知人が開発・提供していたスマホのゲームサービス終了の知らせが届いた。
全国の農家の栽培・飼育方法をゲーム化して、ゲームをすることで疑似体験して、体験した後ネットでその農場の生産物を購入する事も出来る、というソフトで。
若い人が頑張ってたんですけどね。(ドンマイですよっ!)
ゲームとかぜんぜんやらないからさっぱりわからないだけど。
そもそも、そんなギフト的な小口出荷に対応出来るのは、大規模にやっているところか、篤農家だから、生産環境もコントロールされていて安定しているはず。
・・・ということは「ドラマ」がないじゃないのか?とは思ってたんだけどね。
うちみたいに
雪でつぶれたり
イノシシが鶏小屋のまわりのミミズ食べに来て、グイグイやってる間に壊しちゃって、
後からやって来たキツネがしシメシメって中に入って鶏襲って、
それに気付いた番犬が自ら首輪壊してキツネ追っぱらって、
外に出ちゃったニワトリを俺が朝行くまでちゃんと守ってて、
なんてストーリーがないって事だもんね。
(フツーはないんだけどねWWW)
完全に人工環境な野菜工場で働いてても、おもしろくはないからな。
もう何度も書いたことだけど。
大学4年の時、縁のあったお坊さんが喫茶店を始めることになって、オープンするにあたって雇われマスターをやった。
そのお坊さん、高野山(金剛峰寺 和歌山県)から降りてきた人で、さすがに山にこもってただけあって何でも自分で出来る人だった。
店の内装も自分でやってた。
(どうでもいいけど、それを手伝ってたのも日蓮宗のお坊さんで、日蓮宗の坊主と真言宗の坊主が仲良くセメントこねてるのがちょっと不思議だった。ま、ホントにどうでもいい。)
その時
「ジョージ君、お百姓になりたいんやったら、何でも自分で出来なアカンでぇ〜。」
と言われた。
山に入って木を切り倒して、自力で林道まで引っ張り出して
桑畑だったところまで運んで鶏小屋を建てて
ヒヨコを買っていっぱい失敗しながら育てて
エサを買って工夫して混ぜて
営業に出てお店をまわって話聞いてもらって
卵を送って
請求書を書いて振り込んでもらって
たしかになぁ〜んでも自分でやんなきゃならなかった。アハハ。
そうなんだよ。
俺にとって、農業ってずっと理解の方法だった。
もちろん食糧を生産して販売して生業にしてきたんだけど、ずっと何かを「知る」ための手段だった。
(お坊さんが山で掃除したり食事作ったり大工仕事したりしながら仏様の言ってたこと考えるのもそういうことだよね?)
命とか、育てる事とか、生きる事とか、殺生とか。
毎日考えることがいっぱいだ。
自分の、思い通りにならない自然や
思い通りにならない自分以外の命や
何かを食べて生きてる自分や
お金の事と
どう向き合って
そのとき自分がどうなってどうするのか?
毎日考えることがいっぱいだ。
多分ね。
本来農業ってそういうことだ。
そういうソフト、「思い通りにいかなさ」に、どう感情をゆさぶられ、どう立ち向かっていくか?!
っていうソフトを現場のお百姓=俺とお客さんが共有してるのがうちの農場だと思う。
なんて思う。
それがゲームソフトに出来るかどうか?一般的におもしろいかどうか?
まあそのへんが、さっぱりわかんないんだけど。