2006/3/18

「卒業式の朝を迎えました」  教育・学校・教師


 卒業生の担任の先生方、関わってくださった先生方、ご苦労さまでした。そしてありがとうございました。今日の日がすべての人たちに、よき転機となりますよう,祈ってやみません。
 すべての意味を含めて、長い間本当にご苦労さまでした。


 惜別の歌  【作詞】島崎 藤村

1.遠き別れに 耐えかねて         3.君がさやけき 目の色も
  この高殿に 登るかな            君くれないの くちびるも
  悲しむなかれ 我が友よ           君がみどりの 黒髪も
  旅の衣を ととのえよ            またいつか見ん この別れ

2.別れと言えば 昔より          4.君がやさしき なぐさめも
  この人の世の 常なるを           君が楽しき 歌声も
  流るる水を 眺むれば            君が心の 琴の音も
  夢はずかしき 涙かな            またいつか聞かん この別れ

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2006/3/17

「終業式の日に」  教育・学校・教師


 卒業式を残し、いよいよ平成17年度の最後の日になりました。6年生以外の学年では落ち着いて話ができるのは今日だけです。クラス替えのある学年はもちろん、そうでないところも、次の担任に引き渡すつもりで一年間の総括をしておきましょう。

 大切なのは成長の実感です。
 この一年間何をしてきたか、何ができるようになり何が変わったか、そういうことを言葉にして児童に伝えてください。それとともに教師としての願いも子どもに伝えておきたいものです。
「願い」というのは教師の児童に対する愛情です。「この子にはこうなってほしい、こんな力をつけてほしい」という願いを指針として、みんながんばってきたはずです。うまく行った部分、まだまだの部分も含め、そうした思いを児童に語っておく必要があるでしょう。

 とりあえず、
 一年間ご苦労様でした。ありがとうございました。

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2006/3/16

「傷つくなあ…」  教育・学校・教師


 近代教育だけでも140年あまり、戦後の民主教育から数えたって60年以上、その間大量の教員たちが研鑚に努め、各種の研修システムも充実し、研究会もおおいに繰り返され、それで教師の教育力が高まらないなんてことは絶対にありません。
 特に平成不況といわれたこの十数年間に教職についた人たちは、長い教員採用の歴史の中でももっとも優秀な人たちです。それに比べたら夏目漱石の『坊ちゃん』や『我輩は猫である』に出てくる教員なんて最低です。赤シャツもウラナリも、現代の学校では絶対にもちません。
 教師の教育力は高まったのに、それでも学校と子どもに関わる問題が頻発するのは、教師の能力向上を超えて、社会や子どもが難しくなったからです。つまり、教師の教育力は絶対的には高まったのに、相対的には低下してしまったのです。教師の教育力は、子どもが難しく,複雑になる速さに追いついていないのかもしれないのです。

 ところが一方、学校と教師に対する社会や保護者の要求は多様化し、高まる一方です。「学校のスリム化」「子どもを地域と家庭に帰そう」といったつい数年前のスローガンを、口にする人は今はほとんどいません。文明はつまるところ自分でやらなければならなかったことを、他人や機械、社会システムに代行してもらおうというものですから、文明人は皆依存的、つまり幼児化してしまうのです。彼らは、自分は苦労すべきでない、誰かがこれをやってくれるはずだし、うまくいかないのはその誰かが悪いからだ、そんなふうに考えます。マスコミもそれを後押しします。私たちはいつまでこんな理不尽に耐えていかなければならないのでしょう? 学校評価をまとめながら考えたことは、そういうことです。

 しかし、こんなことはもう10年も続かないでしょう。やがて限界がきて、根本的な見なおしが行われるはずです。たくさんの教師がバタバタと倒れ、多くが病院に入るようになって、初めて社会は目覚めるはずです・・・
 てなことにならないよう、先生方、お身体にはがお留意下さい。特に、25時、26時以降に帰宅されるアナタ、なんとか身体を休める工夫をしてください。
(昨夜の最終は26時30分でした。アア…)
 

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2006/3/15

「謝恩会ありがとうございました」  教育・学校・教師


 昨日の謝恩会では楽しい時間を過ごさせていただきました。6年の先生方、ご苦労様でした。
 思い返せば一年前、「こんなんで大丈夫か?」と思った6年生(いつの年もそうですが)、よくここまで成長したものだと感心します。児童会を背負い、最上級生としての数々の仕事をこなしての一年間、やはり長い小学校生活の中でももっとも意味のある年だったのだなあと改めて思いました。そして久しく忘れていた「徂徠訓」を思い出しました。江戸中期の儒者・荻生徂徠に寄る者です。

「徂徠訓」

一、 人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて初めて長所の現わるるものなり。
 (人の長所を始めから知ろうとしてはいけない。人を用いて始めて長所が現れるものである)
二、 人はその長所のみを取らば即ち可なり。短所を知るを要せず。
 (人はその長所のみをとればよい。短所を知る必要はない)
三、 己が好みに合う者のみを用うる勿れ。
  自分の好みに合う者だけを用いるな)
四、 小過をとがむる要なし。ただことを大切になさば可なり。
 (小さい過ちをとがめる必要はない。ただ仕事を大切にすればよいのだ)
五、 用うる上は、そのことを十分に委ぬべし。
 (人を用いる上はその仕事を十分に委せよ)
六、 上にある者、下にある者と才知を争うべからず。
 (上にある者は、下の者と才智を争ってはいけない)
七、 人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨てるべからず。
 (人材は必ず一癖あるものである。彼は特徴のある器であるからである。癖を捨ててはいけない)
八、 かくして、良く用うれば事に適し時に応ずる人物は必ずこれあり。
 (以上に着眼して、良く用いれば、事に適し、時に応じる程の人物は必ずいるものである)

