台風が近づく先週。
ずっとうちのイヌを診てもらっている獣医さんが往診に来てくれた。
以前は近所で開業してたんだけど、ある日旅に出ちゃって、それ以来、時々近くに来たときに農場に寄ってもらっている。
https://www.flickr.com/photos/qanimalclinic/
いつもイヌに触りながら、あれこれ話をする。
今回は俺の話を聞いてもらった。
「ちょっと前にさあ。用事があって、食品工場に行ったんだよね。そこの裏にイヌがいてさあ。
大きな工場だから、純血種で、場所もあって、まあちゃんと飼われている範疇なんだけど。。。
そのイヌ、飼い主がいない感じなんだよね。」
「ふんふん、それで?」
「散歩なんかも、従業員がやってる、みたいな?従業員の様子からボスが誰かはわかるけど、自分とボスとは接触ないから関係ない、みたいな?・・・そういうイヌたまにいるけど、久しぶりに見た。自分がとうすればいいか、わからない感じだったな。」
「うんうん、そういうイヌっているよねぇ。」
イヌを飼った事がない人には伝わりにくい話だとは思うけど、飼い主が気が向いたときだけかわいがられているイヌっている。
で、そんな風に飼われているイヌは、わかる。
イヌをパートナーとして飼ってる人には、イヌの表情とか挙動から、わかっちゃうんだよね。
そんな話をしてしばらくしたら、新聞の書評に「犬たちの明治維新」なんてタイトルの本が紹介されていた。
書評しか読んでないけど、イヌの飼い方で人物や時代を読み解いているのかな?
イヌの飼い方がその時代の背景を反映していたり、飼い主の価値観や生命観を知る事は出来ると思う。
極端な話。
どんな一流企業のサラリーマンでも、どんな評判の大工でも、予期せぬ妻の妊娠で(安易に)堕胎を考えた、なんて噂が耳に入ると、とても不愉快だし、その人物を信用出来ない。
その人物と仕事をする事はないだろうし、取引きすることはないだろう。
長く養鶏なんて生き物と直接触れ合う仕事をして、命についてずっと考えていて、そういう感覚になっている。
どういう死生観とか生命観とかを、その人が持っているか?が気になるし、それがその人の仕事(サービス)とか製品のクオリティーになると感じているし、消費行動の判断基準に知らず知らずのうちになっている。
ずっとそういう仕事をしてきたからだね。
その感覚は一般的ではないのかもしれないけれど、少なくとも自分の仕事と自分の消費には、その物差しをあてていくつもりだ。
ニワトリを飼っている。
生産動物だからこっちの都合で飼ったり処分したりしている。
でも、当たり前だとは思っていない。
毎日毎朝、千数百のニワトリと一匹のイヌの命の要求に応えるために、休まず働いている。
「ここんちのイヌはいいよね〜。」って言いながら、嵐に向かって帰っていった。
獣医さんだから、あちこちで、いろんな風に飼われているいろんなイヌを知っている。
イヌが好きだから獣医になったんだろうから、飼い主がいないイヌを診るのは、
たぶん俺よりずっと切ない。
