2006/1/31

「何とかなるのは我が子だけ」  教育・学校・教師


 自分の子どもが小学生や中学生なったとき、そこで何の問題もなく健やかに成長してくれれば問題ないのですがそうでない場合、親としてさまざまなことを考えます。「学校がもっと落ち着いていたら」「担任が別の人だったら」「クラスがしっかりしていたら」「あの子が学級にいなかったら」・・・・。しかしそうした不満を抱えたまま何もしないでいるのと、そうでないのとでは結果はまったく違ったものになってしまいます。
 私は立場上、学校外の人からさまざまな形でそうした話を聞かされることがあります。そしてそんな場合、次のように答えることにしています。

『確かに、学校の雰囲気が違えば今とはずいぶん違った気持ちでいられます。「学校がもっと落ち着いていたら」「担任が別の人だったら」「クラスがしっかりしていたら」「あの子が学級にいなかったら」、それは当然の思いです。しかし実際は現在の、そうした学校、そうした担任のもと、そうしたクラスでそのような友だちに囲まれながらお子さんは育っていかなければなりません。

 学校を代えるのは現実には難しいことです。クラスを替えたり、担任を替えたりすることもできません。ましてや担任のや友達の性格や能力を変えるのはほとんど不可能です。しかし仮に変えられたとしても、その子の生涯に渡って「善き環境」を整え続けることはできないことです。

 例えば、将来お子さんが営業の仕事に入ったとして、あなたは子どものために「良き上司」と「良き仲間」「良き顧客」を用意しつづけることができますか? お子さんを支える「良き配偶者」や問題を起こさず健やかに育つ「良い子」を提供しつづけることはできますか? 

 私たちは子どもの環境を変えたり周囲の人間を変えたりすることはできません。しかし関係者の中でたった一人だけ、比較的何とかなりそうな者があります。それはあなたのお子さん自身です。今、難しい環境の中にいるお子さんをどう育てるかが、問題なのです。難しい中できちんとできる子どもを育てておけば、きっと将来、難しい環境の中でもすべきことを行える逞しい人間になってくれるでしょう。

 さあ、考えましょう。今のその子に、親として何ができるか、その子のどういうところをどのように育てるか、どんなふうにその子を支えていくか。
 さまざまに不満を言って過ごすより、その方がずっと有益なはずですよ』


 
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2006/1/30

「『三丁目の夕日』から」  政治・社会


「Always〜三丁目の夕日」という映画を見てきました。西岸良平のマンガを原作とする映画です。

 舞台は昭和33年の東京の下町で、建設中の東京タワーを背景に、人々のほのぼのとした生活を描いています。私以上の年代の人間には非常に懐かしい風景で、それ以下でもなんとなく郷愁の感じられる景色でしょう。今やお宝としてテレビに出現する品々が、町並みに溶け込んで現われます。

 そうした懐かしさやストーリーの展開のうまさによって、館内のあちこちで鼻をすする音がしていましたが、私はノスタル爺ではないので、むしろ建設中のタワーだとかまだセンターラインの引かれていない片側2車線の道路とか、30年代の人々でひしめく上野駅、SLがすれ違う様子など、コンピュータ・グラフィックスの発達がなければ絶対に表現できなかったような映画の中の風景にわくわくしていました。ほんとうに凄いのです・・・とその時、主人公の一人の「戦争が終わって、はや13年・・・」という台詞が引っかかりました。私が懐かしいと感じ、感覚として理解できる昭和33年が、戦後間もなくだったという当然のことが、何となくピンと来なかったのです。

 昭和33年というのは日本にとって非常に大切な年でした。西暦に直すと1958年、いわゆる高度成長期の元年にあたる年で、「三丁目の夕日」に現われた風景はその数年後にはほぼなくなっています。1964年の東京オリンピックに向けて、東京は大改造されたのです。

 翌々年の35年、遠い田舎町のM市で少年T(私)が小学校に入学します。その後この少年が高校を卒業するまでの12年間。その間にT家にやってきたものを紹介します。

@円形の蛍光管をもった室内灯
Aガスのコンロ
B室内の水道
C電気炊飯器
D電気冷蔵庫
E電気洗濯機
Fテレビ
Gカラーテレビ
H持ち家
I自家用車・・・・

 簡単に言ってしまうと、昭和33年までの生活はほとんど太平洋戦前と同じで、昭和47年の生活は(コンピュータを除けば)、ほとんど現代の生活同然だということです。
 たった10年あまりの間に、世界はまったく違ったものになってしまったのです。

