― あれから7年。
海べりの原子力発電所が津波に飲み込まれた。
コントロール出来なくなった核燃料からの放射能が強く、7年経った今も手が付けられない。
ある日、料理人を名乗る女性から。
とても遠慮がちな問い合わせメールが来て、あんまり遠慮がちだったから丁寧に返事をして。
そしたらまた遠慮がちなメールが来て、こっちも控えめにサンプル卵を送って。
そうして、彼女との取り引きが始まった。
「映画やCMのロケ弁当や撮影現場のケータリングの仕事・・」
なんて書いてあって、へぇ〜そうなんだと読み進むと独特のリズムがあるメールの文章で。
おもしろいなぁ..とは思ったのだけれど、メールにアドレスがあった彼女のブログを読んでみたらやっぱり面白い人だった。
ひどくシャイで、でもわがままで、弱気だけど頑固で。
一人でバランスを取りながら、全体として清楚で控えめな人。
だからかな?
ものすごく細かい仕事が役者やモデルさんに人気のお店だった。
たまに、どこそこのCMのワンシーンでうちの卵が使われたとか、女優の誰々さんがオムレツ食べたがって作ってさしあげたとか、ちょっとだけこっそり教えてくれた。
そんな料理人さんにうちの卵を使ってもらっていた。
その彼女が、震災後にTOKYOで食事を作るのを止めたんだ。
事故を起こした原発から漏れ続ける放射能にまつわる様々な事が気になってTOKYOで料理を作れなくなってしまった。
震災の後は、よくよく調べて放射能の心配がない食材を集めて、厨房の窓を閉め切って、外から入る時は体の埃をはたいてから入って・・・苦労して頑張っていたのだけれど。
でも、彼女はTOKYOで料理を作るのをやめた。
え?って思う人もいるかもしれない。
現にTOKYOには人が住んでいて震災後も普通に機能している。直ちに目に見える健康被害も出ていない。
でもね。彼女はお料理するのをやめたんだ。
「放射能の毒性についてはわからないじゃない?」
「そんなの大丈夫だよ、平気だよ、何マスクなんてしてるの?変なヤツ!」
もしかしたら。
そういう同調を強要されるのが、一番嫌だったんじゃないのかな?なんて思う。
それが一番辛かったんじゃない?と思う。
どんなに大きな社会になっても、どんなに制度が強固になっても、シャイな個人が清楚で控えめで個性的に生きたいと思っているのに、必要とする電気が原子力でまかなわれていて、その発電所が壊れて環境が汚染されている。
そこで生きるだけで、その事実に「同調」を強要されるのが辛かったのかもしれないな。
清楚で控えめな彼女がTOKYOから消えていなくなることが、彼女の最大の抗議行動だったのかもしれない
うちは、はなから、世俗という毒にまみれて生きてる畜産農場だから、最後まで毒にまみれて家畜と生きて卵を生産するだけなんだけど。
もし、彼女も俺も。
あと1000年生きられたら。
また彼女のおいしいオムレツが食べられるのに。
まだ手付かず。
まだ7年。
(農場のまわりの梅はまだまだこんな感じです。暖かかったり冷えたり、みなさんご自愛ください。)
