さて。
犬の事を書くか。
先週。
農場の番犬が死んでしまったんだな。
二匹いるうちの年上の方がね。
11年うちにいて。
ヒヨコを守って、来客を知らせて、サルを威嚇して、キツネを追い払い。
昼間は卵の選別をする俺の足元で丸くなって昼寝をし、夜中の作業のときはついて回った。
それが。
あっさり死んでしまった。
あっさり。
子犬の時どっかの小学生が拾って、どっかの役所から動物愛護センター経由でうちにやって来た。
それからずっといっしょにいて、俺が何を大事にして何を嫌っているか?何をすると怒られて何をすると喜ぶか?よく察してよく学習してよく合わせてくれた。
前の番犬たちがそうだったように、もっと長生きして、もっとよぼよぼになって歩けなくなって一輪車に乗せて散歩するようになって、もっとぼろぼろになって最後はウンチやオシッコの世話に追われて、もう介護はうんざりって思うようになって、それから死ぬもんだと思っていたからな。
ふう。。。。
まあこれ以上書いても、伝えられないからこれぐらいにしておかないと。
ともあれ、うちには犬がいて、365日犬といっしょに働く。
そういう農場だから
俺は今、へこんでいる。
このごろは平飼いたまごっていっても、大手の農場がコンクリート床のブロイラー用の鶏舎で自動給餌機で飼ったオーガニックな卵が大量に流通しているし。
有機農産物の大手宅配業者も納品はカンバン方式で在庫なしのジャストインを要求されて不測の事態で欠品なんていうゆらぎは許されないし、客の注文に合わせて箱詰めするピッキングは真夜中に夜通し働く派遣会社の契約アルバイトだし。
「オーガニック」って何だろ?と思う。
オーガニックって制度で「認証」されるもんなんかじゃなくて、人としての「姿勢」とか「ありよう」なんじゃないの?と思う。
たかが犬が死んだだけでへこんで、出荷を間違えそうになる農場こそがいい農場だと言い張るつもりは毛頭ないけれど。
リアルなオーガニック農業ってのは、鶏も番犬も、大根も人参も境目なく同じように愛する「農夫」が超越する自然や理不尽な命と、自分の感情をむき出しにしながら向き合っていくことなんじゃないのか?と思う。
この騒ぎにつきあってくれるのは、そういうリアルなオーガニック農産物を扱う「そういう」お店やそういうお客さんやそういう料理人だけだな。
すみません、俺今、へこんでます。
あれをしろこれをしろ、ああしたいこうしたい、って要求をしない犬だった。
寡黙でじっと俺を見ている犬だったんだ。
もしかしたら。
もっと以前から、具合が悪い兆候を、この冬の大雪の作業に終われて、俺は見逃していたのかもしれないな。
けっこうな雨に濡れながら、先代たちのお墓の横に穴を掘った。
藁を敷いて寝かせ、花とおみやげを持たせ、土をかける。
「モイ。長い間ありがとう。本当にありがとう。」
