2007/3/5

秘法伝授A〜給食の指導(その1)」    教育・学校・教師


 給食を全部食べなさいという指導を、人権侵害だと思っている人が世の中にはたくさんいます。嫌いなトマトを強制された、レタスを食わされた、ニンジンを食べろとしつこく言われたといった恨みは後々まで尾を引くようで、いつまでもネチネチ言われます。インターネットの世界では、その話題だけで掲示板が成り立っているくらいです。
 しかしそのくせ、小学校の算数で九九を覚えるよう強制されたとか、中学校では文化祭の出品作品が間に合わず放課後まで残って描かされたとか、中学にもなって逆上がりができないばかりに何度もやらされた、といった話が人権侵害として訴えられないのは不思議です。

 考えようによっては何でもおいしく十分に食べられるというのは絵が描けたり逆上がりができたりするよりもはるかに大切な能力で、これがないと社会的に損ばかりすることになりかねません。

 例えば、学校給食が食べられない人は学校の教職員になれません(マ、当たり前ですな)。おなじ給食という概念から考えれば、病院食が食べられないばかりに入院ができない、年を取ってからは老人保健施設に入れない、福祉施設にも入れない。そんな大げさな話ではなく、普通のサラリーマンになったにしても、毎日の昼食に毎回同じようなものしか食べられない生活は、とても豊かなものとはとても言えません。

 また、ふだん家で食べているものしか食べられない人は、外国暮らしが難しくなります。海外出張の多い仕事では苦労が絶えません。海産物が苦手だと宴会に出ても食べるものがない、デートしても入る店が極めて限定されてさっぱり面白くない。そして結婚すれば、それこそ食文化の違いが夫婦間で絶え間のない紛争になったりもします。

 何でもおいしく必要なだけ食べられる能力は、基本的で最も重要なものです。ですから、給食指導に熱心になれない教員は、それこそ人権感覚の薄い教員というしかないのです。


(以下、ブログのみに記述)
@多少の好き嫌いは個性だという言い方があります。
 1〜2の食材がダメという話だったら私も認めます。しかし特に小学校入学時の好き嫌いといったら話にならない子がいます。「野菜がダメ」「魚がダメ」という言い方をされると、もうテーブルの上には白米と牛乳しか残らなくなる場合がいくらでもあります。

Aテーブルの上の「ご飯」「おかず」「汁物」を順番に食べる「三角食べ」を、管理教育の道具とか教師による生徒イジメの道具とかいった考え方をする人がいます。そういう人は小学校の給食を一週間くらい見学してみればいいのです。
 おかずと汁物とデザートを全部食べ終わって、真っ白なご飯だけが残ってしまい、食べられないでいつまでもじっと眺めている子。ご飯だけの食事では私だって食べられません。「ご飯」「おかず」「汁物」をバランスよく食べること、それを子どもに分かりやすく表現したのが「三角食べ」なのです。

B世の中には大食いの子もいれば小食の子もいる、その違いを認めよ、という人もいます。もちろんその通りです。しかしそれにもレベルというものがあります。信じられないかもしれませんが、カップに十分の一の味噌汁と二口分の白米、1cm角の切り身の焼き魚と一つまみのサラダ、それが適量という子がいます。それでいいのでしょうか? もちろん、そうした子は家に帰るや否や「お母さ〜ん、おなか空いた!」と叫んで、お菓子を頬張ったりしています。

C中学校では給食の強制とか三角食べといったことはあまり問題になりません。それは多くの場合、小学校の先生方の6年間の努力のおかげなのです。

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