2006/5/30

「ボタン」  教育・学校・教師


 猪山先生が丹精を込めてくださったボタンの花が、今見ごろです。これほどの花でもその気がないと気づきません。児童にも一言かけてください。

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2006/5/29

「免許更新制が始まるかも」  教育・学校・教師


 先週金曜日の新聞記事に以下のようなものがありました。今後注目していきたいところです。

現職教員への適用で合意 免許更新制で中教審
 教員の資質向上のため、10年ごとの講習を受けて修了しないと教員を続けることのできない免許更新制について、中教審のワーキンググループ(WG)は26日、現職教員にも適用することで合意した。
 現職への適用は「遡及(そきゅう)適用で問題がある」などの指摘があったが、文部科学省が同日、制度の法制化に向けて「免許が終身有効であることは必ずしも絶対不可侵ではなく、合理的な範囲内で新たに制約を課すことができる」とする見解を提出。WGはこの見解を踏まえ結論を出した。
 今後、中教審は親部会である教員養成部会の審議を経て、夏までに現職への適用を盛り込んだ答申を提出する見通し。

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2006/5/26

「遠足」  教育・学校・教師


元気よく行ってきてくださいね。

時間帯(時)     0-6   6-12   12-18   18-24
降水確率(%)     ---   10    20     50
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2006/5/25

(無題)  知識


 巡回演劇の「西遊記」面白かったですね。
 そこで問題。
 次の五つのうち、実在のもの・ひと・ことはどれでしょう?

 @三蔵法師    A火焔山    B天竺    C流砂河

 答え。全部。


 「西遊記」に出てくる三蔵法師というの玄奘(げんじょう:602-664)のこと。三蔵法師というのは「三種類の仏典(経蔵・論蔵・律蔵)のすべてに長けた身分の高いお坊さん」という意味で、玄奘以外にもたくさんの人がそう呼ばれています。玄奘は唐の高僧でありながら密出国してインド(天竺)にわたり、仏教聖典や仏舎利をたくさん持ち帰った人で、彼が生涯に訳した仏典1235巻はギネス並の記録なのだそうです。

 火焔山はトルファン盆地の北に連なる長さ100kmに及ぶ屏風状の山脈。トルファン盆地の大部分はマイナス標高で、トルファン市の郊外のアイディン湖の水面は海抜−145m。中国で一番低い場所となっています。言わば地下の穴倉のような場所に人々が住んでいるわけで、夏の気温は40度前後にまで昇り、灼熱の地として有名です。暑さため立ち上る水蒸気に赤土の山脈がゆらゆら揺れ、そのために「火焔山」の名がついたと思われます。

 流砂河。普通、流砂は地震などの時にも起こる土壌の液状化現象を言いますが、中国では大砂漠そのもののことを言うそうです。しかし「西遊記」に出てくる流砂河は、砂漠の崩落現象のことで、玄奘が弟子に口述筆記させた旅行記「大唐西域記」では、玄奘が旅の途中、砂漠に出たとたんに流砂河に飲まれ、大切な飲料水をすべて失ったという記述が残っているそうです。「西遊記」が日本語に訳された時、何かの勘違いでこれを河の名前と勘違いした人がいたようで、原作では流砂河の妖怪としかないのに、カッパの姿にさせられてしまいました。カッパは日本固有の妖怪ですので中国の古典に出てくるはずがないのです。

 孫悟空=「空を悟った猿」  猪悟能八戒=「八つの戒めに能く悟った猪(イノシシ)」と並べると、沙悟浄=「浄いことを悟った沙漠」ということで、やっぱり何のことか分かりません。イメージが沸かなかったのも無理ありませんね。


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2006/5/23



 先日「十」という漢字の読みについて、職員室の一部で話題になりました。音訓表に示された「十」の読みは「じゅう・じっ・とお・と」です。したがって十進法は「じっしんほう」、十手は「じって」、十戒は「じっかい」、9組の次のクラスは「じっくみ」となります。
ただしこの字を「じゅっ」と読む例はたくさんありますし、子ども用の辞書ではしばしば読みとして表記されていたりします。NHKのアナウンサーのほとんどは「じっ」と発音しますが、NHKの出版する「ことばのハンドブック」では、「じゅっ」の読みを認めているそうです。

 言葉は生き物ですから時代とともに変化します。「新しい」を「あらたしい」と「正しく」読む人はいないでしょうし、私の若いころはしつこく言われた「重複(ちょうふく)」ももはや「じゅうふく」で認められています。「独壇場(どくだんじょう)」は「独擅場(どくせんじょう)」が正しく、じつは字も違う、となるとマニアックすぎて誰も相手にしてくれません。
しかし現在でも「相殺」を「そうさつ」と読んだら間違いでしょうし、「端緒」を「たんしょ」と読むのは認められません。そして「十=じゅっ」はどうかというと、これはかなり微妙なところです。

 私は個人的に、小学生には一応「じゅっ」は正しくないと教え、しかしテストなどでは扱わない(そもそも問題として出さない)ようにしたほうがいいと考えています。他にもこんな例はかなりありそうですね。

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2006/5/22

「問題が起きたときの三つの対処法」  教育・学校・教師


 先日の副校長会で校長会長講話というのがあり、蜷川先生がお話をされました。その中で、問題が起きた時の対処方法を、
@「なんとかなる」と信じて時間に任せる。時間にしか解決できないこともある。
A観点を変えて見る。
B本質に立ちかえって観る、
の三つにまとめて考えてみたらどうか、というお話がありました。

 例えば、昨年T中の増岡校長先生が生徒に問うたと言われる
「『親切』という時はなぜ『親を切る』と書くのだろう」
といった問題に対しても、
@この課題を覚えておけばいつか答えにぶつかるだろう、と放置する。
A「親を切る」ではなく「親が(子どもとの関係を)切る」つまり子を突き放して一人立ちさせる、と考えてみたらどうか。
Bそもそも「親」と「切」の漢字の字義に立ちかえって調べてみたらどうか・・・
とそんなふうに考えてみるのもいいのではないか。
 なかなか含蓄のあるお話かと思いました。心しておこうと思いました。

 ただ、「親切」が何故「親を切る」と書くのか、その答えがなかったので「ネットおたく」の私としては、家に帰るとすぐにネット検索にかかりました。その結果・・・
「親」は「したしい」と読むように身体にぴったりと身を寄せる状況を表し、「切」も「刀が身体に貼りつくようなヒシヒシとした思い」を表すのだそうです。「懇切」「適切」「大切」などの「切」はすべてその意味で、そこでは「何かを切る」という意味は「一切」ありません(ちなみに「一切」の「切」は細切れのことで、これをひとまとめにしたものが「一切」です)。
 問題解決の三つの方法、ちょっと心に納めておくとよいでしょう。
(「親切は何故親を切ると書くのだろう」はとても新鮮な問いかと思いましたが、ネット検索をしてみると、やはり同じことを考える人はたくさんいるものだと感心させられます。そしてそんな感心をした翌日の金曜日、テレビを見ていたらまったく同じことを扱っていたので、がっかりしました。私はBの方法でがんばって調べたのですが、今回に限って言えば、@の方法がもっとも正しかったようです。「待っていればなんとかなる!」)


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