この前の土曜日「今日は出荷もないし・・・」なんてのんびりしてたら、イヌがえらい剣幕で吠えだす。
誰?と思って農場の入口を見てみると怪しいヤツがつっ立っている。
出て行くと「イラナイ鉄ノモノナイ?」って。
ああ、鉄くずね。
何年か前から鉄の相場が上がっているみたいで、農家の軒下や畑で朽ちかけてる農具なんかを集めていく男たちがいる。
どうやらどんなものでも金属ならいくらかのお金になるらしく、甲府あたりから流してきて、かき集めていく。
決まってちょっとオンボロのトラックで二・三人でやって来るから、そりゃイヌも吠えるわな。
今日の二人組は日本人じゃない。
「ブラジルの人?」って聞いたら
「ワタシ?ペルーからね。」
ペルー?そう?!ペルー!
ふふふ、どうやって来たんだか、わざわざ来たんだ。で、鉄くず集めてんだ、ふふふ。
ためしにスペイン語で話してみると、あはは、やっぱダメだ、ぜんぜん通じない。
こんなインチキなスペイン語でよく生きて帰って来れたな、俺。
若い頃、メキシコの農場に住んでいたことがある。
電気も水道もないすごい田舎の村で、ホタルだけがやたら飛んでて、およそ世界の経済とはかかわりのない営みだった。
そんな村の中で、大丈夫かな?っていう汲み水で煮炊きして水浴びして暮らしていた。
これ以上無いっていうメキシコ高原の田舎で、貧血体質の俺には辛い薄い空気の中で(標高2450m)、いろいろ考えて、どうしようもなくって、帰ろうって思って帰ってきた。
この国なら、きっと自由で平和で平等で、何かを形に出来ると、若いなりに思ったと憶えている。
そういう国だった、母国日本は。
その国の自由や平和や平等や、それを守ろうとする感性が壊れ始めていると感じる。
小学校中学校高校とさんざんその事について習っているはずなのに。
大人がアホなんだな。
自由じゃなくて平和じゃなくて平等じゃない国にいればいるほど、現実にはその事が幻想に近い事なんだと感じる。
メキシコにいてそう感じた。以南の中南米諸国では絶望的なのが想像できた。
だからこそ、その幻想を強い意思で具現化しなきゃならないと思うんだよね。
それが出来るのはこの国やアメリカや限られた先進国なんだと思うんだよね。
八ヶ岳が見える村の吹けば飛ぶような小さな農場で、野良仕事の合間に出来る事は限られる。
けれど、子供と語り、選挙があれば投票に行き、また働く。
出来るだけ平和で自由で平等な暮らしになるように。
「グラシアス!(ありがと!)」
大してお金にならないだろう鉄くずをトラックの荷台に放り込んで帰って行った。
子供も二人いるそうだから、上手くやっていければいいね。
こんな青い空、ペルーもきっと同じでしょ。
