2005/11/30

「星の話」  知識


 今朝、登校しようと家を出ると、真南だと思っていた方角に巨大なオリオン座が見えてびっくりしました。オリオン座は地表近くにある時は東寄り(または西より)にある星座ですから、私の方向感覚が狂っていたのです。
 オリオンは、英語ではオゥライオンといい、米軍の偵察機(P3C)やイギリスの望遠鏡の機種にも名前がつけられているので欧米人にとっては馴染み深い星座といえます。また、オリオン座の最も明るい二つの星、ベテルギウスとリゲルはともに1等星ですが、ベテルギウスが450光年、リゲルは800光年の彼方の星ですから、実際にはリゲルのほうが明るい星です。ベテルギウスは終末期を迎えた星ですが、リゲルはまだ生まれたばかりの若々しい星です。

 昨年9月、小学校4〜6年生の4割が「太陽が地球の周りを回っている」と信じている、という調査結果が発表され、あちこちで衝撃をもって受け取られました。しかし教えていないことは知りませんし、身にもついていないのは当たり前です。星や星座の勉強だって十分にしているわけではありません。ただし現実問題として、小学生のうちは天動説だってちっともかまわないはずだと、私は思っています。

 今年の夏、小泉総理が「それでも地球は回っている」というガリレオの言葉を引用して改めて有名になりましたが、地動説が受け入れられなかったのは何も宗教上の理由だけではありません。物理学上のいくつかの発見がなされるまで、科学的にも計算上も天動説の方が正しいように見えたのです。ガリレオはそのためにいつまでも研究を続けなければならなかったのです。そして今でも、子どもの世界では、天動説で話した方がわかりやすい話がたくさんあります。

 例えば、
 毎晩同じ時刻に外に出て空を見上げれば、満天の星はほぼ同じ位置に存在すること。それが24時間で一周してくること。「ほぼ同じ」といっても毎日、角度にして1度ほどずれ続け、それが一年で360度ほどつまり一周のずれになること、だから冬の星座は夏には見えないこと。
 ほとんどすべての星がいつも同じ位置にあるから、それらは「恒(つね)なる星」=「恒星」と呼ばれること。ところが中に5つだけ別の動きをしている星があり、しょっちゅうフラフラしているので「惑(まど)う星」=「惑星」と呼ばれること。そういったことは天動説に向いています。

 さらに発展させ、中国の占星術師はこの不思議な五つの星と、天空の動きに支配されないもうふたつの天体=月と太陽をセットにして七曜をつくったこと。それがなぜ火や水や木かというと、昔の中国の哲学者が万物は5つの成分(木火土金水=もっかどこんすい)から作られており、さらに陰(月)と陽(太陽)いずれかの性質を持っていると信じていたからということ。そしてその性質を読み、すべてを占う人が「陰と陽の先生=陰陽師(おんみょうじ)」だということ。そういったことも話してやれば、もっと興味をもって夜空を見上げてくれるでしょう。

 空気のきれいな季節です。研究授業も終わりました。少々余裕をもって、子どもたちと話をしたいものです。

0

2005/11/29

「手を上げてください」  知識


 ある程度歳をとってくると、学校の内外で会合の司会を頼まれることが多くなってきます。司会に慣れていない人には気の重いことですが、考えてみると司会法を正式に勉強して来たという人もなく、最初からうまいという人もそうはいないわけですから、たいていの人が司会上手ではあありません。あまり気にしなくて良いところです。
 私も、確かにメンバーの中でひとりだけ割り当てられる仕事なので喜んで引き受けるわけではないのですが、やること自体に気が滅入ることはありません。とにかく教員あいての司会はすべての司会の中で最も楽な仕事だからです。

 まう指名して喋らない人はいません。必ず何か言ってくれます。中には「自分から手を上げるのは何か出しゃばっているようでいやだから、なんとか当ててくれないかなあ」と思いながら渋い顔をしておられる方もいます。そういう人の顔色を読みながらタイミング良く指名すればいいのですから楽ななのです。それに比べたら喋りたくない子にも平等に喋ってもらわなければならない子ども相手の授業の方が、何倍も困難でしょう。

