2007/11/2

我慢できる子 がんばる子  教育・学校・教師

 大沢先生が、
 徳川家康は倹約が大好きだったというエピソードを社会科の時間に学習したら、子どもが「倹約」という言葉を知らなかった、
 といって嘆いておられました。

 私もあきれましたが、考えてみればいかにもありそうな話です。「倹約しましょう」などという言葉は、現代の日常生活ではおよそ使いません。何かの目的のために今使うお金を我慢しましょう、ということがほとんどないのです。これでは我慢強い子が育つはずがありません。

 しかし現代でも我慢強い人はいますし、実際に我慢している子どももいます。我慢して勉強している子、我慢して清掃している子、部活や社会スポーツでがんばっている子・・・、部分的に見れば、我慢できる子がんばれる子はいくらでもいるのです。
そこで、どういう子が我慢できているを考える余地が生まれるのですが、そうやってみると、我慢できる子たちは我慢できない子たちとは別のところに価値を持っていることに気がつきます。
 
 部活の厳しい練習に耐えられる子は、遊ぶことや怠けることよりも、選手になることや試合に勝つことに高い価値観を持っています。苦しい受験勉強に我慢できる子は、志望校や上位の成績を上げることに高い価値を置いています。

 つまり我慢できる子は「高い価値のためにより低い価値を捨てている」そういう子なのです。それが我慢の本質なのです。

 たとえば黙々と働ける子を育てるためには、その先に何らかの価値がなければなりません。それは低いレベルで言えば、大好きな先生にほめてもらえるとか、仲間から「すごい」と言われるとかいったことです。より高次になると、汚いところをきれいにしたという達成感がそれに加わり、あるいはそれと替わったりします。黙々と働くそのこと自体に価値観を感じるとしたら、否が応にも働かざるを得ないでしょう。

 ただ闇雲に「我慢、我慢」と言っても我慢できるものではないのです。


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