こんな所に?俺が?何の用だ?
と、まあ、自分でも思うのだけれど。
お誘いいただいて地下のお店で卵についてのお話をさせていただいた。
http://blog.shizenkaiki.jp/?eid=1245
大勢お集まりいただいて、年齢構成もお連れ様の人数も構成も年齢層も、そして関心もかなりバラバラだったので、ざっと平飼い養鶏の入口の話をして、あとはテーブルを回って小さなお話をさせていただいた。
うん・・まあ・・結局はいつもどおり。
会が盛り上がるのはお料理の力、散らかるのは俺の力不足、って事ですな。
ちらちらと時計を見ながら過ごすと、3時間なんてのはあっという間。
その終わりごろ。
俺の息子、しかも次男坊ぐらいでもいい(それほど若いって事ですけどね。息子いません)若者が話しかけてきて名刺をくれる。
同じブロックのビルの上のほうの階にある経済新聞の記者だ。
「降りてきやがったな(笑)」とからかうと、笑い返してくれる。
「サトーさんのお話だと昔より・・・」
と話し始めたので、それをさえぎり
「あなたのおっしゃる昔っていつだろう?」
「その昔って俗に語られる時の「昔の卵」の昔?イメージの中の昔って言葉にしばられすぎてないかな?」
「どの昔なのか、定義づけがちゃんと出来てないと話が出来ない。」
と矢継ぎ早に答えて、ちょっと追い詰めてしまった。
「ゴメン、俺新聞記者(っていう人種が)大好きだから、言葉きちんとすり合わせたいんだ。もしあなたが言う昔が昭和40年代だったら、昔と今は何も変わっていない。その頃から何も生産方法は変わっていない、生産方法は何もね。流通形態が寡占化されて農家養鶏がなくなっただけ。」
さてこれから、って時にお開きの挨拶が始まってしまった。
たしかにもう最終の下り特急の時刻が迫っている。
こんなオヤジが、場違いな場所で下手くそなお話をするのは、だからなんだ。
輸入された餌を前提とした畜産が、物価の優等生とか呼ばれて、消費の大前提とされてから、実はもう随分時間が経過していて、俗に言う「昔」と実は何も変わっていなくって、何も変えられていなくって、ビジネスモデルとしてはもう耐用年数を過ぎているんじゃないかって俺のような現場の人間でさえ感じていて、でもなかなか変えていけないんだよ。
って話を。
多分、誰もが知っている優秀な大学を出たであろう君なら、3分で理解できただろうから。
俺は君の話をさえぎった。
(気分悪かったろうな。。。ゴメンな。お客様なのに・・・また連絡します。)
俺にとっては場違いな場所なんだけどさ、このあたりの「上の階」の特に若い人たちが、その事に気付いてくれないと、なかなか動かない、って事は、俺にもわかるんだ。
だから厚顔にも、出かけていく。
まぁ〜〜場違いなんだけどね!(笑)
-------------------
改めまして、お越しいただきましてありがとうございました。
おいしいお料理でした。お店のみなさんにもお世話になりました。
本当にありがとうございました。