 ただしそうはいってもすべての先生がきちんとサインを送り、それを司会が的確に読んでいるとは限りません。私もしばしば読みを外して、何も考えていない人を指名して困らせてしまうことがあります。もっともそれはそれで、「大事な研究会で何も考えていない」という怠慢に対する罰のようなものだと勝手に考え、気にしません。

 さて、今日は研究授業・研究会です。話し合い自体は一時間ほどですから、お一人が2〜3回発言してくだされば終わってしまいます。つまりノルマは2です。いいタイミングで指名できれば良いのですが、気持ちが合わず、指名して欲しくない場面だけで2回が終わってしまう方もいるかもしれません。そうならないためにも、ぜひ挙手をしましょう。勢い良く手を上げた方から指名します。
 また、ご協力いただけない場合は、わざとタイミングを外して指名するかもしれません。私はお坊ちゃん育ちで甘そうに見えるかもしれませんが、これでもかなり意地悪になれるときがあります。ハイ。
 

0

2005/11/28

「下流社会」  教育・学校・教師


 土曜日に書店で「下流社会」という本を手に入れ現在読んでいるところです。最近流行の「格差本」のたぐいですが、なかなか面白いものです。その一部で、女性の分化が顕著になったという内容を紹介します。

 それによると1980年代初めまでは、女性は結婚して専業主婦になることが夢であり、男性もまたそれを期待する風潮があったのが、女性の社会進出が進み、男女雇用均等法によってチャンスが広がることにより五つの類型へと分化していった、というのです。その五つの類型というのは、

@お嫁系
 ・・・上昇志向が高く、専業主婦志向も高いタイプ。億万長者とは言わないが年収700万円以上の男性との結婚しか考えていない。30歳前後で年収700万だから、40代・50代の時には数千万円の年収が予定されている。実際には極めて狭き門で、容姿・家柄・学歴など本人の能力もおおいに必要とされる。

Aミリオネーゼ系
 ・・・30歳前後で年収1000万(月収で100万程度)を獲得する女性たち。高学歴・高所得・高経歴。医師・会計士・弁護士など、いわゆる士族も多い。

Bかまやつ女系
 ・・・(原宿や下北沢でみかける、帽子をかぶった女子。古くさい、おじさんみたいな帽子で、髪型ももっさりしていて、服装は楽ちん風。まるでかまやつひろしのような風貌が特徴)学歴的には専門学校卒が多く、職業的には美容師、ペットトリマー、菓子職人などの資格職種、またはデザイナーなどアーチスト系を目指す女性たち。「手に職」とは考えても上昇志向はない。

Cギャル系
 ・・・外見はいわゆる「お嫁さんにしたいタイプ」ではないが、本人は22・23歳で結婚して子どもが2・3人いる家庭を夢見ている。また実際にそうなっている場合も少なくない。それはしばしば「できちゃった婚」であり、夫に経済力がないため、とにかくお金のないフリーター夫婦のような場合が少なくない。

D普通のOL系
 ・・・専業主婦志向ではあるが、裕福な男性の争奪戦に敗れ(あるいは早々に戦線離脱して)今は未婚であり、だからといってミリオネーゼのように仕事に生きがいを見出す意欲も能力も不足している。もちろんギャル系になるにはそこそこ知性も学歴も高く、美容師やアーチストになるほどの美的センスや自己表現欲求はない。女性の多数派。

 さて、私たちの教え子はどう育っていくのだろうか?


