これ・・・
いい写真だよなぁ・・・
いい写真なんだけどなぁ・・・
わかるかなぁ?・・・
少し前、卵を使ってもらっている清里の研修施設のフクシマさんが
「うちのスタッフがまだなので一度連れて行きたい。」
と農場に連れだってやって来た。
いつものように靴底を消毒してもらって、鶏の部屋の中に入って。
しばらく過ごしていると、鶏が近寄ってきてお客様をつつきはじめる。
「ねえ。あなた誰?どこから来たの?」
普通、畜産農場は家畜伝染病予防のために部外者の立ち入りを禁じている。
加えて、農場の家畜たちは(肉にしろ乳にしろ卵にしろ)生産性能を最大に引き出すために、そのための特殊な環境にいる。(例えば運動させず食べた餌が出来るだけ肉になるような環境)
だから家畜は非常に神経質になっていて、こんな風に誰か飼育者以外の来訪者が畜舎に入って来た時は、来訪者から逃げるような行動を取るか、生き物としてどう対応すればいいかさえわからず無反応でいる。
フクシマさんが博愛の人だからという事もあるのだけれど、鶏たちも落ち着いて自分たちの空間に入ってきたお客様を受け入れる。
ヒヨコの時から土の上で遊び、止まり木で寝て、自分たちがどういう生き物なのかを考え学び知っているからこそ、落ち着いてコミュニケーションがとれる。
ゆっくりした時間を鶏小屋の中で過ごす。
こういう養鶏をやりたかったんだよな、俺。やっとここまで来れたんだよね。
だからこの写真は、いい写真なんだ。
このごろは平飼い卵もいろいろなものがある。
コンクリート床で坪あたり25羽も入れて、それでも平飼いは平飼いで。
卵売り場に並んでいる。
安全というイメージが売り物になっている。
「安全な平飼い卵でなきゃだめなのよ。」
「平飼い養鶏?もうかるんじゃやるよ。」
そんな消費者やお百姓のセリフにずっと違和感があった。
誰かの個人的な利益のために鶏を飼うのが変な感じだったんだ。
人って、自分以外の他者に対して、支配的でありたいという欲望をおさえきれないのかな?
だから戦争がなくならない。
もういいかげん、他者・自分以外の命をもっと尊敬しなければこの文明が続かないと、気づけよと思う。
そういうエゴを乗り越えるための最初の手段が、平飼い養鶏だと思っている。
自分が食うもの、家畜に対して尊敬して感謝してから食べようよ、と。
そういう農場になっていけばいいのか、とずいぶん時間がかかったけどわかってきた。
簡単ではないけどね。具現化していきたいな。
