2005/5/31

「いじめ・体罰支援センター」  教育・学校・教師


 昨年度県に報告されたいじめ事件は200件あまり、これはいずれも学校が「いじめ」と認めたものであり、学校が「いじめではない」と感じたり全く認知していないものも含めると、まだまだ相当な数になるはずです。それに体罰も加えるとなるとかなりの数になるでしょう。
 そのうちの何パーセントが「支援センター」に持ちこまれるかは想像できませんが、いずれにしても大変な仕事になることは容易に想像できます。特に「いじめ」は毎日に子どもに接している私たちにとってすら難しい問題ですから、これを兼務の県職員が取り扱うのは本当に大変です。本気でやればやるほど困難が増えてくるはずです。

 しかし救いはあるのであって、それはこのセンターの取り扱う内容が「当事者同士では話しがこじれたり、子どもや保護者は学校や市町村教委に相談しづらかったりする」場合である、ということです。
 いじめが大問題へと発展するのは、ほとんどの場合、家庭と学校の関係が崩れきっていたり保護者が学校を全く信用していないときです。
 生徒指導における私たちの最終的な目標は「子どもを救うこと」です。多少引っかかりのある場合もありますが、そのためにはとにかく家庭の協力を取り付けておくことが肝要で、それなくしては何の指導もできません。
「家庭との協力」意味は複雑ですが、常に心しておかねばならないことでしょう。


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2005/5/30

『純真なこどもたち」  教育・学校・教師


 先週の木曜日、H先生が出張のため、朝夕の会の補充に入りました。なかなかしっかりとした授業振りでした。その休み時間、何人もの子どもが近づいてきて「T先生、テレビの『○○○』(役の名)に似てるよね〜」・・・・・・。
 この話題にはいささかウンザリしていたので、
「似てるんじゃない、先生が出ていたんだ。3月で撮影が終わったてヒマになったから、こっちにもどって学校の先生やってるんだ」
と、言っておきました。

 言うまでもなくその後は「ウッソだ〜」「そんなのあるわけないよ」……ということになったのですが、その時、私の左のひじをツンツンと引っ張る者があり、見ると一人の男の子がキラキラとした目で見上げて、
「T先生、ボク、信じるよ」
・・・・・・思わず引きました。

「信じるよ」と言われていまさら「ウソでした」とは言えないのでそのまま放っておいたのですが、S先生にうかがいますと、その後給食の時間には”信じる派”と”信じない派”の大論争があったとのことでした。

 さて、一昨日(土曜日)の未明、△△市のK中学校では80枚のガラスが割られ、H小学校でも8枚割られたとの報道がありました。通常ですと、この手の犯罪の犯人は高校生です。
「先生がテレビに出て準主役をやっていたかどうか」そんな他愛ないことに大真面目に取り組む年頃から、ガラスを割って憂さを晴らす年齢までわずか10年(!)。犯罪に手を染めた子どもの心性がその後長く尾を引くことを考えると、この10年がいかに重要かは自ずと知れてきます。

 実際のところ、小学校に上がるまでの6年は更に重要なのですが、この点についてはすでに手遅れです。せめて小学校にいる間くらい、最高の環境と教育の中で過ごさせたいものです。



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2005/5/28

「子どもは金がかかるという現実」  教育・学校・教師


 地方教育費、7年連続減 小学校1人当たり91万円(共同通信)
 都道府県や市町村の教育委員会などが2003年度に支出した教育関係経費(地方教育費)の総額は、7年連続で減少、前年度比2・8%減の176320億円だったことが26日、文部科学省のまとめで分かった。
 うち小中学校の学校教育費は計10兆533億円で、前年度から2245億円減った。
 小学生1人当たりの支出額は91万円で1万4000円減少、前年度を下回ったのは21年ぶりとなった。文科省は「教育費の減少に比べ、児童数の減少幅が小さかったのが理由ではないか」と分析している。
 中学生1人当たりは102万9000円で1000円増加。高校は113万8000円で、1万9000円減った。


