2007/10/23

美しさの学習  教育・学校・教師


  前にも言ったと思いますが、道徳には二つの側面があります。

 ひとつは「人に迷惑をかけない」で、もうひとつが「それは美しいか」です。
 前者についてはたいていの人が口にしますし、その行為が「迷惑をかける」かどうかは、多くの場合、ほとんどのケースで一致することができます。例えば、ひと中でタバコを吸うことは明らかに迷惑です。電車の中で大声で騒ぐのも迷惑に決まっています。意見が一致しやすい問題なので(だからそれができるというわけではありませんが)ある意味、簡単なことです。

 しかし「それは美しいかどうか」は別です。あるものが美しいかどうかは、必ずしも一致しません。
 昨日お話したように、紅葉の美しさが理解できない人がいます。ピカソの絵なんて下手なマンガくらいにしか思えない人がいます。西洋の印象派の絵の美しさは分かるが、その元となった日本の浮世絵は何がいいのか分からないという人もいます。
 なぜ万人が一致できないかというと、美が論理的に説明できないからです。論理的に説明できないことで人を納得させるのですから、かなり厄介です。

 ではこうした問題はどうすればよいのかというと、結局は、美しい行いや美しい仕草、美しい言葉遣いを経験させるしかありません。常に美しいもの触れさせ、美しい言動をさせるしかないのです。

 一流の絵画を見続けてると、やがて何が「美」か分かるように、美しい生き方の経験を積んだ人間には、美しい生き方の良さが見えてきます。そして醜いものに耐えられなくなります。
 道徳の授業の中で繰り返し美しい生き方に触れさせるとともに、日常的に美しい生き方のトレーニングをしなければなりません。私はそのように考えます。




 
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