こんな時期の中学高校生が、受験や定期テストだったりすると
まあ、間違いなく一度や二度、三度や四度、五度六度・・
「こんな関数、社会に出て役に立つのかよぉ?」
とか
「勉強って何でするんだろ?」
とか
「俺って何?」
って思うと思う。
ちょっと迷子になりかかっちゃってる中高生が、多分、いる。
そんな中高生のためにちょっと前に農場でしたお客さまとの立ち話を書いてみる。
残念ながら、お客さまの事だからはっきり全部は書けないし一部フィクション。
時々、農場に年配の紳士がやって来る。
いつも奥様とご一緒で、卵や野菜のシーズンには庭の菜園用に鶏糞を買っていかれる。
とても静かな方で、いつもニコニコとしていて。
そのたび、天気や季節の山の様子や鶏の話を少しする。
農場のブログを読んでくださるそうで、それでまた話が弾む。
かつて教鞭をとっておられたことは知っていたのだけれど、つい最近、それが多分、日本で一番有名な中学高校だったことを知った。
ふむぅ〜〜
なぁるほど〜〜
どおりでねぇ〜〜
こんな小さな農場にわざわざいらして、ただの鶏飼いおやじのブログ読んで、なんて好奇心旺盛な方だとは思っていたんだけどね。
納得。
それで「先生」と呼んでみるとやけにしっくりくることに気付いて、その日から先生と呼ぶ事にした。
うん、ホントにそんな感じ。
何を言ってもよく聞いてくださるし、言葉が足りない・出てこない時は意味を汲んでくださるしね。
その先生、最近私的な旅行でドイツに行かれたそうな。
「パリの空港が閉鎖される24時間前に通過しました。」
先月のテロ事件の直前に乗り換えでパリを通ったそうな。
「市民生活の中での事件ですもんね。」
ドイツやヨーロッパの最新の雰囲気を聞かせてくれて、
最後に
「これを。職場のOB会の会報に載せようと思って書いてみました。」
とプリントアウトした書類を下さった。
北ドイツの旅、というタイトルがついた旅行記。
うわぁ・・わざわざ、と恐縮して受け取る。
家に帰って、読んでみる。
すると、まあ〜〜、ぎっしり。
ぎっしりぎっちぎちに文化・宗教・歴史・地理が詰まった紀行文。
もちろん、そんなの、へぇ〜〜〜〜〜の連続。はじめて知る事ばかりなんだけど。
例えば、街並みの描写一つとっても、建築様式からその背景の宗教や民族、その民族がどこからやって来たのか、地理的由来など絡めて書いてある。
旅行のガイドブックには、絶対に書いてないことばかり。
それが、旅行中・旅行の現場で頭に浮かぶのだから、本当に頭に入ってるんだなぁ・・と感心する。
これだったら旅行も何倍も楽しいだろう。
その場にいながら時空を飛び越え行ったり来たりしているようなものだ。
すさまじい知識だし、そのひとつひとつをつなぎ合わせる編集作業もすごい。
さらにそれから、ヨーロッパの政治家の話・その背景にまで広がり、日本の政治家に投影させ、まとめて旅行記は終わっている。
膨大な知識で風景の歴史を解析して、今に重ね合わせ、ちょっと毒を吐いて、あるべき姿を提示する。
はぁ・・・学者ってこういうことね。
真の知識ってこういうことね。
って、山の中の鶏飼いおやじでもそう思える、そんな旅行記だ。
20世紀、ドイツに独裁者がいた。
その独裁者が合法的に政権をにぎっていったと知ってすごく不思議だった。
でも今ならわかる。
しかも21世紀になった今、この国でも、独裁者は合法的に政権を握る事が出来る。
あれだけの戦争をして犠牲者を出しても、結局、何も反省なんかしちゃいない。
繰り返してはならない事を繰り返さないために、人は歴史を勉強する。その事を伝えるために人は言語を勉強する。そうならないように哲学や宗教を勉強する。それを具現化するために技術を勉強する。
そう思う。
「ナチスのやり方でやりゃいいじゃないか。」
と公言した元総理大臣がいたけれど、ナチスが何をしたのか?それについてどう思っているのか?そういう発言を今、元総理という立場の人物がすれはヨーロッパでどう受け止められるのか?という総合的な判断が出来ないのは
「それは完全に勉強が足りない。」
と、この山の中の鶏飼いおやじは元総理に向かって言ってやる。
何かを勉強するって、そういう事だと思う。
今はまだその関数ってやつを理解したり使えるようになる練習だから、それが役に立つ事はないよ。
でもいろんな教科のいろんな事を積み重ねていけば、いろんな事がわかってくる。
いろんな事がわかってくるって事が、君が大人になるって事で、何かを知っていて何かを知らないって事、それが君自身って事だと、俺は思うよ。
こんなところでどうだろう?わかんなかったらまた農場に遊びにおいで。じゃあね。
(画像は適当なものが無いのでとりあえず何日か前の高い山 ピンボケ。。。)
