どういうめぐりあわせか、山梨のこのあたりは雨が降っていない。
うちの鶏糞を使っている野菜農家も、秋冬の野菜の生育で気をもんでいる。
にわとりが踏み固めた鶏糞を、たまたま雨のかからない日向に積み上げておいた。
その鶏糞が、夏の日差しと、この乾燥で、カチンカチンに固まって、まるでレンガのようになっていた。
土の上で飼い運動させ、消化器官のコンディションを良好な状態に保ち、質の良い餌を与えると、鶏糞でも臭いはほとんどない。
それがモミガラや草の繊維質とうまく混ざり合い固まり、日干しレンガのようになっていた。
カッチンカチンだなぁ・・・と手にしていると、ちょっともう昔話になってしまった、ある事を思い出した。
・・・・・・・・・
「これ鶏糞なんだ。ふぅん・・・知ってるよ!どっかアフリカの方で牛の糞で固めて、家作っちゃうんだよね。」
「よく知ってるね?」
「教科書に書いてあった。」
「アフリカのどこよ?」
「えっとぉ・・・・・どっか・・・・」
「アハハ、はい、もう一回ちゃんと読んどこうねぇ〜。」
なんて、農場を訪ねてきた小学生とふざけて話していた。
それからまた何年かして。
その小学生の小僧が、いつの間にか中学高校大学と進み、いつの間にか身長195センチの大男になっていた。
デカくなりやがって(笑)・・・・いつか一度飲まなきゃな。
なんて言いつつも、ちょっと今は忙しいからまた今度、また今度、また今度、また今度、なんて繰り返していて。
数年前。
そいつが30歳を前にして、亡くなったという連絡が入った。
死因はただの風邪。風邪をこじらせて、あっという間に亡くなってしまった。
新宿・落合の斎場には、デカい特注の棺があった。
・・・・・・・・・
ここで、こんな仕事をし、酒も飲まず、人にも会わず、旅にも出ず、ただただ家畜の世話をする暮らしをしていると、こんな人生でよかったのか?と思う時がある。
もっと誰かをはげましたり、誰かと喜びを分かち合ったり、未来の夢に向けて力を合わせたり・・・・
そんな事が出来たのかもしれないな、と思う時がある。
人生の喪失感、なんて言い方だと大袈裟になるけれど、そんな事を思う時がある歳にはなっている。
ただ。
ここで鶏を飼い、イヌを番犬として、野生動物に囲まれて、営農してこなければ、これほど、自分以外の生き物、人・家畜・動物を愛することも出来なかったろう、とも思う。
(俺が、ろくな教育を受けてなかったからなんだけどね。)
若い人が死んでしまったのが、これほど悔しくて、誰かの成長を祝い酒が飲めなかった事がこれ程悔やまれるのも、こうやって暮らしてきたからなのかもしれない、とも思うのだ。
残念だけれど、「仕方のないこと」は、必ずある、という事も少しわかるようになってきた。
二つの人生はないのだから、今日もとりあえず、鶏小屋で働く。
・・・・・・・・・
どうしても急ぎで欲しいという連絡があって、軽トラいっぱいに鶏糞を積み込み走り出す。
農道で落ち合い、そのまま畑に入って行く。
乾燥して、ものすごい土ボコリが舞い上がる畑で、ホコリだらけになりながら、若い野菜農家と鶏糞を下ろしていく。
雨待ちで、野菜の植え付けをする予定だそうだ。
空が高くなりはじめている。
八ヶ岳は少し秋の気配だ。
