2006/12/26

ご苦労様でした(終業式)  教育・学校・教師

 
 2006年、本当にたいへんな年でした。
 前年度に引き続く不審者対策と・・・・・・・・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・・・個人情報保護、飲酒運転撲滅、いじめ自殺事件への対応、その間に落雷2件・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・その他紙面に残せないことも多数。しかし大変だったわりには結局大過なく過ごせたのは、先生方の実力・協力があったればこそのことです。それとともにわれわれにまだまだ強い運があるからだろうと、私は思っています。
ツイテル、ツイテル!

 おめでたいことは、柳沢先生のご結婚、山倉先生のご懐妊、田山先生のお嬢さんさんのご結婚・・・すばらしいことには違いないですが、3件だけとはまったく寂しい気もします。そして田山先生のお嬢さん、お正月には戻ってこられるでしょうが、田山家にとっては一人足りない年の瀬です。少しお寂しいのかもしれません。

 それでふと思い出したのですが、私の好きな言葉に、「家族の一生は人の一生より短い」というのがあります。たとえば、私は4人家族ですがその4人家族をもったのは下の男の子の生まれた平成5年、今から13年前のことです。上の娘は今高校2年で、卒業と同時に家を出ると言っています(たぶんそうなるでしょう)から、私が家族とともに暮らせる年月は、あと1年。それで我が家の14年間の家族の一生が終わります。私はきっと長生きしますので、仮に98歳まで生きるとすると、家族の一生はそのわずか七分の一しかないのです。
 年忘れ。学校で起きたすべてのことを忘れ、年末年始は家族のことだけに心を砕いてみるのもいいかもしれません。


 四苦八苦
四苦八苦は仏教語で、人間のあらゆる苦しみのことをいう語です。四苦とは「生老病死(しょうろうびょうし)」で、人間として逃れられない必然的な苦しみをさします。八苦とは、生老病死の四苦に「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとくく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」の四つを加えた計八つの苦のことだそうです。四苦と八苦で合わせて十二苦あるわけではありません。
後半の四苦の意味は、「愛する人と別れる苦しみ(愛別離苦)」「怨み憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)」「求めるものが得られない苦しみ(求不得苦)」「存在を構成する物質的・精神的五つの要素に執着する苦しみ(五陰盛苦)」で、人間として味わう精神的な苦しみのことをいいます。
 四苦(4×9=36)と八苦(8×9=72)合わせて(36+72=108)、だから煩悩の数は108で、除夜の鐘も108つ鳴らされます。
(以上、唐突に思い出しましたが、最後の2行は真っ赤なウソです)

それでは皆様、よい御年を・・・。


(「デイ・バイ・デイ」は冬休み中は更新しません。新年は1月9日からです。皆様、よいお年を)


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2006/12/25

再び、エセ科学について  教育・学校・教師


 
 先日、エセ科学について書いたところ、中井先生から「その話、知ってます。本を持っています」というお話があり、ひとしきり話題にしました。するとその中で、植物や生き物も声のかけ方次第で育ち方に差が出てくるという話が出てきました。そう言えば植物の話は確かに以前聞いたことがあり、もしかしたら金魚か何かの話として、生き物のことも聞いたことがあるのかもしれません。そして植物や生き物なら、きっとそういうことがあるに違いないと思ったのです。とにかく”手”が違いますから。

 例えば、毎日「ばかやろう」と声をかけている鉢と「かわいいね」と声をかける鉢、ふたつを窓辺に置こうとするとき、もし多少なりとも条件に差があれば、私たちは無意識のうちに「かわいいね」の鉢をより良い位置に置くはずです。潅水のときだって「かわいいね」には多少余分に気を遣い、「ばかやろう」には無造作になるに違いありません。その一つひとつは見過ごすことのできる差ですが、毎日少しずつ積み重ねれば、いつか目に見える差となって表れるに違いありません。金魚だって犬だって、そして人間だって同じです。

 初めて教員となって担任したクラスが大荒れでした。中心となる女の子の指導がまったくできなくなり、クラスを丸ごとその子に持って行かれたのです。手も足も出なくなって完全に行き詰ったとき、一人の先輩が教えてくれたのは、「机を磨け」ということでした。
「毎日、放課後、一番難しい子の机を磨くのです。『お前のおかげで仕事ができる』『お前のおかげで飯が食える』と感謝の気持ちを込めて、何度でも磨きなさい」
 本当に打つ手がなくなっていましたから、けっこう真面目に、私はこの作業を繰り返しました。

