2005/12/27

「ご苦労様でした」  教育・学校・教師


 学校の一年はまだ3ヶ月を余していますが、とりあえず2005年が終わります。皆でお互いの健康を祝福し合いましょう。
 今年は職員がみな健康に過ごせただけでなく、龍田先生のお宅に赤ちゃんが生まれ、八木沢先生も新たな出発をしました。その意味で、本校も「愛」の年だったといえます。先日、ある先生に「先生のウエディングドレスを見るまでは私も死ねない」と言いましたら、「副校長先生、長生きしますよ」と言われてしまいましたが、そんなことを言わず、来年も「愛」の年であるように祈ります。

 今年は田沢先生のお嬢さんも結婚されました。お正月には戻ってこられるでしょうが、田沢家にとっては一人足りない年の瀬です。少しお寂しいのかもしれません。
 それでふと思い出したのですが、私の好きな言葉に、「家族の一生は人の一生より短い」というのがあります。たとえば、私は4人家族ですがその4人家族をもったのは下の男の子の生まれた平成5年、今から12年前のことです。上の子である娘は今高校1年で、卒業と同時に家を出ると言っています(たぶんそうなるでしょう)。すると私が家族とともに暮らせる年月は、あと2年。それで14年間の家族の一生が終わります。先の先生のお話によると私はずっと長生きするかもしれないので、仮に98歳まで生きるとすると、家族の一生はそのわずか七分の一しかないのです。
 年忘れ。学校で起きたすべてのことを忘れ、年末年始は家族のことだけに心を砕いてみるのもいいかもしれません。


 四苦八苦

 四苦八苦は仏教語で、本来は人間のあらゆる苦しみのことをいう語です。四苦とは「生老病死(しょうろうびょうし)」のことで、人間として逃れられない必然的な苦しみをさします。八苦とは、生老病死の四苦に「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとくく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」の四苦を加えた八つの苦のことで、四苦と八苦で合わせて十二苦あるわけではありません。後半の四苦の意味は、「愛する人と別れる苦しみ(愛別離苦)」「怨み憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)」「求めるものが得られない苦しみ(求不得苦)」「存在を構成する物質的・精神的五つの要素に執着する苦しみ(五陰盛苦)」で、人間として味わう精神的な苦しみのことをいうのだそうです。
 四苦(=4×9=36)と八苦(=8×9=72)合わせて(36+72=)108.だから煩悩の数は108で、除夜の鐘も108つ鳴らされます。
(以上、唐突に思い出しましたが、最後の2行は真っ赤なウソです)
 それでは皆様、よい御年を・・・。


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2005/12/26

「もういくつ寝ると」  教育・学校・教師


 クリスマスが終わったばかりだと言うのに、もうお正月です。そこで正月に関する言葉を集めてみました。

@門松・・・古くは、木の梢に神が宿ると考えられていたことから、門松は年神を家に迎え入れるための依代(よりしろ:拠り所)という意味合いがある。かつては松に限らず榊、椿、楢などの常緑樹なら何でも良かった。鎌倉時代から竹が一緒に飾られるようになった。12月29日に飾るのは「二重苦」に通じ、12月31日に飾るのは「一日飾り」といって神をおろそかにするということから、12月28日までに飾るか、12月30日に飾るのが良いとされている。(大体、12月半ば頃から置かれることが多い)また、 門松は1月6日の夕方にしまうことが多く、翌1月7日の「七日正月」を併せて7日までを「松の内」と呼ぶ。

Aおせち料理・・・御節とは本来、暦上の節目(節句)のことを指し、その際に食べる祝い膳を御節料理と呼んでいた。現在では、正月料理のみを指す言葉として使われる。

B二年参り・・・歳を越えて参詣する寺社参り。大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」の2つに分かれ、この元日詣が今日の初詣の原形となった。現在でも、除夜に一度氏神に参拝して一旦家に帰り、元旦になって再び参拝するという地方がある。二年参りという。江戸時代の暦では一日は日之出とともに始まった。したがって早朝、日の上がる前に出かけ、日が昇ってから帰ってくれば2年参りが完成したと思うのだけれど・・・・

C元日・元旦・・・1月1日を元日といい、その朝を元旦という。したがって、午後、元旦の挨拶をすることはない。

Dお年玉・・・正月に新年を祝うために贈答される品物のこと。現在では子供に金銭を与える習慣及びその金銭の意で用いられることが多い。金銭でなく菓子などを与える地方もある。年末に贈られる歳暮と異なり、目上の者が目下のものに贈るのが特徴。これをもって年の賜物(たまもの)であるから「としだま」という名がついたという説がある。また、古くは餅玉を与えたために「年玉」の名前がついたともいう。

 クリスマスにサンタさんが来たばかりなのでプレゼントをあげるのは不本意なのだが、習慣なのでしかたないと思っている人も多いと思います。
 親戚が集まってさてお年玉となると困るのが金額。一年前にいくらあげたかなどということを覚えている人は多くはありません。そこで私の親戚ではこういう取り決めにしてあります。
 小学校就学までは年齢×100円(しかも必ず100円玉であげる。キラキラしたものがたくさんあるほうが喜ぶ・・・普通の賢くない子は)。
 小学生以上は学年×1000円。中学3年生だと9000円。面倒だから一万円にしようという家族もいますが、私は厳密に守っています。
 高校生以上は一万円均一。学生を終えたらプーたろう(懐かしい言葉だ)をしていてももらえない。高校生であっても1軒から一万円ずつ集めるのはいかがなものか、という本質的な問題もありますが、姪や甥が高校生になる頃には、たいていの叔父叔母がそこそこの小金持ちになっているのであまり苦にしないようです。



