2014/9/26

「教育のゼロ・サム・ゲーム」〜体感!日本教育超現在史A  教育・学校・教師


 日本の学校教育は世界一だと言うと、「いやだけど不登校もあればいじめもあるじゃないか」という人がいるかもしれません。あるいは「その上で学力も1位を目指すべきだ」という人もいるかもしれません。「エリート教育が必要だ」という人も、「スティーブ・ジョブズを生み出すような教育の必要」を叫ぶ人もいるかも知れません。しかしそれは不可です。いや不可ではないかもしれませんが、それを目指すことで失うものがあるのではないかと私は恐ろしいのです。教育は有機的な活動であってあれもこれもというわけにはいきません。あちらに力を入れればこちらが抜けます。

 もちろん児童生徒にも教師にも、時間的にも予算的にももっと余裕があれば話は別ですしかしたとえばこれ以上、週の授業時数を増やすことはできません。夕飯給食も出した上に夜の下校をすべての保護者が責任を持ってくれるというなら話は別ですが、それはできない相談でしょう。
 教員の多忙も周知の通りです。教員数を2割以上増やせばかなりゆとりが出ますが、現状はむしろ削減に向かっています。教員もいっぱいいっぱいのところで働いているのです。

 そうした状況にあってさらにひとつ教育内容を増やそうとすれば、別のひとつが沈みます。そして実際に、そうした動きがあるのです。学力向上のための授業時数確保を名目に、「行事の削減」が進められているのは格好の例です。

 昨日も申し上げた通り、特別活動は道徳の核心です。それは道徳的生き方の実地訓練なのです。その大切な特別活動を削減して授業時数を増やそうとするのは、明らかに道徳教育のレベルを下げようという試みです。政府もそれを知っているから「道徳の教科化」で補おうと考えますが、実地訓練減らした分を教則本で凌ごうというのは愚かなことです。

 部活動を外部委託しようという試みも同じでしょう。多くの教員にとって部活動はスポーツや芸能ではありません。一流アスリートや芸術家を育てようと本気で考えている顧問も、それができる人もごくわずかです。多くの教員は根本的に、部活動の中で子どもが成長するのを喜びとしているのです。
 部活というのは目的集団ですから子どもを動かしやすいのです。選手になるため、メンバーになるため、あるいは競技会やコンクールで優秀な成績を取るために、子どもたちは多くのことを犠牲にできます。その中で忍耐力や持続力、素直さや努力、協力と自己犠牲、そうしたものを身につけるのです。その意味で部活動も道徳なので、外注に出してしまえば総合的な道徳教育に傷がつくのは明らかです。

 私が学力向上に懐疑的なのはそうした事情によります。現状をどう判断するかということと深くかかわるのですが、現在の教育改革は健康な体にメスを入れるようなものだと思えてならないのです。政府や一部の知識人たちが、日本の教育は病んでいるからメスを入れなければならないと考えているのとは、まったく違う考え方です。


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