 それでその子が良くなったかどうか分かりません。科学実験ではないのですから『やった場合』と『やらなかった場合』を比較することができないからです。また、それで私の心に感謝の気持ちが芽生えたかと言えば、それもなかったような気がします。けれど結局そのクラスを最後まで担任し、まがりなりにも学級としての形を整えることができた背景には、「机を磨け」も役立っていたのでしょう。とにかく”手”が違ってきますから。

 今日はクリスマス。聖書に「汝の敵を愛し、汝を迫害する者のために祈れ」という言葉があります。それも似たような意味なのかもしれません。



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2006/12/22

犬の育て方  教育・学校・教師


(これは以前話したことかもしれませんが)2〜3年前のこと、A高原の高級カレーショップで食事をしようとしたところ、(何しろ高級なので)いつまで待っても注文した品物が出てこないことがありました。子どもたちはマンガを読みながら待ち時間を過ごしていたのですが大人向けの読み物はなく、しかたないのでなんとはなしに手近にあった「犬の育て方」という本を眺めました。ところがこれの面白いこと面白いこと・・・。

「まず最初に、どちらに主導権があるかはっきりさせなければなりません。飼い主の方が指示者であることを明らかにしなければ、どんな指示も通らないからです」
「犬は誉めるときも叱るときも瞬時に迷わず行わなくてはなりません。後になって『あの時はよかったね』とか『あの時のアレはいけないよ』などといっても伝わらないからです」
「誉めるときは喜びを全身に溢れさせて誉めなくてはなりません。叱るときはしっかりと怖い顔をして叱らなくてはなりません」
「目標をもち、辛抱強くことに当たりましょう。目標が達成されるまで、いつまでもしつこく、愛情をもって接しましょう」

 そして最後に、私はこの本の中でもっとも素晴らしい言葉に出会います。
「人間はしつけ損なっても殺されることはありませんが、しつけに失敗した犬はしばしば殺されます。あなたの大切な犬が、人に噛み付いて処分の対象にならないよう、小さな時から、丁寧に育ててあげましょう」

 人間の子どもならいいが犬の子のしつけは絶対に間違ってはいけない。

 愛犬家の面目躍如といったところです。



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2006/12/21



 明日、金曜日は冬至です。
 北半球では一年で一番昼の時間が短い日です。日本では、この日に柚子(ゆず)湯に入り小豆粥(あずきがゆ)やカボチャを食べると風邪をひかないと言われています。

 冬至に風呂というのは、もちろん寒い時期ですので十分に暖まろうという意味もあるのですが、実は「湯治(とうじ)」との音つながりで注目されているにすぎません。更に「柚(ゆず)」も「融通(ゆうずう)が利きますように」という願いが込められているのだそうです。5月5日に「(我が子が)勝負強くなりますように」との願いをこめて「菖蒲(しょうぶ)湯」に入るのと同じ「願かけ」です。

 中国でも宋代から大切な年中行事として祝われ、日本でも長崎の唐人屋敷あたりでは正月と並ぶ大きな行事であったようです。それに目をつけたのが出島に封じ込められてストレスのたまっていたオランダ人たちです。

「実は、オランダでも冬至は重要な行事で・・・」と言ったかどうかは分かりませんが、12月下旬のこの日を盛大に祝うことにしました。もちろん内実はクリスマスですが、日本人も一緒になって盛大にパーティを楽しむようになったようです。これを阿蘭陀(オランダ)冬至といい、幕末まで綿々と続きました。

 何年も続いた阿蘭陀冬至ですから、その間これを怪しんだ役人もいたはずですが、先輩の不手際を暴くのも気が重いし、パーティは楽しいし、ということで目を瞑ったまま230年余りが過ぎたのかもしれません。踏み絵だ、隠れキリシタンだ、はりつけだと、まがまがしい話の多い中で、なんともお気楽な話として私は気に入っています。

 昔の役人にも「柚子」の利く人はいたのですね。



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2006/12/20


昨日は山倉先生の代わりに給食委員会に行ってきました。食育基本法に準じた給食指導のあり方を考えるというのが今年のテーマです。またその中で繰り返し食育法(正しくは食育基本法)の話が出てきて、この方面に暗かった私は少々反省させられました

