」という灰を撒く。同じように撒くのに、定着しやすい者とそうでない者が出てしまう、その差は何かということです。そしてこれも結局は枯れ木の枝ぶりの問題なのです

 学習心理学ではそれを「先行オーガナイザー」と言うのだそうです。知識を受けるに先立って、十分受け取るだけの準備や仕組みのことをいいます。
 たとえば、今日テレビドラマ「風林火山」を熱心に見ている子は、何年か先に戦国時代を勉強するとどんどん知識がついていくはずです。逆に、「信玄、誰?」と言っているような子は、戦国時代と言ってもぴんと来ないところから初めなくてはなりません。
これでは差がついても仕方ないでしょう。

 小さな頃はたくさん遊んでおけというのは、そうした先行オーガナイザーを十分に育てておけということです。毎日ニンテンドーDSをやって、たまにディズニー・ランドに行けばいいというものではないのです。



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2007/12/12

懇談会A  教育・学校・教師


 人が最も美しく見えるのも安心して対峙できるのも、斜め45度の姿を見せる場合です。机をL字型に並べて話すとお互いに楽です。

 できればそのLの中に花を飾りましょう。喧嘩をするために来ているわけではないので、お互い心休まる雰囲気が必要です。

 時折、お茶まで出してゆっくり語る人もいますが、そこまではやらなくていいように思います(やってもかまいませんが)。

 もっとも大切なことは時間を守ることです。特にお勤めがありながら4時以前の時間帯に甘んじてくださっている方たちは、1時間年休、2時間年休といった短い休みを無理にとって職場に戻ろうという人たちです。学校を大切に考えてくださっている方たちですから、甘えてはいけません。話が長引きそうだったら、来週以降、家庭訪問をすればよいだけのことです。そう言っても失礼はないはずです。

 お互い、気持ちよく別れられるよう、十分に配慮したいものです。


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2007/12/11

フーテンの寅  教育・学校・教師


 葛飾区の「寅さん記念館」に行ってきました。言わずとして知れたフーテンの寅さんの記念館です。

 私は若いころからこのキャラクタが嫌いで、一本としてまじめに見たことはなかったのですが、最近ややハマっています。

「ガマの油売り」や「バナナの叩き売り」のような口上が得意で反復行動が大好き。
人から説教をされているにも拘らず状況が読めず「それを言っちゃあお仕舞いだよオイちゃん」とか言って逆に説教を垂れたりする。
しばしば女性の気持ちを読み誤って自分に気があると勘違いする。
家族を振り回す。
正義が相対的なものであって、他人には他人の正しさがあるということが理解できない。だから自分の正義を振り回す。

・・・そう書いて見ると明らかに私たちのよく知るタイプの人々を思い起こさせます。

 こういう人がそばにいると本当にかないません。しかしそれでいながら、フーテンの寅さんは映画の中でも、映画の外(観客)からも非常に愛されています。日本人はこういう人がとても好きらしいのです(その意味では、私は自分が日本人である自信を失います)。

 広汎性発達障害の子どもたちの、ひとつのあるべき未来がここにあります。
 非常に困った人ですがみんなから愛されている、そして曲りなりにも社会に順応し、何とか生計を立てている。

 今は非常に苦しい人生を送っているこの子たちですが、何とか寅さんのレベルまで引き上げ、私たちの亡きあとも生きて行けるだけの力をつけてあげたい・・・寅さん記念館の入り口で、「館」の字を逆さにひっくり返して掲げる寅さんの像を見ながら、私はそんなことを考えました。
 丁寧に育てて行きたい子どもたちです。



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