 さて、「三丁目の夕日」に描かれた風景。
 隣近所が常に密接に絡み、醤油や砂糖が貸し借りされ、本気の殴り合いがあったり、子ども達が空き地で果てしなく遊んでいたような時代。その時代に育った人々が子育てを終わり、彼らの産んだ子どもたちが親世代になろうとしています。

 その子たちはさまざまにものの溢れる時代の申し子で、外に困難のなかった分、内面に困難を抱えて育った人たちです。私や校長先生のように、時間がたてばたつほど世界はよくなっていくと単純に信じられた世代とは異なり、かなり複雑な人たち・・・と書きかけて、今初めて、それが本校の先生方とほぼ同じ年代ということに気づきましたので、これで書くのをやめます。ハハ。




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2006/1/27

「誤用A『健全な精神は健全な肉体に宿る』」  言葉


 私は生来体質が虚弱で、小学校1・2年生の頃は養護学級にいたくらいです。スポーツも、どれもこれも普通程度にはできましたが特に取り柄はなく、体つきもヒョロヒョロしてましたから(妙な言い方ですが)今でも肉体労働者に対しては屈折した劣等感を持っています。
 そういう私にとって「健全な精神は健全な肉体に宿る!!」というのは非常に辛い言葉で、「じゃあワシャぁ、いつまでも不健全な心のままなのかぁ」と大いに僻んだものです。

 しかし大人になってから疑問を持ちました。
「健全な精神は健全な肉体に」機械的に宿るなら、道徳なんかやらずに体育だけやってればいいんか? 走ってりゃァなんとかなるんかぁ? と。そして調べてみることにしたのです。その結果、

「健全な精神は、健全な肉体に・・・」は古代ローマの詩人ユウェリナス『風刺詩集』の中に出てくる言葉だそうです。しかし最後が違います。正しくは「健全な精神は、健全な肉体に宿れかし(宿るように・宿ればいいなあ)」、平たく言えば「体ばっかし鍛えていないで、少しは心も磨きなさい」といった意味なのです。これなら分かります。
 この、「古代ローマの大詩人の詩の一節」などといったマイナーなものが世界的になったのには理由があります。それは(200年以上前の話ですが)イギリスのインド植民地支配の総本山「東インド会社」の重役夫人たちが、貧しいインド人の青少年のためにボランティア活動を始めたのです。教育を施そうというのですが、その時のスローガンが「健全な精神は、健全な肉体に宿れかし」。極端に言えば「お前ら体ばっかし丈夫なバカだから、教育を施してやるぞ」ということです。

 入学式などでこの格言を引用する方がいますが、そのたびに心の中で「お前ら体ばっかし丈夫なバカだから、教育を施してやるぞ」と読み替えて、私は一人、ほくそえんでいます。その人が間違っているから笑うのではありません。時には「お前ら体ばっかし丈夫なバカだから、教育を施してやるぞ」でいいと思う場合があるからです。

 ユウェリナスの詩のこの部分を原語のラテン語で書くと以下の通りになります。

Anima Sana In Corpore Sano.

 その頭文字を取って社名にした企業があります。スポーツ用品のASICSがそれです。


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2006/1/27

「誤用@『まず隗(かい)より始めよ』」  言葉


 公務員の給与削減や綱紀粛正について、最近「まず隗より始めよ」という言葉が盛んに使われています。意味は「何事かをなすときにはまず自分自身が手本を示せ。そうすれば他の者もそれに従うであろう」といったことかと思います。しかしこれはとんでもない話で、私はこの言葉が好きでこだわりがあるので、以下に記しておきましょう。話は中国の古書「戦後策」の中にあるものです。

