2005/7/27

「終業式」  教育・学校・教師


 ご苦労様でした
 長い1学期、ご苦労様でした。ノビ太のきらいな6月を中心に、一学期は休みも極端に少なく、印象としては2学期よりもずっと長いような感じですが、ようやく終了です。この1学期を通じてつくづくと感じさせられたのは本校の児童と教員集団の実力の高さです。

 年度当初、校長先生から三つの柱「あいさつ、歌声、清掃」が示されました。こんなふうに校長方針が示されることは、もちろんよくあることです。しかし示された方針に向かって職員が一丸となって取り組み、それが達成されることはむしろ稀です。まず職員が一丸となることが難しく、一丸になっても児童の方が動かない、そうした例はいくらでもあります。
 無言清掃ひとつをとっても、やれ「無言よりは自問だ」「いや気づき清掃から入るべきだ」「1年生に可能かどうか」などと言っているうちに半年や一年はあっという間に過ぎてしまいます。児童の方にしても「あいさつをしましょう」と言ってもさっぱりしてくれなくて、そのうちに担任の方が根負けしていつのまにかウヤムヤ・・・そんなふうになってしまうのが普通です。それがこの学校ではない。
こうやろうと決めてそれが鮮やかに実現されていくのを見るのは、実に小気味いいことでした。

 とにかく1学期、ご苦労様でした。先生と子どもたちの高い実力を感じさせられる一学期でした。

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2005/7/26

「バンヤン」  知識


 台風7号が近づいています。今後の動きによっては本日の下校、明日の登校については何らかの措置を考えなければならないかもしれません。

 今回の台風7号には「バンヤン」という名前がついています。香港から提案された名前で、木の種類だそうです。
 台風には従来、米国が英語名(人名)を付けていましたが、北西太平洋領域で発生する台風防災に関する各国の政府間組織である台風委員会(日本ほか14カ国が加盟)は、平成12年(2000年)から、北西太平洋領域で発生する台風には同領域内で用いられている固有の名前(加盟国の言葉で動植物や自然現象に関係する名前)をつけることになりました。
 平成12年の台風第1号にカンボジアで「象」を意味する「ダムレイ」の名前が付けられ、以後、発生順にあらかじめ用意された140個の名前を順番に用いて、その後再び「ダムレイ」に戻ります。台風の年間発生数の平年値は26.7個ですので、おおむね5年で台風の名前が一巡することになります。日本からは星座を表す日本語が10個提案され、「テンビン」「ヤギ」「ウサギ」「カジキ」「カンムリ」「クジラ」「コップ」「コンパス」「トカゲ」「ワシ」が順次出てきます。ちなみに、次の台風8号が「ワシ」にあたります。


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2005/7/25

「今後の不登校対応はどうあるべきか」  教育・学校・教師


 タイトルは、ある教育雑誌の論文の題名です。

 平成4年に当時の文部省が「登校拒否(不登校)について」と題する報告書を出し、それまでマスコミや「不登校の会」などによって盛んに訴えられていた「登校拒否には登校刺激を与えないのが一番」「担任の家庭訪問などもっての外」といった考え方に文部省の御墨付きが与えられました。

 私たちは「学校に来なくていいよ、というのが学校へくる近道」という論理の逆転に抵抗感を持ち、しばらくは従来のやり方にこだわっていましたが、保護者の方から「手を出すな」と拒絶されるにいたって、全ての指導を止めてしまいました。それ以上はできなかったのです。また、何もしないほうが楽に決まっていますから、このやり方はあっと言う間に全国に広がりました。
 けれどそれにも関わらず、以来10年、不登校は減るどころか増える一方でした。さらに新たな不登校の親の中から「学校は全く面倒を見てくれない」という声が上がるにいたって、この方法は見なおされるようになりました。それが平成15年4月の『今後の不登校への対応の在り方について(報告)』と題した報告書です。この報告では、適切な登校刺激はぜひとも必要、ということになっています。

 私が切なく思うのはこの「失われた10年」の間、学校にほとんど省みられず放っておかれた不登校児童・生徒がかなりの数いたことです。そのうちの何%は、現在も社会に出ていません。また、平成4年報告以来、かなり早い段階で登校刺激を諦めることが必要とされましたので、10日ほど休んだだけで「ゆっくり休ませましょう」ということになってそのまま捨て置かれ、結局不登校になったような例もかなりあったのです。

 さらに平成10年ごろから「このやり方ではだめだ」と気づいた一部の専門家の間から「平成4年報告の読み方について、先生たちは勘違いしている。不登校の初期にあっては、登校刺激は与えてもいいのです」といった言い方が出てきたことです。これは多くの教師を傷つけました。センターの主事もカウンセラーも児童相談所の係官も、そしてありとあらゆるマスコミや、そこに登場する超一流の”専門家”がこぞって「登校刺激を与える教師の愚」をあげつらい、文部省もお墨付きを与えたやり方に従った結果が「先生たちは勘違いしている」ではかなわないと思ったのです。

