2007/5/23

おはよう  言葉


 昔、何かで読んだ話ですが・・・
「ある夏の日、農家に蟄居していた大村益次郎(別の人かもしれない?)のところに、一人の農民が訪れ『暑いですねぇ』と声をかけたところ、大村は『夏とはそういうものだ』と答えて、勉学を続けた」

 これは大村の、ものに動じない、暑さにも揺らがない人格を示すエピソードとして紹介されていたものですが、正直なところ「それはないじゃないの?」というのが感想です。

「暑いですねえ」「夏とはそういうものだ」
「寒いですねェ」「冬とはそういうものだ」
「早いですねェ」「早くはない」

 では、みもふたもありません。
 挨拶とはもともとそういうものなのです。
「おはよう(早いですねェ)」
「こんにちは(今日は・・・)」
「こんばんは(今夜は・・・)」。


外国語だって同じで、グッド・モーニングもグーテン・モルゲンも直訳すれば「良き朝」・・・だから何なんだよ? みたいな話です。
 これらはいずれも言葉の接ぎ穂であって、それ自体には何の意味もありません。

 ただし、これらの言葉を口にしてしまうと、そこから会話が始まる可能性が生まれます。
「おはよう(早いですね)」
「ああ、おはよう(あなたこそ早いですね)」
「これからどちらへ?」
「田んぼを見に行くんです」
「それはごくろうさま。ところで先日の・・・」
 といった具合です。

 つまり「おはよう」というのは
「会話を始めてもいいよ、ボクはキミと話したいんだよ」
という心のサインなのです。

心を開いて「キミを受け入れるよ」と言っているのですから、言われた方は気持ちが悪いわけがありません。
 
 現在、「あいさつ運動」は全国で展開されていますが、根底には「あいさつをすることによってお互いを受け入れる関係をつくろう」という思いがあります。
「相手を受け入れる気持ちがなければ、あいさつをしなくてもよい」と考えるのではなく、あいさつをすることによってそうした気持ちをつくろうと考えるのです。


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2007/5/22

ダーウィンは間違っていたのかもしれない  教育・学校・教師


 昨夜家に帰って何とはなしにテレビをつけたら、1年間に17頭のパンダを誕生させた中国の繁殖施設の話をしていました。赤ちゃんパンダばかり17頭の愛くるしい姿に、思わず頬が緩みます。しかし改めて見ると、パンダというのは本当にナゾの動物です。

 山の中では明らかに目立ちすぎる白黒状態。これといって武器もない。笹しか食べないというワガママ食。赤ん坊は体長5pほどのミニサイズで、4ヶ月たっても排泄すら一人ではできない超弱者。これで長く自然界を生きてきたわけですから、不思議という他ありません。ところがこれはパンダに限ったことではなく、今から200万年か400万年ほど昔、同じようにどう考えても弱者なのに、なぜか生き残ってしまった動物がいます。

 その生き物はほとんど未熟児状態で生まれ、丸一年の間歩くことすらできません。全身に毛の生えることは稀で、鋭い爪といった武器も持っていないのです。おそらく世界中の動物の中で最弱の生き物で、弱さ故に安全な森の樹上からも追い出され、猛獣の生息する平地に生きなければなりません。氷河期が訪れたときも他の動物から遅れ、酷寒の土地に定住しなければならない仲間もいました。寒冷地を逃れた者も、二度と食べ物の豊富な森には、住むことが許されませんでした。この生き物、いうまでもなく人間です。

 ではどうして生き残ることができたかというと、それは結局、人間が弱い者を守り続けたからだと考えるしかないのです。今でもタイタニックのような大きな事故の際には、子どもや女性が優先的におろされます。逆に言うと「弱いものを守らない者は人間ではない」。子どもたちには、ぜひとも伝えておきたいことです。


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2007/5/21

ニートとは何か  教育・学校・教師



 研修会ごくろうさまでした。とても有意義な時間が過ごせました。特に講演会では、めったに聞けない話を聞くことができて、本当によかったと思いました。その講演会の中でいくつも気になることがあったのですが、今朝はニートについて書いておこうと思います。

 ニート(NEAT)はイギリス生まれの概念で「Not in Education, Employment or Training(教育を受けているわけでも就労しているわけでも訓練を受けているわけでもない状態)」を示します。日本ではそれが「状態」から「人々」を表す言葉になり「若年無業者」と訳されていましたが、現在では「ニート」とカタカナ書きされるようになっています。

 また、NEAT」と「ニート」は異なる概念だとい説もあり、「NEAT」には「仕事もせずにフラフラしていてこの先何をするか分からない連中」というニュアンスがあるので「NEAT」対策が必然的に非行予防の様相を呈するのに対し、日本の「ニート」は基本的に家の中にいます。
 そのニートが推定で64万人もいて、やがて外に出てくるのです。もちろん親の収入で暮らしている人たちが新たな社会の担い手として出てくるのではなく、親の死によって無業のまま最貧民層を築くのです。

 その生活を支えるための社会的負担はたいへん大きなものになりますが、教育を担う私たちの立場からすれば、それよりもっと大切なことがあります。それは「ニート」たちが社会的に生きていないということです。