 紀元前4世紀の末頃、燕(えん)の国は隣の斉(せい)の国に国土の大半を占領され、国王までもが殺されてしまった。そこで、次に即位した昭王(しょうおう)は、何とか国の力を回復させようと考え、そのためには優れた人材を集めることが重要だと思い立った。そこで宰相の郭隗(かく・かい)に相談した。すると、隗はこう答えた。
「昭王よ、こんな話があります。
 昔、ある君主が千金を出して1日に千里を走る名馬を買おうと思いましたが、3年たっても見つける事ができません。すると、宮中にいたある男が進み出て、私が買ってきましょうと申し出たので、その男に千金を渡して買いに行かせたのです。その男は千里の馬を見つける事ができましたが、惜しくも一足違いでその馬は死んでしまっていたのです。すると、何を思ったか男は、死んだ馬の骨を五百金で買って戻ってまいりました。君主は、死んだ馬を五百金も出して買ってきたことを怒りました。しかし、その男は言ったのです。
『あわてずに少々お待ち下さい。昭王は死んだ馬にさえ五百金出したのだから、生きた馬であればもっと高く買うだろうと考え、人々は続々と良い馬を持ってくることでしょう』
と、はたして1年も経たないうちに千里の馬をたずさえた者が3人も現われたそうです。
 今、昭王が賢者を集めたいとお思いならば、まずこの隗を重く用いる事です。あの凡庸な隗でさえあれほどの厚遇を受けているのだからと、全国の有能な士が次々集まる事でしょう。」
 昭王はその話を聞き、隗のために立派な宮殿を建て、特に厚く遇した。すると、そのうわさは各国に伝わり、趙(ちょう)の名将である楽毅(がくき)や政治家の劇辛(げきしん)、陰陽学者の鄒衍(すうえん)などの優れた人物が集まりはじめたという。そして、ついに昭王は斉の国を破るだけの国力を得ることに成功した。

「まず隗より始めよ」の原義は「人材を集めたければ、いま有る者を重用しなさい」ということです。そこには、人間は叩けばなんとかなる、評価し給与や待遇で差をつければもっとよくなる、といったものとはまったく別の発想があります。
 教員の質、教師の指導力を問うなら、まず今、教員の立場にある者を厚くもてなさなければならない。そうしてこそ、有能な人物がこの職に集まり、自然と質は高まるのです。

「まず隗より始めよ!!」
 強く、県や国に訴えたいところです。


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2006/1/25

「独我論の世界」  教育・学校・教師


 哲学上の考え方のひとつに独我論というものがあります。観念論の極端な形ですが、簡単に言ってしまうと「世界は『私』の意識が創っているものであり、私が死ねば世界はなくなる」といったものです。
 有名なデカルトの「考える故に我あり(世界のあらゆるものは存在するかどうかを疑うことができるが、『考えている私』が存在することだけは疑うことができない)」はその典型です。私が最近子どもについて考えていることのひとつは、子どもの独我論というものです。

 例えば先週、中田先生とのカウンセリング講習で話題になったA君は、しばしば独特なかたちで世界を見ます。何かいやな思いをしたと感じた瞬間、その思いを中心に世界を再構成し、復讐に燃えたりするのです。「仲間はずれにされた」と感じた瞬間、さまざまな客観的な事実を片っ端捻じ曲げて、自分だけのストーリーを作り上げます。まさに「ぼくの見た、ぼくの世界の、ぼくの物語」です。本当はそんなことないのに。

 教室に行き渋っているB君もまたしかり、彼の目に、教室は少数の集団によって引き回される単一の流れになっています。悪いことに、その少数はB君のことを軽蔑し嫌っているので、それに引き回される学級全体も彼を軽蔑し嫌っています(本当はそんなことないのに)。世の中にはとりあえず学級という社会しかなく、したがってかれは社会で生き生きと生きていくことはできません。

 いずれの場合も、世の中にはさまざまな考え方や感じ方があり、キミの見方はそのうちのひとつに過ぎず、真実はまったく別のところにあるのかもしれない、といった感じ方ができれば問題は解決してしまうのです。しかしそれができない。まるで独我論のように「ぼくの世界」にふけりこんでいます。

 理屈上、そういう子たちにはさまざまな経験をさせ、何かトラブルがあればその都度人間関係の意味を大人が伝えていけばいいということになるのですが、トラブルは都合のよい時に都合のよい程度で起こるとは限りません。難しいことです。
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2006/1/24

困ったものだ・・・  教育・学校・教師







 ローカルネタにつき、省略
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