2005/10/19

「表現という恍惚」@  芸術


 一昨日の研究会打ち上げの際、この「デイ・バイ・デイ」のことが話題となり、その中で校長先生より「副校長先生の文章には麻薬のようなところがあり・・・」といったお話がありました。フムフムとうなづけるところです。
私は、書くことによって考え、書くことで考えをまとめようとするところがありますが、同時に、書くこと自体に快感があるという確かな自覚があります。

 それでフト思い出したのは、昔、「表現活動」を中心とした体育の研究授業に関わった際、音楽に合わせて体を動かすことはそれ自体が人間の欲求なのだと、強く感じたことです。世界中に数百の民族がいますが、音楽と舞踏と絵画を持たない民族というものはおよそ考えられません。地球上の人間がすべて、独自の打楽器を持ち、リズムに合わせて体を動かすという文化を持っているのです。一番自由の利く楽器としての声も楽器として使われ、やがて歌に発展していきます。世界中の文学の始まりは「詩」ですが、それは音楽から発展したからです。つまり音楽も絵も文学も、芸術というものはそれ自体が本源的な人間の欲望だということです。

 それが学校教育にとってどういう意味を持つかというと、合唱や合奏それから作文や描画というものは人間である以上全員が好きなはずだ、本源的にそういうものだ、ということです。人間はチャンスさえあれば喜んでそれを行うはずである、ということです。
 もちろん実際にはそうではありません。歌を歌うなんて真っ平という子もいれば、絵には全く自身がない、作文なんて死ぬほど嫌い、という子はいくらでもいます。そうなると問題は、本源的に好まれるはずのそれらが嫌われるのはなぜか、何が子どもたちの欲求を押さえつけているのか、ということになります。
 音楽も絵画も文学も難しくなりすぎました。生まれたままの人間が何の技術も持たないまま楽しむにはレベルが高くなりすぎています。そのあたりにヒントがあるのかもしれません。しかしそれらは人間の本源的な欲求のはずです。

 
 
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2005/10/19

「良い子が危ない」〜わけがない  教育・学校・教師


 「良い子を強いられたために本当の自分を出せず」とか「良い子の仮面をかぶり続けた挙句」といった言い方が良くなされます。
「小さな頃はまったく問題のなかった良い子が・・・」とか「普通の良い子が突然犯罪に・・・」といった言い方もあります。しかしこれらはすべてまやかしか誤りです。

 そこで登場する「良い子」はすべて「手がかからない」「わがままを言わない」「逆らわない」というそれだけのことで、積極的に他人に手を貸したり、お手伝いをよくしたり、教師や友だちとの人間関係もよく、幼稚園や学校で人気者だったり活躍したりといった普通の意味での「良い子」ではないのです。
 「手がかからない」「わがままを言わない」「逆らわない」、今そのように書きましたが、それらはすべて「〜(し)ない」といった形の否定形でしか表せない子で、総じて言えば「悪いことをしない」、ただそれだけの子です。彼らはいわば「擬似良い子」なのです

 彼らの多くは幼い頃から十分に愛情の伝わっていなかった子たちです。
 少しでも悪いこと(手をかける、わがままを言う、逆らう)をすれば、親に見捨てられるといった不安を抱えて育ちましたから、恐ろしくて少しも悪いことができなかったのです。ですから「悪いことを少しもしない子(=擬似良い子)」として大きくなってきていますが、否定形の行き方しか学んできていませんから、人間との付き合い方が実に下手です。

 人間との付き合い方というのは、ひとつには欲望の調整です。
 「主張し合い、せめぎあい、引き合って、お互い様」という交渉の妙です。それらはわがままを言ったり逆らったりしながらも、十分な指導を受ける中で学んでくることです。しかし彼らは学んでいません。
擬似「良い子」は、欲望のすべて心の中に封じ込め、ただ周囲にあわせてひたすら静かにしてきました。ですから苦しい。
 成長しするにしたがって幼稚園で苦しい、小学校にあがって苦しい。高学年になって欲望が育って内に封印しきれなくなると更に苦しい。
 そしてその中から、欲望を爆発的に表に出してしまう子も出てくるのです。突然、大きな犯罪に走る子の一部は確実にそうです。

 私は親も教師も、子どもが真の「良い子」になるように願い、援助し続けなくてはならないと思っています。特に教員は教育基本法の実現を目指すべく位置づけられた者ですから「良い子」を目指さなくてはなりません。

 教育基本法第一条には、
「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」
とあります。このように育てられた子が真の「良い子」なのです。



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