2005/4/28

「一人ひとりにどんな力がついたのか」  教育・学校・教師


 昨日は1年生を迎える会、ご苦労様でした。一つひとつの学年の出し物、全体のまとまり、どれをとってもすばらしいものでした。結果だけを見るといとも軽々とやってのけたように見えますが、先生方の御苦労や完成に至る道は、それなりに大変だったこと思います。本当にご苦労様でした。

 ところで、ふと思ったのですが、子どもたちは自分たちの成し遂げたことの意味を理解しているのでしょうか? みんなの前に立って演技した子は、演技そのものがとても上手になったことや人前を恐れなくなったこと、みんなに喜んでもらうことがとてもうれしかったことなどを整理し、意識することができているでしょうか? 「みんな良くやったね」と同時に、一人ひとりにどんな力がついたのか意識させ、次の活動の意欲につなげていきたいものです。
 
 これから就学旅行やキャンプなどの学年行事が続きます。そうした一つ一つの行事に対してただ漫然と向かっていくのではなく、それらを通してどういうことができるようになりたいのか、そして終わった後そういう自分に変わっているのか、いちいち意識させていくことが、次の活動へのエネルギーになるはずです。

「男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」(立派な人間というものは三日会わなければ三日分の成長があるものだから目を見張って見なさい)という言葉があります。成長の著しい子どもたちは全員が「男子(立派な人間)」と同じだけの成長を遂げますが、そのことの意味を知らせるのは、大人の仕事です。もちろん子どもの口を通じて知らせる、というやりかたのほうが、より有効ではありますが。


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2005/4/27

「学社融合の試み」  教育・学校・教師


 家庭訪問のあった林先生に代わって「学社融合連絡会」に行ってきました。要するに「子どもと社会の融合、子どもと地域をどうつなげるか」がテーマで、総合的な学習を中心に地域との繋がりをつくった中川小学校と、〇〇市(行政)がつくった「地域探検隊」(子どもと地域をつなげるボランティア組織)の発表がありました。
 ともにすばらしい内容でしたが、中川小学校については、意識の高い校長の指導のもと、優秀な教員が大変な努力の末に、ひとつひとつ(地域の足湯を盛り上げよう、地域に相撲場をつくろう、夏祭をやろう)つなげているという点で、永続性に問題があるように感じました。〇〇市の例は行政が働きかけている間は続きますから永続性は保障されていますが、いつまでも行政頼みで自主性に問題があるように思いました。

 後の討論会(小グループ)では、同市のある小学校から、前年までの総合的な学習の後始末に苦労している様子が報告されました。総合的な学習における地域活動の担い手であった一人の教員が転出し、クラスが進学で解散したとたんにその活動がなくなってしまったからです。活動の継続を期待していた地域には不満が残ります。
 
 本校の学社融合(公開講座、学習ボランティア、ソバづくりの活動等)はその点で優れた性格を持っています。今後長く続けばマンネリ化の誹りも免れないかもしれませんが、少なくとも永続性という点では問題がありません。公開講座とソバづくりはほぼ軌道に乗っています。学習ボランティアは今後育てていかねばならない面が多々ありましょう。米づくりや畑づくりはすでに定式があります。

 昨年の経験から1年の鍵盤ハーモニカや3年の書写については方法や流れを次の学年に降ろしていくことができるでしょう。2年の算数における学習ボランティアの活用はどうだったのでしょう? そうしたいくつかのパターンが出揃えば、この活動は何年でも生き生きと続けていけるものだと考えます。


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2005/4/26

「気がついたこと」  教育・学校・教師


@3月のグランド整備の際、地面に敷いた藁の一部が凍り付いて、結局回収できないところがかなり広く残りました。それきり忘れていたのですが、中山先生が気づいて、先日すべて完全に片付けてくださいました。学校は、様々な方に支えられて、何とか動いています。ありがとうございます。

A本年度は職員室の机上や背後の棚の上が非常に整理され、全体が整然としているのが目を引きます。教頭はこのシーズン、一日中机上整理ばかりしているのが仕事みたいなものですからそれはいいのですが、授業をお持ちの先生方は大変です。全ては子どもが帰ってから、ということですから、会議をし、その後書類整理・机上整理となると、並大抵の苦労ではありません。

 私もつい数年前まで机上に「SuperTタワー」を築いていた人間ですから、一年発起して机上に何も残さない生活をしようと思ったら一苦労でした。特に四月五月がいけません。しかしそれも四月五月の2ヶ月だけで、先は多少楽になります。昨日は机上に小タワーを残して帰りました。今日は何もなしにして帰りたいと思っています。

◎桜が満開です。クラスでお花見行事でもやるといいでしょうね。
 桜のシーズンが終わってしばらくすると、山は全山、緑の綾となります。梅雨の始まるしばらく前まで、山の緑が紅葉のように複雑になるのです。それを絵にしてみよう、という試みをしたことがあります。なかなかうまく行かない面もあったのですが面白くもありました。緑にも様々な緑があるということを学ぶには絶好のシーズンです。


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2005/4/25

「発達の見極め」  教育・学校・教師


 保護者と子どもの指導の方向について話しているとき、どうしても微妙に絡み合わないことがあります。保護者が子どもに対して高すぎる要求をしていたり、逆にあまりにも子供扱いしているような場合です。私たちのほうは長い経験から、1年生にはこのくらい、3年生ならここまで、といった感覚を身につけているのですが、保護者の方は一人か二人程度の子どもしか見ていませんのでそうした齟齬が起きるのです。それについては、言葉できちんと話していない、という意味で、私たちにも責任があります。

 そのことについて、私はしばしば「絵」を例に挙げて話をしました。

 少し観察すればすぐに気づくことですが、1・2年生の絵というのは天真爛漫・自由闊達で実に生き生きとしたものです。それに対して・6年生の絵は悪く言えば「まだまだへたくそな大人の絵」。その中間である3・4年生の絵は両者が混ざり合い、また表現に困った子はしばしばマンガに逃げます。学校の図工の時間の絵にマンガが登場するのは、基本的に3・4年生だけです。

 私の大学の師匠は「愛他精神」の研究者ですが、彼の一番の業績は、小学校の3・4年生に相当する9歳・10歳において思いやりの精神がもっとも減衰することを発見したことです。大人たちの道徳観をそのまま表現する8歳までと、自らの道徳観にしたがって行動する11歳以上との狭間で、一瞬道徳観を見失い自己中心的になるのがこの時代だというのです。また障害児学校では古くから「9歳・10歳の壁」という考えがあり、特に聴覚障害において、それ以前に障害を持った人とそれ以後障害を持つことになった人との間には、抽象的なものの考え方に差があることが明らかになっています。つまり、個人差はあるものの、1・2年生と3・4年生、あるいは5・6年生との間で、指導の方向が微妙に、しかし確実に異なるのです。

 たとえば「いじめ」に類する指導で、「○○ちゃんが悲しい思いをするでしょ?」という言い方は1・2年生には通用するものの、3・4年生では簡単に定着せず、5・6年生となると外から与えられた価値だけでは動くはずがない、ということになります。また、1・2年生で許されたことも3・4年生になったら許されず、1・2年生の頃には好ましいと思われたことでも、3・4年生になったら止めなければならないことも出てきます。もちろん3・4年生だから許されることもたくさんあります。

 もう中学年なんだから、もう高学年なんだから、という言い方を使っての指導はやりやすいものですし必要なものです。しかしそれぞれの時期に何ができなくてはいけないのか、具体的に考えておかないとうまくいくものではありません。



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