 人材であったかどうかは今後をまたなければなりませんが、確かにひと癖もふた癖もある子が多かったような気がします。
 先ほど「よくここまで成長した」と書きましたが、それはそれぞれの子が十分によく伸びたという意味でであって、到達点が同じように高かったという意味ではありません。

「七合目まで登っていた子が一気に頂上まできたね」「五合目までのあの子、あっという間に八合目じゃないか」ということです。それはそれで偉大なことですが、登り口からすさまじい勢いで四合目まで引き上げてもらったあの子、やはり心配ですね。手を打つべきは2年生くらいまでだったかな? そんなふうにも思いました。 

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2006/3/15

「謝恩会ありがとうございました」  教育・学校・教師


 昨日の謝恩会では楽しい時間を過ごさせていただきました。6年の先生方、ご苦労様でした。
 思い返せば一年前、「こんなんで大丈夫か?」と思った6年生(いつの年もそうですが)、よくここまで成長したものだと感心します。児童会を背負い、最上級生としての数々の仕事をこなしての一年間、やはり長い小学校生活の中でももっとも意味のある年だったのだなあと改めて思いました。そして久しく忘れていた「徂徠訓」を思い出しました。江戸中期の儒者・荻生徂徠に寄る者です。

「徂徠訓」

一、 人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて初めて長所の現わるるものなり。
 (人の長所を始めから知ろうとしてはいけない。人を用いて始めて長所が現れるものである)
二、 人はその長所のみを取らば即ち可なり。短所を知るを要せず。
 (人はその長所のみをとればよい。短所を知る必要はない)
三、 己が好みに合う者のみを用うる勿れ。
  自分の好みに合う者だけを用いるな)
四、 小過をとがむる要なし。ただことを大切になさば可なり。
 (小さい過ちをとがめる必要はない。ただ仕事を大切にすればよいのだ)
五、 用うる上は、そのことを十分に委ぬべし。
 (人を用いる上はその仕事を十分に委せよ)
六、 上にある者、下にある者と才知を争うべからず。
 (上にある者は、下の者と才智を争ってはいけない)
七、 人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨てるべからず。
 (人材は必ず一癖あるものである。彼は特徴のある器であるからである。癖を捨ててはいけない)
八、 かくして、良く用うれば事に適し時に応ずる人物は必ずこれあり。
 (以上に着眼して、良く用いれば、事に適し、時に応じる程の人物は必ずいるものである)

 人材であったかどうかは今後をまたなければなりませんが、確かにひと癖もふた癖もある子が多かったような気がします。
 先ほど「よくここまで成長した」と書きましたが、それはそれぞれの子が十分によく伸びたという意味でであって、到達点が同じように高かったという意味ではありません。

「七合目まで登っていた子が一気に頂上まできたね」「五合目までのあの子、あっという間に八合目じゃないか」ということです。それはそれで偉大なことですが、登り口からすさまじい勢いで四合目まで引き上げてもらったあの子、やはり心配ですね。手を打つべきは2年生くらいまでだったかな? そんなふうにも思いました。 

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2006/3/15

「謝恩会ありがとうございました」  教育・学校・教師


 昨日の謝恩会では楽しい時間を過ごさせていただきました。6年の先生方、ご苦労様でした。
 思い返せば一年前、「こんなんで大丈夫か?」と思った6年生(いつの年もそうですが)、よくここまで成長したものだと感心します。児童会を背負い、最上級生としての数々の仕事をこなしての一年間、やはり長い小学校生活の中でももっとも意味のある年だったのだなあと改めて思いました。そして久しく忘れていた「徂徠訓」を思い出しました。江戸中期の儒者・荻生徂徠に寄る者です。

「徂徠訓」

一、 人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて初めて長所の現わるるものなり。
 (人の長所を始めから知ろうとしてはいけない。人を用いて始めて長所が現れるものである)
二、 人はその長所のみを取らば即ち可なり。短所を知るを要せず。
 (人はその長所のみをとればよい。短所を知る必要はない)
三、 己が好みに合う者のみを用うる勿れ。
  自分の好みに合う者だけを用いるな)
四、 小過をとがむる要なし。ただことを大切になさば可なり。
 (小さい過ちをとがめる必要はない。ただ仕事を大切にすればよいのだ)
五、 用うる上は、そのことを十分に委ぬべし。
 (人を用いる上はその仕事を十分に委せよ)
六、 上にある者、下にある者と才知を争うべからず。
 (上にある者は、下の者と才智を争ってはいけない)
七、 人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨てるべからず。
 (人材は必ず一癖あるものである。彼は特徴のある器であるからである。癖を捨ててはいけない)
八、 かくして、良く用うれば事に適し時に応ずる人物は必ずこれあり。
 (以上に着眼して、良く用いれば、事に適し、時に応じる程の人物は必ずいるものである)

 人材であったかどうかは今後をまたなければなりませんが、確かにひと癖もふた癖もある子が多かったような気がします。
 先ほど「よくここまで成長した」と書きましたが、それはそれぞれの子が十分によく伸びたという意味でであって、到達点が同じように高かったという意味ではありません。

「七合目まで登っていた子が一気に頂上まできたね」「五合目までのあの子、あっという間に八合目じゃないか」ということです。それはそれで偉大なことですが、登り口からすさまじい勢いで四号目まで引き上げてもらったあの子、やはり心配ですね。手を打つべきは2年生くらいまでだったかな? そんなふうにも思いました。 

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