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2005/12/22

「冬至」  教育・学校・教師


 今日は冬至です。北半球では一年で一番昼の時間が短い日です。日本ではこの日に柚子(ゆず)湯に入り小豆粥(あずきがゆ)やカボチャを食べると風邪をひかないと言われています。

 冬至に風呂というのは、もちろん寒い時期ですので十分に暖まろうという意味もあるのですが、実は「湯治」との音つながりで注目されているにすぎません。更に「柚(ゆず)」も「融通(ゆうずう)が利きますように」という願いが込められているのだそうです。5月5日に「(我が子が)勝負強くなりますように」との願いをこめて「菖蒲(しょうぶ)湯」に入るのと同じ「願かけ」なのです。

 現在は季節に関係なく多くの野菜が供給されていますが、日本では西洋野菜が国内に出回るまで、この時期に取れる野菜はほとんどなく、保存できる野菜も少なかったのです。かぼちゃは保存がきき、保存中の栄養素の損失が他の野菜に比べて少ないため、冬至の時期の貴重な栄養源でした。

 今調べたばかりのホクホクの話ですが、かぼちゃは中央アメリカから南アメリカ北部を原産地とするウリ科の植物で、日本かぼちゃと西洋かぼちゃに大別できるのだそうです。

 日本かぼちゃは16世紀中頃ポルトガル船によってカンボジアからもたらされ、「かぼちゃ」の名はこのときの伝来先に由来しています。中国(唐)、西アジア(諸越)から来たと信じられた「トウ・モロコシ」といっしょです。

 その日本カボチャは江戸時代に普及しましたが、そのころから風邪や中風の予防にかぼちゃを冬至に食べる風習が根付いたといわれています。これは当時、冬場に野菜がとぎれてビタミン類が不足することからで、日本かぼちゃしかない時代に始められた風習です。

 西洋かぼちゃは肉質がほくほくしているところから「栗かぼちゃ」とも呼ばれています。幕末にアメリカ人が持ち込んだのが最初で、明治初期に開拓使によってハッバードなどの品種が導入され、その後、甘みの強い「えびす」や「みやこ」などの品種が育成され、現在では、このハッバード系のかぼちゃが全消費量の多くを占めています。

 かぼちゃの栄養成分の特徴はなんといってもカロチンを多く含んでいることです。カロチンは、体内でビタミンAにかわって肌や粘膜を丈夫にし、感染症などに対する抵抗力をつけてくれます。「冬至にかぼちゃを食べると風邪をひかない」といわれるのはそのためです。

 以上、ツギハギの調査情報でした。


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2005/12/21

「愛がすべて」  教育・学校・教師


 家庭の教育力が低下したのでその回復をどう図るか、という議論があります。しかしもしかしたら教育力だけではなく「家族」自体がなくなるのではないか、そういう方向で歴史は動いているのではないか、という話を先日耳にしました。
 それによると、
○血縁の最小単位が一緒に住む、という家族の形式は、たかだか800年ほどの歴史しかない。
○それ以前、普通の人々は村の一部として生き、上流の人々は「通い婚」「妻問い婚」という形で生活の単位をつくっていた。それがなぜ、家族という仕組みが取られるようになったかというと、家族には以下のようなメリットがあるです。

@自分の暮らす場(=家)で、家事労働と生産行動(主として農業)という二つの仕事を同時に果たすには、一定数以上の集団が必要であった(だからひとりで生きるということは、まだ難しかった)。
A病気の時の保障として、自分が休んでいる間、誰かが自分のために働いてくれる必要があった。
B労働力としては無能な「子どもたち」の面倒を、誰かが専業的に見る必要があった。またそれを労働力として仕上げる仕事(=教育)も、誰かがある程度専門的にしなければならなかった。
C歳を取り、リタイヤしたあと、働けない自分を誰かが支えてくれる必要があった。
D癒しの問題として、安心して心理的に寄りかかれる関係(愛情関係)がどうしても必要だった。
 そういった事情により、生きていく上での保障として、「家族」というシステムが選び取られたというのです。

 とろが、文明は@〜Cを一気に「社会の問題」にシフトしてしまいました。
 まず、仕事はどんどん外に出て行き、家族で協力して行わなければできない職業はほとんどなくなってしまいました。病気や老後の保障は、もはや家族の問題ではなく社会福祉の問題です。家族に面倒を見てもらわなくても、社会が何とかしてくれます。子どもの養育と教育の問題は、保健所と保育園・幼稚園・学校の連携の中で行われるべきものだ(すくなくとも自分がやらなくてもなんとかなる)と考えられるようになってきています。

 そうなると「家族」の必要性は、D「癒しの問題として、安心して心理的に寄りかかれる関係(愛情関係)がどうしても必要」だけになってしまいます。
したがってDが達成できないと、その家族関係はまったく無用なものとしてどんどん解消されていきます。また、そもそも愛情関係が保障されないと家族を営もうという気にならないのです。
 まさに「愛がすべて」なのです。

「家族」は、そんなふうに、今まさに終末期を向かえつつある(あと100年もすればなくなるのじゃないか?)というのが私の聞いた話です。

 さて、それが本当だとしてもまだ過渡期です。かつて家族が担ってきたものを全部社会にやってもらおうと要求ばかりしている人もあれば、まだまだ自分でやりたがる人もいます。
 格差拡大社会にあって、どちらが勝ち残るかは、ある程度見えてきます。


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