詳しい話ははぶくけど。
近所の子どもが農場に来て、イヌと遊んでいった。
その様子を眺めていて、とても楽しかった。
その少年(小学校一年生)は、小さい頃大型犬に追いかけられてガブリとやられたトラウマを抱えているのを知っていたし。
うちのイヌもまた、仔犬の頃飼い主がころころ変わり、それは仔犬にとってすごいストレスで、で、行き場がなくて来たうちが4軒目。
そんな二人(一人と一匹だけど)が、何回目かの接触で、やっと境界線がぼやけて、友だちになり始めた。
その瞬間に立ち会えて、何と幸運なことでしょう!
俺は農家の出身じゃないし。子供の頃イヌを飼える環境じゃなかったから。
イヌを飼いたかった。
もしかしたら、農家になるという人生の選択をした要因の中に「イヌが飼える!」っていうのが潜在的にあったのかもしれないなぁ。
イヌなんて、言葉をしゃべるわけじゃないし、そもそも違う動物だから何考えてるか?想像して探って当たりををつけるしかない。
その作業はまるで違う言語を体得するような感じ。だからバイリンガル。
その作業の過程で、相手(イヌ)になりきらないと、想像しきれないところがある。
何を食べて何が好きで何が嫌いで何が恐くて何を許せない何が何を何が何を何何何・・・
そうやって相手になりきって自分じゃないもの・動物・ヒト考えようとする癖がついて、やっと少し「飼える」ようになった。
鶏も同じ言語体系。
ニワトリになりきって考えると、いくら生産動物っつったって、狭いケージに閉じ込めて産み終わったらお終い、は嫌だからね。
気分良く過ごせる農場にしたい。
相手にかまわず強引に自分の意見を押し通す事、だけが評価されるご時世だけど。
ヒトは殺生する動物だから、こうやって相手になりきって飼いながら、最後は殺生について考えなきゃいけないんだと思う。
殺生するから相手に遠慮し考え続けなきゃいけないんだと思う。
卵を買いに来るママにひっついて何度も農場に遊びに来て
イヌと話してる変なオジサンを見て
最初は促されて
でも恐くて
ちょっとずつ間合いをつめて、何回目かのチャレンジで
頭の中が太陽の中みたいに爆発してるのがバレバレで。
二人の会話が、ふふふ、めちゃ面白い!