 単純に計算すると小学校6年間で546万円、中学校308.7万円、高校で341.4万円。総額1196.1万円。一口に1200万円と言っていい金額でしょう。驚くべき金額です。
 ときおり「義務教育は、親に『教育を受けさせる義務』があるのであって、子どもが学校へ行く義務はない」といった言い方を聞きますが、1200万円という金額を考えると、果たしてそれでいいのか疑わしくなります。行っても行かなくてもいいところに何億円も使うのは、ディズニーランドに税を投入して無料化するのと同じではないでしょうか。実際、学校教育法も学校教育法施行令も、学校に来ない子が存在することを前提にできてはいませんし、法律上も「子どもは学校に来なければならない」というのが正しい解釈のようです(法律論としては、保護者に『教育を受けさせる義務』があり、子は『保護者の親権に服する義務がある』、したがって子には教育を受ける義務が生じる、と考えるようです)。

 ある程度年齢が進んだら、児童には本市や県が毎年ひとりに91万円も使って教育していることを知らせていいと思います。子のない人も子育てを終わった人も含めて、市民県民のほとんどから集めたお金を使って関係のない私たちは学ばせてもらっている。その学校で、バカをやっていていいのかということです。
 また、これは翻れば、それだけのお金を使う教育という仕事を、私たちが付託されているということです。したがって私たちもまた、心していかねばならないことかと思います。



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2005/5/26

「その差は縮まらない」  教育・学校・教師



「学力低下心配」76% 5日制否定派増加PTA調査 [朝日新聞 5月15日]

クリックすると元のサイズで表示します 保護者の4分の3は「学力低下が心配」で、4割は学校週5日制を「よいと思わない」――教育改革に対する親たちのこんな気持ちが、日本PTA全国協議会が17日に公表した意識調査で明らかになった。導入から2年をすぎた学校週5日制に対して批判的な保護者が増えており、その理由として最も多く挙がったのは「学力が低下した」だった。

       (中略)
 学力低下について「かなり心配している」が24.5%、「多少心配している」が51.6%にのぼった。 「心配している」保護者の割合は、02年調査では74.6%、03年は69.7%で、今回は再上昇した形だ。
 02年度から完全実施された学校週5日制への評価は、「あまりよいと思わない」が30.9%で最も多く、「全くよいと思わない」の8.4%と合わせると約4割が否定的。「非常によい」(4.5%)、「まあよい」(25.8%)の肯定派を約10ポイント上回った。03年調査と比較しても、否定的な意見が3ポイント増えている。
 5日制の心配な点(複数回答)は、「学力が低下した」が29.2%(前年度比7.6ポイント増)で最も多かった。
 見直し論議が出ている「総合的な学習の時間」に対しては、肯定的な意見が半数近くを占め、約1割の否定派を大きく上回った。「どちらともいえない」と答えた保護者も38.6%いた。


 「我が子の学力が心配だからもっと授業をやって欲しい」というのは保護者の切なる願いですが、実際には授業時数が増えると「我が子」の苦痛は増加します。何故なら「授業にはやればやるほど差が開くという本質的な性質がある」からです。
 これは私たちが学んできた英語のことを考えるとすぐに分かります。

 中学校の1年生の時、(私たちの時代はおそらく)1年間に175時間くらいの英語の授業を受けていました。それが翌年更に175時間授業を重ねて、それで学力差は縮んだでしょうか? 3年生になってもう175時間授業を受けたら、どんどん差が縮んだと、そんなことはありません。
 授業時数が増えれば増えるほど底辺の子が伸びる可能性は高まりますが、上位の子たちの可能性はそれよりも高く、言わば等比級数的に伸びていくので差は広がる一方なのです。どうしても差を縮めたいのなら、優秀な子が伸びないような方策を取っておくしかないのです(しかしそれはできません)。

 学力問題は、もしかするとエリートだけに利するものかもしれません。マスコミに踊らされて「もっと授業時数を! もっと高いレベルの学習内容を!」と一緒になって合唱していると、あまり優秀でない我が子がバカを見るそんなことにもなりかねません。------以上、真面目な顔で保護者に話せることでもありませんが。




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2005/5/25

「音楽と体育の優越性について」  教育・学校・教師


 昨日、遠足終了後6年生の合唱練習を見せていただきましたが、先週偶然立ち寄って聞かせてもらった時に比べて格段の進歩があったのに驚かされました。歌そのものの進歩については十分評論できないのですが、前回は一生懸命歌っている子の人数を数えたのに、昨日は「もう少し頑張れそうな子」を探すのに苦労するようなありさまだったのです。それだけでもなかなか立派なものです。

