その最初にやられた鶏は(←一昨日の記事です)、名古屋コーチンだった。
廃れて絶えかかっていたその品種を、岡崎にある国の種畜牧場が、全国の愛玩家から掻き集めて、再び品種として固定したものだった。
そこに問い合わせると、孵化したてのヒヨコをターミナル止めなら発送出来るという事で。
指定された日に甲府の西濃運輸のトラックターミナルまで取りに行った。
当時はまだ道も未整備で、一時間半かかった。
(白州からはバイパスもまだ半分程度。塚原ディーポットで右折した。)
ヒヨコはターミナルの事務所にいて、空腹でピヨピヨ騒いでいた。
運送屋のオジサンおねーさん達も珍しい荷物でにこにこしていた。
するとオジサンの一人が口笛でヒヨコの鳴き真似を始めて、すごく上手でびっくりしたんだよね。
オジサンが心を動かして、口笛を吹いてくれたから、あの日のことを鮮やかに憶えている。
結果は残念で悔しい思い出だけど、口笛のおかげで、何だか楽しい。