19・20日と佐賀へ行ってきた。「旅の友」は
村上陽一郎2014『奇跡を考える−科学と宗教−』(講談社学術文庫)。
さていつものように重要産業遺産の委員会(20日開催)が目的なのだが,今回は特別オプショナル・ツアー(笑)付きである。前日昼過ぎに佐賀に着いたのち,長崎県諫早市を委員の方々と訪れた。
文献には,佐賀藩は,三重津海軍所のドライドックのほかに,蒸気船修理のため諫早領の「大久保浦」を使用していたと記されている。委員会では以前よりこの「大久保浦」をぜひ実見したいという声が出ており,このたびM田さんの案内で見学することになった次第である。
ところで,その「大久保浦」。じつは現在ではどこか,よくわかっていない。まず訪れたのは,バス停に「大久保」とある河口地点。
たしかに現在も船泊的な感じなのだが,幕末と思われる古地図や周辺地形から,はたして蒸気船の船底を修理できるような環境であったか,という疑問が出される。
そこでもう少し西方に,やはり「大久保」という地名があるというので,そちらへ移動。
こちらも河口域なのだが,古地図で見ると,埋め立てによる干拓地と川の間に入り江状の描写がある。しかし現在は,JR長崎本線長里駅のすぐそばで,また宅地などにより,かなり地形改変されていて,古地図に描かれた地形は視認できない。
しかし最初に見た地点より,可能性が高いのではないか,とのこと。もう少し古地図を探索することで,地形改変以前の姿がどこまで明らかにできるか,がポイントとなろう。
2日目は会議。午前中,現在調査中の三重津海軍所跡を見学する。ドライドックを含む「修覆場地区」と,その北側の「稽古場地区」とされる地区との境界付近を発掘している。両地区の境界を明らかにすることが,三重津海軍所の全体像を知る上で重要であろう。
三重津海軍所跡のすぐそばにある佐野常民記念館3階に,海軍所のインフォメーションコーナーが,この12月に開設されたので,あわせて見学。
個人的に気になるのは,やはり同遺跡で出土している灘越蝶文や「海」「舩」「役」などの銘を描いた染付で,今回,N野さんの緻密な分析によって得られた成果が展示されている。今後,三重津海軍所の時間的展開を復元する上で有力な手がかりになるとともに,窯業史においても,注文者−生産者との関係を考える上でも興味深い事例になりそうである。
M田さん,N野さん,M松さん,お世話になりました。ありがとうございます(私信)

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