テーブルの上にトマトが置いてあったので、かじった。
ぐぅ〜〜〜!
トマトというのは、口内炎にしみる! さっき食べたキムチは平気だったのにぃ〜。
そんな事で思いつくのも何だが、トマトの季節だ。
何年か前、小学校で教材用のトマトの配布があった。
夏休みの教材用にと配られたプランター栽培のトマトは、大手食品メーカーが開発し学校教材として配布された、大きくならないトマトだった。
http://air.ap.teacup.com/satofarm/221.html
大きくならないトマトというのに違和感があったのでブログネタにしたんだけど、今もその感覚は変わらない。
確かに、遺伝子組み換えのような劇的な技術でもなく「交配によって得られた形質を固定しただけだからいいじゃん。」なのかもしれないが、違和感は違和感。
「加工用のトマトを広く大規模に栽培するにあたって、トマトが自由に大きく成長するのは機械で収穫するのにじゃまくさいから、途中から成長点がなくなる個体を選別して品種として固定しよう。」
っていう発想が会議室で出てくるのは・・・・・まぁわかる。
だがな。
「じゃ、じゃぁ、それをですね、マンションのベランダのプランターでも栽培出来るようにして、小学校の教材にする、なんてのはどうですかね?」
「ふむ、それおもしろいね、君。」
「で、ですね、スポンサーになって無償でトマトの苗を配るってことで、全国の小学校に募集してみたらどうでしょう?」
「ん!それいこう!我が社の名前をどーんと出してな!」
あ〜物語がチープすぎて自分で書いててやんなっちゃう。
そんなことを想像させてしまうような企画なんだよな。
小学校低学年向けのプログラムだから、交配とか優性遺伝とかメンデルの法則とかを学習するものではなかったし、「トマトの成長がベランダで観察できて、しかも大きくならなくて、後片付けも簡単で便利でいいでしょ。」ってあたりの安易な感じがするんだよ。
トマトを作った事がある人にはわかると思う。
トマトの生命力はすごい。
日本のような湿った場所では、苦手な病気や虫が多いけれど、乾燥した条件においてやれば、強くたくましくぐんぐん伸びていく。
だから。
教育のプログラムなのだとすれば、伝えるべき事柄は「際限なく伸びていこうとするトマトの生命力」の方だろう。
ただ何かを観察するスキルを教えたいのならば、別に「成長しないように品種改良した」トマトじゃなくていいジャン。
それから数年。
多分まだおんなじような事やってんだろうナ。
だけどね。
2012年の夏に。
次の世代に伝えるべき事は。
自分以外の、自分のまわりで、起こる生命や自然の化学反応や現象に対して、それらを制圧し完全に支配してしまおう、という事ではないと思う。
(自分以外の)他者や自然を、尊敬し、あるときは畏怖し、折り合いをつけてきたのがこの国の信仰だと思う。今の文明の中でもう一度それを認識する事ガ、この文明を続けていけるかどうかの、鍵だと思う。
トマトは、口内炎にしみる。ぐぅ〜〜〜。