0

2005/11/25

「勤労感謝の日に・・・」  知識


 忙しくて放ったらかしになっていた自宅の畑の整理をしました。○○盆地でも、日陰になる部分は午後も凍りついていて、耕運機の刃もなかなか入っていかず苦労しました。
 私は百姓(*)の経験がなく、12年ほど前初めて60坪ほどの畑を手に入れ、そこから農業の勉強を始めたので当初は楽しくてし方ありませんでした。熟練の効く世界で、まじめにやれば昨年より今年、今年より来年と、耕作者も確実に腕を上げることができます。その腕が上がっていくことと、成果が半年で確実に見えるところが面白かったのかもしれません。トマトなどもしょっちゅう追肥を施し、水も丁寧を与えていましたが、数年して、買い過ぎた苗を物置の横に無造作に植えた方がおいしい実をつけたのを機に気づきました。あれはメキシコあたりの日当たりの良い岩山に、へばりつくように生きていたのが原種ですので、肥料も水も多すぎるとダメなのです。毎日水をやるなんて、最低のことでした。

 植物というものは正直なもので、必要な肥料と水を、必要な時期に必要な分与え、その時どきに応じた手入れをしていけば確実に作物となります。その意味で子どもを育てるのと同じです。子育ても、その子が大人になるまで延々と同じように努力を注がなければならないものではありません。必要な時期に、必要なものを、必要なだけ与えれば、ほうっておける時期も結構長いのです。しかしそれにも関わらず、人間は植物ほどに粒が揃って育ってくるわけではありません。
 それはなぜだろうと、そんなことを考えながら、半日、耕運機を振り回していました。

*百姓
 中国は儒教の国ですから極端に姓が少なく、現在でも600種ほどしかないといわれています。そのため、毛さんや林さんは人口が億単位でいます。昔は姓が100ほどと考えられていました(百には「たくさん」という意味もありますが)から、「国民すべて」という言葉を「百姓」で表していました。ところが実際に「国民」のほとんどは農業従事者でしたので、「百姓」=「国民」=「農民」ということになってしまったようです。私は「百姓」という言葉の泥臭さが好きです。

0

2005/11/24

「土曜、『今、教育を考える』という会に行ってきました」  教育・学校・教師


 パネルディスカッションのパネラーは育成会の会長さん、子どもに昔の遊びや昔話を伝えるNPOの方、今は飼育宿泊体験を中心とするNPO「○○塾」の塾長をやっておられるK.Y先生、そして前県PTA連合会理事の女性、以上4人です。
 前3者について言いますとK先生のキーワードが「待つ。どこまで待てるか!」に見られるように、子どもに手をかけるな、失敗経験をつませろ、転ばぬ先の杖ではダメだ、昔を取り戻せ、といったことが話題の中心です。しかし私は「待て」というメッセージは危険な言葉だという印象をもっています。
 理由のひとつはもちろん、不登校から引きこもりへと繋がったまま、もう20年以上も「エネルギーの溜まる」のを待っている親がいるという事実です。
 もうひとつは、「待て、手を出すな」というメッセージは、過干渉・過保護と言われた親が問題視された10年ほど前の時代の発明品で、いまや時代遅れではないか、少なくとも一部には通用しないのではないのか、という思いがあるからです。それは養育放棄(ネグレクト)・放任といった言葉でくくられるべき保護者の一群です。彼らに、この「待て、手を出すな」はどう聞こえるでしょう?

 パネラーの一人、前県P理事は、三人のお子さんのうちの真ん中のお嬢さんのお話をされました。
「今日、ここで話を聞いていかれた方が、娘に『お母さん、こんなこと言ってたよ』と言われたりすると困るのですが・・・」と前置きしてから、次のような話をされました。
「次女は赤ちゃんの時からアトピー性皮膚炎や喘息があって、主にお祖父ちゃんやお祖母ちゃんから『あなたは何もしなくていいから』といった扱いを受けて育った子です。だからとても難しい子なのです。いつもへその緒みたいにつけている携帯電話の使用料が8月には19800円にもなってしまい、業を煮やした私は5000円を越えると通話できないように契約を変えてしまいました。
 ですから今では毎月12日ごろになるとまったく使えなくなってしまうのです。で、それでどんなに困るかと思いましたら、朝、家を出る時に『今夜は9時15分の電車で帰るから迎えに来て』と言ってその通りにすればいいだけのことですから、案外それでやっていけるのですね。