 食育基本法というのは昨年6月に成立した国民の食事に関する法律です。
「子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも『食』が重要である。今、改めて、食育を、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付けるとともに、様々な経験を通じて『食』に関する知識と『食』を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育を推進することが求められている」(前文)
 学校教育の三本柱(知育・徳育・体育)の基礎に職育をすえると言うのですから、学校関係者としてもっと気を配っておくべきでした。

 国家が国民の食事に法を持って口出しをするという意味では、お節介で情けない法律です。しかし必要な、そして重要なものです。
現在でも朝食にいくらでもエネルギーを注ぐことのできる家庭はたくさんあります。しかしその一方で、朝からお茶漬けを食べて登校させられてくる子、コンビニ弁当の子、食パンと牛乳だけの子、そして何も食べずに登校してくる子がいます。当然、夕飯だって豊かではありません。
学校が家庭の食事にまで手を出さなければならないのは本当に情けないことです。しかしやらなくてはなりません。
 時々映画の中に見るアメリカ一般家庭の朝食風景。私たちの子どもの食卓をあんなふうにしてはいけないからです。
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2006/12/19

蔓延するエセ科学  教育・学校・教師

 早起きの効能のひとつロクなテレビ番組がない、ということです。おかげで深刻なテレビ人間だった私も、家での仕事が十分できます。ところが・・・
 先日うっかりつけたテレビのせいで、ここのところ30分ほどの朝の時間が奪われてしまっています。それは午前4時からやっているNHKの「視点・論点」という解説番組です。今朝のテーマは「まん延するエセ科学」でした。

 マイナスイオン効果というものが宣伝に使われたり、マグネシウムが体にいいとかでネックレスが売れたりとか、科学的な根拠のまったくないものが広く蔓延し、それだけならまだしも学校教育の中にまで入り込んで間違った知識が更に広がっていく、というような話です。

 例に上げられたのは、「ゲーム脳」について、そして「水に向かって『ありうがとう』と言い続けると、水の結晶がそろったものになり、『バカヤロウ』と言い続けると不ぞろいのものになる。だから挨拶はしっかりしましょう」といった道徳の授業が行われているという話です(知ってました?)。解説者は、水の結晶というのは氷じゃないか、と噛み付きます。

 しかしエセ科学を広めているという点では、われわれ教師よりもNHKを含むマスメディアの方がよほど罪が深いじゃないかと、私は反射的に思います。

 国際的な学力比較で日本の順位が落ちたと言ってもそれで学力が下がったかどうかは分かりません。他の諸外国が延びただけなのかも知れないのです。
 仮に下がったとしても、それが教員の指導力低下のせいだなんて、どこで科学的な証明が行われたのでしょう? 平成の猛烈な難試験を勝ち抜いたとんでもなく優秀な教師が、私の頃に比べれば、これまたとんでもなく豊かな研修を受け続けて行っているのが、現在の教育です。それで指導力が落ちるなら、研修制度自体に問題があるとしか考えようがありません。やればやるほど指導力の落ちる研修が行われている、そういうことを科学的に証明する必要があるでしょう。
(でも本当はそんなバカな話ではなく、常識的に考えれば、子どもや子どもを取り巻く環境が変わったから勉強しなくなった、だから学力は下がった、ということになりそうなものですが)

 かつて「不登校の子には、学校の『が』の字も言ってはならない。登校刺激を一切控えることが不登校を治す唯一の道だ」といったことが盛んに流布され、登校刺激を加え続ける教師は鬼畜のように非難されました。ところが今は「必要な時期に、適切な登校刺激を与えることは重要」・・・おまけに「教師はバカだから、そんなことも分からない」がついたりします。
 マスメディアが無責任に流した「登校刺激悪玉説」のおかげで、完全不登校にならずに済んだたくさんの子どもがいまや引きこもりです。こんなエセ科学のために犠牲になった子どもたちのことを考えると、水の結晶なんてのん気な話です。

 さて、今日は懇談会最終日。私たちの目の前にいるのは、テレビでたっぷりと教育学を学んできた人たちかもしれません。そうした人々を相手にする以上、私たちもたっぷりと本物の教育論を持っていなくてはならなりません。

さあ、がんばりましょう!!



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