2007/5/24

心の教育としての清掃  教育・学校・教師


 小学校教諭の免許は通信教育で取りました。そのとき送った図工のレポートに対して、こんな評価が書かれていました。「これではまるで、精神治療みたいですね」。テキストに忠実に書いたつもりでしたので、ちょっとびっくりしました。

 臨床心理学は「経験の学問」と言われます。「なぜそれが心に良いのか説明できないが、良いからやる」という態度が貫かれているからです。科学的に説明できるようになるまで待っていたら「生活に困難をきたしている人を救う」という本来の責任が果たせないからです。それはたとえばカウンセリングだったり、音楽だったり、ダンス・体操だったり、描画だったり、動物とのふれあいだったり・・・。世の中の○○セラピーと呼ばれるものは皆そうです。

 さて「音楽だったり・ダンスだったり・・・」と書くとすぐに分かることは、「これって、みんな学校でやっていることじゃん!」ということです。つまり日本の学校はきわめて精神治療的なのです。私のレポートが「精神治療みたい」になってしまったのも、そちらの方にちょっと道がそれすぎただけのことです。

 長い学校教育の中で生き残ってきたこと(教科や特別活動、その他の活動)はすべて「なぜそれが心に良いのか説明できないが、良いからやる」という経験主義的な理由で残ったこと
なのです。

 中でも清掃は学校教育だけでなくあらゆる社会教育の場で伝統的に大切にされてきたものです。その最たるものが寺子ですが、落語を始めとする芸道でも、職人の世界でも、およそものを学ぶ場では、常に掃除がその入り口にありました。

だから私も熱中するのです。


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