今年は「ナラティブ」(Narrative)という言葉を覚えました。
以下、ちょっと長いですが、研究者による解説です。
「 リースマンによれば、ナラティヴという概念の定義は研究者によって異なりますが、整理すると以下のような特色を持つものと言うことができます。
1. 特徴的な〈構造〉を持つ。
2. 〈時間の流れ〉と〈起こった出来事の報告〉を含む。
3. 語り手が聞き手に対して、出来事を〈再現〉してみせる(実際にあったのだと〈説得〉する)。
4. 聴衆の〈感情〉に働きかける。
5. 研究インタビューや治療的会話の中での〈長い語り〉である。
6. 〈ライフストーリー〉である。
このうち、1.〜4.は、「語り」がナラティヴであるための条件を示しています。「今日、学校に行ったよ。」はナラティヴではないでしょう。時間の流れを表現していませんし、出来事の再現がほとんどな、これを聞いた人が感情を揺さぶられることもまずないでしょう。
ところが、「今日、学校で新しい友達ができたけど、ケンカをしちゃったよ。」はナラティヴと言えるかもしれません。なぜなら、時間の流れを感じさせます(「学校に行った」「ケンカをした」という2つの時間を含んでいます)し、この話を聞いた人はちょっと感情を揺さぶられ、「どうして?」「何があったの?」とさらに聞きたくなるでしょう。
これに対して、5.と6.は、研究者が行う調査や、医療従事者が治療などの中で行う会話の中で現れるナラティヴの条件を示しています。ひとまとまりの長い「まとまり」をナラティヴと捉える人もいれば、もっと大きな「人生についての物語」でないとナラティヴと見なさない人もいるのです。」
今夏、たまたま地元の高校で日本環境教育学会というのがありまして、その一環で高校生の自然科学分野の研究発表というのがありまして、それを東大の教授が講評してまして、そこで教授が使っていて知りました。
「ストーリー」と似た言葉で、いろんな解釈があるのですが、「現実の物語」という意味で、ストーリーとは区別するようです。
長い時間かけて観察調査した研究は、研究としてはまんま高校生のレベルでしたが、発表者の時間の使い方をこの言葉を使ってほめていました。
そうそうこういう事!って、一言で収まる言葉を知ってうれしかったです。
ずっと、しょぼくれながら、体をさらして、この仕事を続けてきたのは、農業の現実を話にしたかったからです。
臭かったり、辛かったり、痛かったり、痒かったり、寒かったり、暑かったり、苦しかったり、ひもじかったり、という感覚と、その逆の快感も。
卵を買ってくださるお客様や読んでくださる方の一人でも二人でも「だよなぁ・・」と思っていただければと。
肌感覚で伝わるように気をつけて、書いたり、実際にやったりしてきました。
でないと、どんどんヤバくなってますからね。世の中が。
だってあなたも鉄砲の弾が当たったら痛いでしょ?って事なんですけどね。
若い人なんか見てても、それこそ今流行の「今だけ金だけ自分だけ」ですから。(もちろんそういう子供を育てたのは私たち世代の親たち教師たち大人たちです。)
これからもお客様の身体感覚に訴えられるような農業を続けていく所存です。
多分、こちらの肉体の衰えとともに、痛い辛いが増えると思いますが、お付き合いいただければ幸いです。
今年もたくさんご覧いただきまして本当にありがとうございました。
いろんな方の恩をいただきながら、今年も生きながらえました。
どうかどうぞ良い年をお迎えください。
(偉そうな事を書きましたので、顔をさらしておきます。さらし首です。)
