2011/12/22

カリスマ  教育・学校・教師


 30年以上前のことですが、「演劇集団 円」という劇団のお芝居を「円劇場」というところに見に行ったことがあります。当時の円劇場は小さな体育館のような殺風景な劇場で、そこに幅1・5mほどの廊下がついていました。その廊下で、芝居の始まるまでの時間、私は煙草を吸って過ごしていたのです。そこに女優の岸田今日子が通りかかりました。

 私は岸田の通行の妨げになるほど大きく占領していたわけではないのですが、煙草の煙が嫌だったのでしょう。たぶんもう少し身体を引いてくれという意味で、岸田は「ごめんなさい」と言います。その声の妖艶というか厚みというか、なんとも言えないものすごい迫力があり、私は思わず壁に張り付いて、煙がかからぬよう煙草を持った手を高く掲げて、本気で「紙のように薄くなって壁そのものになってしまいたい」と願ったものでした。

「世の中には美男美女はいくらでもいる、演技のうまいヤツだって山ほどいる、しかしオーラがなければスターにはなれない」という言い方があります。そのとき岸田今日子が発していたのは、まさにそのオーラそのもの、しかも超強力なものだったような気がします。
(岸田今日子は見るからにすごい女優さんでしたが、デビュー当時の松田聖子はまるでぱっとしない不細工なお嬢さんでした。しかし全身から電磁波を発しているようなすごさがありました。山東ルシアさんという女優さんは一流ではありませんが300m先からオーラを放ちながら歩いてきたのを見たことがあります)

 中高と同級生だったHYはものすごくモテる男で、常に数人の女子ファンを抱えていました。確かに勉強もスポーツもでき、リーダーシップもある男でしたが外見はゴリラ、私に比べて特に何かを持っているという感じではありません。この男とは現在に至るまでつき合いがありますのでたっぷり観察もしてきたわけですが、結局わかったことは、私たち男には見えない、女性だけが感じるオーラを放っているということです(かつてはフェロモンという言葉もありました)。
 どんなに見栄えの良い男でも、どんなにすばらしい人格者でも、この“女性を呼び寄せるオーラ”がないと、“モテる男”にはなれないのです(“モテる女性”も同じ)。稀に期間限定でこのオーラが発せられる、それが今流行の“モテ期”です。

 さてここにきて本題の「カリスマ教師」ですが、長年たくさんの先生たちを見てきて分かったことは、頭の良い教師もいれば技能に長けた先生もいる、努力家もいればすべてにきちんとした先生もいる、しかし「カリスマ」といってよい教師は“オーラ”を放つごく一部の人たちだけだということです。これはもって生まれたもので、他の人は絶対に真似できない。

 なぜそんなふうに自信もって言えるかというと、私がカリスマ教師の授業記録を取ったことがあるからなのです。その中で発見しました。

 人柄が良くない私ですので、授業記録はいったん逐語録でテープを起こします。「あー」とか「うー」とかも全部書くのです(こんなの渡されたら嫌ですよね)。それを整理した最終記録とともに本人に渡すが喜びなのです(記録を整理する自分自身へのご褒美)。その結果分かったことは「カリスマ教師の発言や発問は、普通の教師のそれとまったく違いがない」ということです。何か特別なことを言ったりやったりしているのではない。それにもかかわらず、子どもたちは活発に発言し、議論を重ねて行きます。授業自体に何の変哲もないので、研究会では「○○先生の日ごろの指導が偲ばれます」というしかないような授業です。

 どんなに優秀でも“オーラ”のない先生は必ず授業で苦労しています。“オーラ”を持つ教師はろくに苦労もせずに“すばらしい授業”を仕上げてしまいますから、往々にして指導案づくりは下手です。「こんな指導案で授業ができるか」と言いたくなるようなものを平気で書いてきます。彼らにはそれでうまく行かない理由がまったく分からないのです。

 ですから私は、そんなカリスマたちが少しも羨ましくありません(やや負け惜しみ)。


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