 先の論文で、私が大切だと思うのは次の部分です。

 念のために書き添えるが、学級づくりに役立つと称するカウンセリング等の研修がまったく無意味と言いたいわけではない。そこで学んだゲームやエキササイズを4月の学級開き等で実施することは、集団への適応が人一倍苦手な、不登校傾向のある子どもには有効である。だが、誤解して欲しくないのは、学級への適応感を増すことがそのまま学級づくりになるというわけではない。また、「居場所づくり」の効果にしても「一時しのぎ」に過ぎない。効果がなくなる度にエキササイズを繰り返せば、とりあえず問題を「先送り」できるものの、それにも限度はある。エキササイズの繰り返しで小学校では適応していたかのように見えた子どもが、中学進学後に不登校になるのはその限界に他ならない。そうした限界に気づかずに、「簡単にできて何にでも効果がある」かのように受け止められがちな現状は、改められる必要がある。

 具体的には児童生徒にとって、自己が大事にされている、認められている等の存在感が実感でき、かつ精神的な充実感の得られる「心の居場所」として、さらに、教師や友人との心の結び付きや信頼感の中で主体的な学びを進め、共同の活動を通して社会性を身に付ける「絆づくりの場」として、十分に機能する魅力ある学校づくりを目指すことが求められる。すべての児童生徒にとって、学校を安心感・充実感の得られるいきいきとした活動の場とし、不登校の傾向が見え始めた児童生徒に対しても、不登校状態になることを抑止できる学校であることを目指すことが重要である。

 学級づくり、集団づくり等の語で語られることの多い「教師による人間関係づくり」は、「居場所づくり」には違いないが「絆づくり」ではない点である。教師は居場所をつくりだし、子どもに提供することはできる。しかし、子ども同士の絆までをも与えていくことはできない。もし、それが可能だとしたら、子どもは単なる操り人形になってしまう。あくまでも、子ども自らが「絆」を獲得していくしかない。そのために、教師は特別活動等で望ましい集団活動を工夫しなければならない。





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2005/7/22

「義務教育を4・3・2年に」  教育・学校・教師


 義務教育を4・3・2年に 来春から東京・品川区  [共同通信 7月13日]

 東京都品川区教育委員会は13日までに、すべての区立小中学校計58校で2006年度から、義務教育を4年間(小1−小4)、3年間(小5−中1)、2年間(中2−中3)に分けた教育カリキュラムを導入することを決めた。
 中学進学で学習内容や生活指導が変わり、子供たちが戸惑うケースが目立つためで、区教委は「特に小5−中1への指導を工夫したい。市区町村単位でこうした取り組みをするのは珍しいのではないか」としている。
 区教委によると、最初の4年間は基礎教育期間とし、国語と算数の授業を増やす。英語教育も小1から行う。次の3年間は、中学校のように教科担任制を導入、子供たちの個性や能力に応じた教育を進める。



「発達がどう進んでいくか」を捉えることについては、2つの見方があります。1つは発達は連続的に進んでいくものだとする見方で、もう1つは発達は段階的に進んでいくものだとする見方です。

 発達が連続的に進んでいくものと主張した代表的な人は条件づけの研究で有名なスキナーですが、彼は条件づけられた行動が蓄積されることの積み重ねが発達だと考えました。
 それとは違って、発達段階説を唱えたS.フロイトとE.H.エリクソン、J.ピアジェらは、発達は人間の内部に自然に生じる成熟によって、ある時期に飛躍的にその質的な変化が起こるのだとし、段階的に変化するものだと捉えています。 つまり、発達段階説とは「発達はある力を獲得すると飛躍的に変容する階段状の傾斜を上るようなものだ」とする考え方なのです

 私自身は経験的に発達段階説に立ちます。そして小学校3・4年生のころを特に異質な時期として他と切り離して考える立場に賛成します。

 さて、義務教育9年間を6−3とは異なった分け方をしようという考えはいくつかありましたが、その多くは5−4の二分割で、4−3−2という三分割はあまり例がないと思います。しかし小5〜小6年生はどう見ても中学校のくくりの中に入れるのがふさわしく、あれほど身体の大きな子たちが小学校1年生と同じ場所にいること自体が不自然なのです。ですから義務教育9年は4−5にすべきだといつも思っていたのですが、4−3−2ならばさらに良いのかもしれません。4年生までは「子どもの学校」、小5・小6・中1が「基礎学習の学校」、中2・中3が「受験生の学校」と言えばなんとなくピンとくるでしょう。

 残る問題はキャパだけです。5−4制にしても4−5制にしても、中学校の教室を増やして1学年分(あるいは2学年分)の生徒を小学校から中学校に送ることを考えています(4−5よりも5−4の考え方の方が一般的なのは、「2学年分も中学校に上げられない」という純粋に物理的な問題があるからでしょう)。 それが三分割となると校舎の配分はどのようにするのか。 
 まさかカリキュラムの変更だけで小5・小6は小学校に残り、中1も中学校に通う、ということではないと思いますが・・・。
 品川区には品川区の特殊な事情があるのかもしれません。注目して見ていきたいところです。



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