今から30年前、俺はメキシコをうろうろしていた。
http://air.ap.teacup.com/satofarm/8.html
何の武器も持たず丸腰でね。
たまに「チノ?(中国人?)」て聞かれて
「ハポネス(日本人だよ。)」と答えると
「ああハポネスね。」
と言われた。
20世紀初頭のメキシコ革命後の混乱時。
軍に追い詰められ海外逃亡を目論む前権力者の家族が逃げ込んだのが、メキシコシティーの日本大使館だった。
大使館を取り囲み引渡しを迫る軍勢に対し、時のメキシコ公使はこれを拒んだ。
大きな日章旗を身にまとい門に出た公使は
「ここへ踏み入るならば余の屍を乗り越えよ。」
と大見得を切って、追われる身になった者をがばったとか。
そんな話が半ば物語になって残っていたからか、どこへ行ってもわりあい
切羽詰った身の危険を感じることもなく、丸腰でうろうろしていた。
(そういえば俺が帰国した後に、貧困に窮した農民それを世間に訴えるために日本大使館の敷地に立てこもった、なんて事件があった。大使館、便利に使われてんな。笑)
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鶏を地面の上で飼ってやると、家畜だけれど、動物としての性質が出ておもしろい。
鶏は群れて行動する動物だから、基本的には秩序を保とうとするおだやかな動物なんだけど、
一方で、個体の利害に関しての行動は、びっくりするほど直線的だったりする。
何か特別においしいもの、ミミズとか、を見つけた時は、すばやく捕まえて部屋の隅っこで独り占めしようとする。
何か特別に危ない状態、キツネが襲いに来た、とかの時は、我先に逃げようとして重なり部屋の角で圧死したりする。
何か特別に群の中に弱い個体、病気になったりケガをした鶏、が出た時は、群の健康・健全を保つため死ぬまでその個体を排除しようとする。
そんな鶏の行動を見ていると、群れて生きる動物の基本を見ているんだなと感じる。
小さな脳で出来る生物として、種を守るための最低限の基本的な行動がこれなんだナ、と。
ヒトもその進化の上にあるのだから、当然その延長線上にある。
根源的なところでは同じような振る舞いをついしちゃうんだな。
(バーゲン!に群がったり、パニックになって逃げようとしたり、何かといろいろ差別したり・・)
もちろん、脳ミソが大きくなった分、難しい事が出来るようになっていて、道具を使ったり言葉を話したりして文明を築いてきた。
より多くのヒト(同種の動物)が上手くやっていけるように文字を発明してルールを書いて。
それでもまだまだまだまだだと、ここ数日の新聞を読んでいると思う。
まだまだまだまだ進化していかないと、滅びると思う。
こんな大きな脳を抱え込んでいるのだから、もっと知的に振舞えるだろ?!
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メキシコシティーで一度だけタクシーに乗ったことがある。
(当時メキシコでのタクシー営業は申請すれば簡単に始められたはず。タクシーの屋根の上に乗せる「TAXI」の看板をスーパーマーケットで売っているぐらいだったから)
拾ったタクシーは2ドアのおんぼろワーゲンビートルで助手席に何故か運ちゃんの子供が乗っていた。
後部座席に座り行き先を告げると、助手席に座っていた子供がこちらを向き、ず〜〜〜と俺の事を見ている。ず〜〜〜っと。笑
「チノ?」
「ハポネス。」
「あ〜ハポネス!」
そう、俺はハポネス。はじめて見る?
珍しい?
いいよずっと見てて。
これが珍しい「絶対に戦争しないって憲法に決めた」ハポネスってやつだ。