 教員として出会う可能性のあるさまざまなことがらの中で、これ以上ない最悪の事態はおそらく生徒の自殺です。それに続く悲惨は教え子をニートにしてしまうことだと私は考えます。なぜならそれは「魂の死」だからです。それに比べたら非行や不勉強など、何ほどのこともないのです。


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2007/5/18

教育改革関連3法案通過  教育・学校・教師


 教育関連3法案が衆議院特別委員会を通過しました。法律のことなので、意味の分かる部分もあれば分かない部分もあります。

 例えば、「学校教育法改正案」の中で「組織運営強化のため、小中学校などに『副校長』『主幹教諭』『指導教諭』を置くことができる」というのはどうでしょう。

 「司書教諭を置く」「特別支援コーディネーターを置く」と同じで、副校長や主幹教諭という人が新たに来るわけではありません。教頭が副校長に、教務主任が主幹教諭になるだけのことです。名前が変わると給与が増えるわけでもありません。そんなことをしても政府に何の得もないからです。

 東京都の例を見ると、結局、「副校長・主幹教諭を置く」というのは学校の中に「学校運営委員会」という新たな組織をつくることと一緒です。少なくともその可能性が高くなります。
「学校運営委員会」とは何かというと、校長・副校長・主幹の3人で学校の一切を決めていくということです。

 校内の組織は「学校運営委員会とその下部組織である各係」という厳しい上下関係で結ばれます。学校運営上の提案は係が作り、運営委員会に上げて決済を受けます。運営委員会が話し合って決定するのですから、職員同士が話し合う必要はありません。したがって職員会議も学年会も必要ありません。(ただし、連絡・徹底のための職員会議や学年会はどうしてもはずせないので、職員会議は月一回、連絡会議の形で行われます。学年会はとても嫌がられます)

 運営委員会はすべてを決めますから重い責任を負いますが、教職員で話し合って政府の意図しない方向に教育が進むことは避けられます。もちろん「置くことができる」ですから、置いても置かないでもいいようなものですが、この「副校長」「主幹教諭」、注目していきたいところです。

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2007/5/17

正義の重苦しさ  教育・学校・教師


 最近、「時代の閉塞感」という懐かしい言葉がしばしば聞かれるようになりました。何とはない行き詰まり感というか、動きの取れなさみたいなものです。使う個人によってニュアンスの違いはあろうかと思いますが、私にとってそれは、「正義の重苦しさ」です。

 たとえばそれは「すべての子どもに高い学力を!」

 もちろん「すべての子どもに東大へ入れるだけの高い学力を」といった無体なことを要求する人はいないと思いますが、この「高い」のレベルをどこまで下げたら現実的な話になるのか、世間の人々と私たちの間には大きな落差がありそうです。

「せめて小学校の問題くらい、卒業のときは全員が解けるようになっていなければならない」
 可能でしょうか?

 さらに「すべての子どもは、苦しみや辛さから解放されるべきだ」。

 もちろんその通りです。しかしこの正義が前述の正義と組み合わさって「すべての子どもは、苦しんだり辛い思いをすることなく、高い学力をつけられるべきだ」ということになったらどうでしょう?

 また、これについてかつての文部省の官僚のひとりは「先生がします!」と鮮やかに述べていますが、これもいかがでしょう?


 こうした正義の複合について、私は新聞紙上ですばらしい言葉を発見したことがあります。それは次のような文です。

「世の中は正義だらけです。したがって『みんながそれをきちんと守ったら、人は幸せになれるだろうか』という観点を失えば、私たちは正義に振り回されることになる」

 まったくその通りです。



 
 
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2007/5/16

危機管理の『さしすせそ』  教育・学校・教師


 危機管理の「さしすせそ」ということが盛んに言われますがご存知でしょうか?

「さ:最悪の事態を考え」
「し:慎重に」
「す:すばやく」
「せ:誠意を持って」
「そ:組織的な対応を」 ということです。

 私はこの中で「さ:最悪の事態を考え」というのが一番好きで、それこそが危機管理の本質だと思っています。そしてこれだけが明確な指針となり、私たちにエネルギーを与えてくれると思っています。

 また、「慎重に」も「すばやく」も全くその通りですが「誠意を持って」には少し説明が必要です。というのはこの場合、「誠意」はかなり明確な方向性をもているからです。

 例えばそれは「情報を小出しにしない」ということです。あるいは「(必ずしもホントのことをすべて言う必要はないが)ウソはついてはいけない」とか、「問題への対策は、普通の感覚で『これくらい必要』と思われることのちょうど3倍行え」とか「将来不誠実にならざるを得ないような約束は絶対にしない」とか「翻さなければならない前言は出さない」とかいったことです「気持ちがないのに謝るのは誠意のないことだ」などと難しいことを言ってはいけません。危機管理の誠意というの単なる気持ちの問題ではないからです。

「組織的に」そうですね、みんながそれぞれ自分の持ち場を守り、みんなで助け合ってやれればいいですね。

 ところで、不審者対策の「いかのおすし」とか、栄養バランスの「うちのまごはやさしい」とか、調味料の「さしすせそ」とか、みんな言えます?

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