 さて、
 小学校で教員生活をスタートさせた先生はそれが自然ですから余り違和感を持ちませんが、中学校がスタートの私のような教員には、合唱指導はとても苦痛でした。私は社会科の教員として採用されたのであって、音楽指導などとてもできない。できないだけなら努力でカバーするが、そもそも音楽だけがそんなに優遇される意味側からない。社会科コンクールだって数学コンクールだってないのに、なぜ合唱コンクールだけがあるんだ? というわけです。

 突出しているといえば、体育祭やクラスマッチ、道徳や健康教育などもそうです。教員養成学部を出てきた先生方ならまだしも、中学校にはそれ以外の学部から教員になった方がたくさんいますから、そういう人たちには教科を教えに来たという意識が強く、教科以外の指導は大変苦痛なのです。

 それが知・徳・体という教育の三領域に対応するものだからということに気づくまでに、私の場合は大変時間がかかってしまいました。図式的にいえば、教科教育は『知』に、体育祭やクラスマッチ、健康教育は『体』に、そして道徳の授業や日常の道徳教育、生徒会活動や学級活動の多くは『徳』に対応するということです(もちろんこれは図式的に分けたものであって、多くは二重三重に重なり合いますが)。体育が優遇されるのはその三領域の重要な柱のひとつだからですし、音楽は『徳』に関わるものとして重要視されます。音楽にそうした力のあることが、経験的に理解されているからです。

 したがって、合唱指導といっても音楽科教員のそれと学級担任のそれとでは、おのずと力点が変わってきます。音楽科の教員の場合、比較的技能面に力が加わるのに対して、学級担任の場合はクラスの団結とか困難を乗り越えるとか、友を信頼するとかいった『徳』に関わる部分に力点が傾かなくてはならないのです。

 そうした観点から昨日の6年生の様子を見直しますと、今回の経験を通して、この子たちはひとつ大きく乗り越えるかもしれないな、という気がしてきます。音楽を柱に、『徳』の領域で大きな進歩を遂げるのではないかという可能性を感じるのです。それは長い道のりを歩いて帰ってきた1・2年生にも言えることです。


 
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2005/5/24

「Stand By Me」  教育・学校・教師


 アメリカのホラー小説の大家、スティーブン・キングには『スタンド・バイ・ミー』というきわめて優れた自伝的青春小説があります。映画も有名ですからご覧になった先生もいるかもしれませんが、田舎町のちょっとした不良少年グループが、兄の隠したという人間の死体を捜しに小さな旅に出るという話です。
 その旅の途中、リーダー格のクリスという少年が気弱な小説家志望の少年(キング自身がモデル)に、こう語る場面があります。(クリスは少年の無理解な両親に怒っています。)

「ほんと、おれがおまえのおやじならよかったのにな!」
とクリスは腹立たしげに言った。
「もしおれがおまえのおやじだったら、あんな作品をいっぱい作れるなにかを与えてくれた神さまみたいに、こう言ってやるんだ。
”これこそ、わたしたちがおまえに望むことだよ、息子や。その才能を失わないようにしなさい”ってね。
だけど子どもってのは、誰かが見守っててやらないと、なんでも失ってしまうもんだし、 おまえの両親が無関心過ぎて見守っててやれないってのなら、たぶんおれがそうすべきなんだろうな」

 その「子どもというものは、誰かが見守っててやらないと、なんでも失ってしまうものだ」という言いかたが非常に印象的で、今も心に残っています。
 確かに、もう少し頑張れば、もうちょっと辛抱すれば手に入るものを、子どもは簡単に諦めてしまいます。また、大切なものを簡単に捨ててしまうからこそ子どもは子どもなのだとも言えるでしょう。だからこそ誰かが傍らに立って、常に見張ったり激励したり、あるいは叱ったりしなければならないのだと。
 
 Stand By Meというのは「ボクの傍らに立っていてくれ」といった意味でしょうか? 自分の弱さを知っている人間だけがわかる言葉です。
 私は高学年以上の児童にはいつも、
「自分にうるさく言って叱ってくれる人をいつも大切にし、そばにおいて置きなさい。叱ってくれる人はいつもキミのことを考えてくれる人なんだからね。どうでもいいと思ったら絶対に叱ったりしない、人を叱るなんて、面倒だし気分も良くないから。叱ってくれる人を遠ざけたり黙らせてしまったら、キミがダメになりそうなとき、誰もキミを助けてくれない」
と、そんな話をしていました。


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