 娘の通っている高校には標準服と言うものがありまして、もちろんおしゃれをしたければ私服で行けばいいのですが、娘は標準服を着て、しかもそれを着崩します。スカートを腰のところでまくり上げ(というのも、私が怒るので切る勇気まではないのです)、上も第二ボタンまで外すと胸がはだけてしまうのです。Tシャツを着ているから大丈夫と申すのですが、そういう問題ではないですよね。
 生足で、今でもコートも着ずに学校に通っています。それで毎朝けんかが絶えません。
 よく、子どもが生まれると、母親は自分の母親に対して「お母さん、ありがとう」という気持ちを持つと言われていますが、私は一度もそういう気持ちになったことがありません。ただ、この次女との闘争の中から、ある思いが浮かんできたのです。
 実は、次女は私にそっくりなのですね。そっくりだからこそ許せなかったり腹の立つことも多いのです。そう思ったとき、私の両親はよく私を見捨てないでくれたものだ、成人し、社会に出るまで、よく見守っていてくれたものだ、と心から感謝する気持ちが生まれてきました。
 自分が子どもの頃(父はじっくりと構えていてくれましたが)母はいろいろうるさく言う人でしたが、そのやり方は正しかった、私もまた父や母を真似、この次女を見放さず、見捨てず、しっかりと付き合いたいと思うようになっているのです」

 パネラーのほかのお三方は「待て、失敗をさせろ」と言いますが、この前県P理事の方は待ったりしません。子どもが携帯電話の使いすぎを反省したり、服装の乱れを恥じて直そうとするまで、子どもを信じてじっくり待つなどという馬鹿げたことはせず、積極的に関わり、何とかしようとすることが教育的に正しいことであり我が家の家風なのだと信じているのです。

 考えてみると育成会やNPOの「待て! いつまで待てるか」や「失敗からの出発」(育成会の方のキーワード)は、子どもを遊ばせたり合宿の場での話です。待った挙句に失敗しても、その被害はせいぜい「目指したものが完成しない」「焦げたカレーを食べなければならない」程度です。それなら「待て! いつまで待てるか」でいいでしょう。しかし携帯電話や服装の乱れの問題での指導の失敗は、それではすまないはずです。
「待つ」は重要です。しかし待ってはいけないことは、山ほどあります。


0

2005/11/22

「子どもは親の通知表」  教育・学校・教師


 ・・・と思っている保護者もいます。そうしたお宅の高校生のお嬢さんが、金髪・厚化粧・胸をはだけたシャツ姿で、スカートは超ミニ、生足で、しかも止せばいいのに今ごろルーズソックスだったりすると絶望的です。自分の「オール1」の通知表が表紙を開いて街中を練り歩いているようなものですから。

 子どもについての親の願いの最低ラインは「生きていてくれ」です。次のランクが「健康でいてくれ」。そしてそれが保障されたところから、さまざまな欲求が出てきます。「いじめられないでいてくれ」「不良にならないでいてくれ」「学校ではいい子でいてくれ」「運動会で活躍してくれ」「部活で選手になってくれ」「できれば優勝してくれ」「せめて○○高校へ入ってくれ」etc・・・etc(←あ、これ高速道のETCではありませんから、エトセトラです)。

 かつて小学校の保護者対象のアンケートで、「中学校にあがってから、40人のクラスで、成績上、自分の子どもには『せめて○○番までにいて欲しい』と思うのは何番ですか?」という問いかけがありました。
 私は反射的に35番という数字を思い浮かべました。それ以下だと授業がパッパラパーで本人が苦しいだけだと考えたからです。では一般の保護者で一番多い数字は何だったかというと、これがあっと驚く『5番』なのです。
 40人中5番以内というのはかなりの優秀さだ、という感覚は一般的ではないのです。しかしもちろん、子どもが中学校に上がって1年、2年とたつうちに、この数字はどんどん下がっていきます。

 今日は参観日です。保護者が自分の子に対してどのような期待を抱えてくるのかは分かりません。しかしその最低ラインだけははっきりしています。「きちんと座っていてくれ」「寝ないでいてくれ」と、そういうことです。昼食を食べながらでも、「今日もがんばろうね。お母さんたち、キミたちがきちんと座ってがんばってる姿、見に来るんだからね」くらいは言っておいてもいいと思います。


0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